触った手は、その体は、きっと体温が低くて自分より冷たいのだと思っていた。けれどもそれは、こちらの勝手な想像でしかなく―――…。


「狭いな」
「だから、ごめんって言ってるじゃんか…」
「ああ、聞いている。現状に対して率直な意見を述べたまでだ」
「………」
 デュークが仮住まいとしているこの森の中の猟師小屋には本来、ユーリが勝手に持ち込んだ家具としてベッドが二台ある―――筈が、それなのに何故一つのベッドに二人並んで寝る羽目になっているのか。
「元はと言えばラピードお前が…」
「くぅん」
 ユーリがベッドの下に手を伸ばせば、そこには足元にラピードが寝そべっている。鼻を鳴らすような声は反省の為か。
「そうラピードを責めるな。済んでしまった事はもうどうにもならない。それにこんな事、たいしたことでもない」
「たいした事って…大体アンタって、ラピードには甘いよな…」
「そうか?」
 ―――夜、いつもここを訪れる度に行っている縄張りの見回りから帰って来たラピードが、ユーリが普段使っている方のベッドを泥だらけにしてしまったのだ。今朝がた雨が降っていたから、地面がぬかるんでいたのだろう。本人は今はもう、拭いてやって綺麗になっている。
 強い獣が己の力の誇示のため、その縄張りを見回る事は彼等の世界での道理だ。
(まあ、知らぬ内にこの周辺がラピードの縄張りになっていたのには驚いたが…)
 世界を救う程強い犬だ。縄張りもきっと世界規模なのだろう、とデュークはすぐに納得する。
 しかし飼い犬の不始末は飼い主がつけると、ユーリが床で寝ると言い出した。それをデュークが自分のベッドに引きずり込んだ、それが今のところの現状である。それ以来ユーリは天井を睨みつけるように見上げたまま、けしてこちらを見ようとはしない。その様子はけしてデュークに対して怒っている訳ではなさそうではあるが。
「旅をしていればこんな事日常茶飯事だろう」
 特に彼等は常に大所帯で行動していた。デュークはもちろんそんな機会などなかったが、別に今更この状況を迷惑だとは思っていない。もちろん見ず知らずの他人ではまた違ってくるだろうが。
「いや、そうなんだけどさ…」
 言いながらとうとうごろん、とデュークに背を向けるよう横向きになる。確かにその方が狭いスペースを有効に利用できるだろう。しかし向けられた背中を見ていると、何か、思う所がある。
 それが何なのか、デュークにはよくわからないが。
「………」
「―――…デューク?寝たのか?」
「………いや、起きているが?」
 黙っていたら声をかけられた。しかしそれから何、という訳ではない。そっか、とぼそりと呟くとそのまま彼は沈黙する。背中を向けているのをいい事にじっと観察をするが、呼吸によって上下する肩の動きから、まだ眠っていない事がわかる。
 それどころか僅かな緊張さえ感じ取れるようで。
「…ユーリ・ローウェル」
「!」
 名前を呼んだ瞬間、ベッドが軋む程その体が震えた。そんなつもりはないが、どうやら驚かせてしまったらしい。
「〜〜〜〜〜〜〜〜あー、もう!」
 呼んだまま何もしないでいると、突如急に彼は跳ねるように起き上がった。そうして背後のデュークを振り返りもせずに、
「や、やっぱオレはラピードと床で寝る、よ」
 そう勝手に行って、更には勝手にベッドから出て行こうとする。さっきまで大人しくしていた癖に、今さらその態度にデュークはむっとした。
「だから構わぬと」
「いや、慣れてっし、だいじょーぶだから」
 何が大丈夫なのか。こちらが大丈夫だと言っているのに、その態度は大丈夫などではない。
 しかしそう言う間にもそそくさとデュークの隣から抜け出そうとするその背中に、デュークも肘をついて上半身を起こした。そして、
「私が構わないと言っているんだ、ユーリ・ローウェル」
「え?お、…ぐえっ…!」
 その体勢から腕を伸ばせば、ちょうど彼の後ろ襟首に手が届いた。だから、そのまま掴んで引き倒してしまう。後ろから加えられた不意の力に、その体はあっさりと傾ぐ。そのまま、またデュークの隣に戻ってきた。
「ちょ、いきなり何すんだ…!」
 げほ、とむせ込んだユーリは睨んで文句を言う。しかしデュークとて文句を言われる筋合いはない。当の本人がいいと言っているのに、何を断る理由があると言うのか。
「私が構わない、と言っているのだ。ベッドから出ていく必要はないだろう」
「いや、でも実際狭いし」
「―――しつこいな。なら……」
「!?」
 それは同じベッドの中、腕を伸ばせば触れられる距離。伸ばした腕で引き寄せてしまうのは、意外にも簡単だった。
「!!!?」
 体を横たえると頭を胸元に抱え、残った体を抱き寄せる。そうやって密着すればした分だけ、ベッドには余裕ができた。
「こうすれば狭くないだろう」
「せま、せま、く、は…いや、狭いだろ!?密着しすぎで!」
 異様にかちんと体を硬直させたユーリが、妙に声を震わせて叫ぶ。しかし胸元に引き寄せた顔ではくぐもった悲鳴にしか聞こえない。声が、胸に響いているようだ。
 しかしこれ以上まだ文句があると言うのか。だがこれ以上の改善案は流石のデュークも思い浮かばない。
「?」
 ふとベッドの縁の向こうに、起き上がってこちらを覗き込むラピードの顔がある。目が合って大丈夫だ、と頷いて見せた。するとラピードも一つ頷いてまた、床に寝そべる為に姿が視界から消える。
「ちょ、おい、オレが見えてない所で何かやってるか!?」
「何でもない。いいからもう、寝ろ」
 抱き締めて、その夜の闇を抱く髪に顔を埋める。鍛えられた体の抱き締めた感触はあまり心地良くはなかった。それでも腕の中にある体温を悪いとは思わない。体温が混じり、その部分からじんわりとユーリという存在を感じる事も。
「ね、寝らんねーよ……これじゃあ」
 彼は腕の中で珍しく弱々しい言葉を吐き出す。しかしもう、デュークの心は既に決まっている。
「私は寝るぞ」
「え、嘘マジにオレこのままか…!?」
「お前も寝ろ」
 宣言して目を閉じる。そうして何度か強張った体の緊張を解く為に背中を撫でるが、黙ったはいいものの、なかなかがちがちに固まったユーリの体が解れない。このままではいつまでも抱き心地が悪いままだ。
 いい加減眠くなってきたので、デュークとしてはこのまま寝てしまいたい所なのに。
(眠れぬ子供は抱いて寝てやると安心すると昔聞いたが…)
 子守唄の方が良かったか。しかし残念ながらデュークは子守唄を知らないし、知っていても人前で歌う事はしないだろう。
 それでは他に考えられる、眠れぬ子供のあやし方なんて―――…。
(ある)
「ユーリ・ローウェル」
「な、なんだよ…、て、ちょ…デュー…!?」
『それ』の実行は、自分でも驚くほど素早かった。
 名を呼んで、暗がりでもわかる程赤い顔を手の平を包んで上を向かせると、デュークはその僅かな距離をユーリが息を飲む時間も与えずに詰めてしまう。眼は閉じない。ただ、目の前にこれ以上ないくらい驚いて見開かれた黒い瞳が、こちらを凝視しているのが、近付き過ぎて焦点の合わない視界でも分った。
「……う、」
 強く、デュークのシャツをユーリが掴んでいた。しかしあやすように頬を撫で、同じ手で顔を固定して深く、ユーリが逃げないように息を奪う。
「…っ、ふ…」
 緩んだ隙間を舐め、その向こうを少しだけノックした。やがて、さっきまで伸びてしまうくらいに強くシャツを掴んでいた手が、ゆっくりと力を失ってシーツに落ちる。それでもデュークはしばらくユーリを離さないでいた。
 その体から完全に力が抜けてしまうまで。
 この腕の中で、彼が緊張せずに眠れるようになるまでのつもりで。 
「…っはぁ、……」
 解放すれば、腕の中に閉じ込めた体がぐったりと四肢を投げ出す程弛緩し切っていた。若干呼吸が荒いようだが、がちがちに体を硬くしていた時に比べて、やはりその方が抱き心地もいい。 
 改めて抱き締め直して髪に顔を埋めると、自分の中に妙な充実感がある事に気付く。触れる部分から熱が混じり合っていく。
 人の体温とは、こうまで心地良かっただろうか。
「ふぁ、…はぁ……お前、マジ、信じらん、ねー……」
「これでもう、眠れるだろう?」
「―――…違う意味で永眠しそうだ…!」
 抱き寄せた腕の中で、先程以上に弱々しい言葉が漏れる。しかし言葉とは裏腹に、もうそこから抜け出そうとはしないようだ(抜け出せる力が湧かないようでもあるが)
 良い心がけだ、とデュークは褒めるようにその額にもう一度唇を落とす。髪を梳いて、あやすように背を撫でて―――そして。
 
「おやすみ、ユーリ・ローウェル」
 
 するとするりともう十年以上も口にした事のない言葉が出て、けれどもそんな己に違和感など湧かなかった。

ようやくちゅー、とか。 何度も言うようですが、付き合っていません。 ユーリにはたまったもんじゃないですが…デュクユリですよ?