今を生きる生のしなやかさ、体温への焦がれ。そして忘れかけていた己の人としての感情を呼び覚ます。


「うっそ、デューク温泉初めて?」
「風呂など沐浴で充分だろう」
「まさか冬でも…?」
 想像し、あまりの冷たさにここが暖かい室内だとも忘れてぶるりと体が震える。ついでに鳥肌まで立った腕を嫌な顔で見て、改めて隣を歩くデュークを見た。
 差し迫った理由で世界中を旅してきたが、正直、これほどまでの上玉をユーリは男女共に見た事がない(そんな事を言うと女性陣にボコられてしまうだろうが)
 雪のような、というよりは砂漠に落ちる月明かりのような銀色の髪と、それと同じく色素のない長い睫毛は伏せると頬に影を落とす程。整った顔立ちはやや女性的だが、剣を振るう者として体躯は華奢というばかりではない(実際裸を見た事はないから想像だが)
 この現状を長い間維持しているというのに、本人は恐らくあまり努力をしていない。強いて言えば人から離れ、ナチュラルに自然と生活していたからだろうか。世俗に汚染されていないんだ、とそんな感じにも思える。
(実際浮世離れをしているし)
 これで実際レイヴンと同じくらいの年らしいと言うのだから驚きだ。
「しかしいいのか」
「ん?何が?」
「ここは特別な施設なのだろう」
「あー、でもオレ等永久無料招待券持ってるから。手に入れるのにすっげー色んなものを犠牲にしたけど、な……」
「?」
「いや、うん。いいんだ。デュークには関係ない」
「そうか」
 二つある入口の内、男性側ののれんをくぐると脱衣所だ。どうやら他に客はいないようだ。ユーリはのれんをくぐって、手近な籠の中に荷物を放り込んだ。
「ここで服脱いで、で、タオルは腰に巻いて中に入る。でも湯の中にタオルを入れるのはマナー違反だから気を付けること。あ、あと湯の中入る前に体にかけ湯をしろよー…って早!」
 ちょっと目を離した隙だ。温泉は初めてだと言うから懇切丁寧に説明をしてやろうと思ったのに、当の本人はさっさと服を脱ぎ始めている。そうして晒されるのは白い肌と銀の髪、それらが一層生える為のような深紅の衣は躊躇いもなく床に落ちた。
「―――…」
「何だ?」
 思わず呆然とその様を眺めるユーリの視線に気付き、デュークがこちらを向く。
「あ、いや…やっぱ男だなーって思って、さあ…」
 上半身裸になったところで、長い銀の髪を束ねて頭の上で結わえる。そうするとよく見える、その体躯―――やっぱりデュークは着やせするタイプだったらしい。
「それはどういう意味だ、ユーリ・ローウェル」
「ち、違う!脱ぎっぷりが男らしいなぁって」
「別に何も躊躇う必要がないだろう」
 それは単に男同志だからか、それともデュークには羞恥心というものがないのか。
(まあ意識してるオレがおかしいのか…)
 本当に羞恥心に関しては欠落しているような気もするが、ここは敢えて突っ込みを入れない事にする。
「先に行くぞ」
「あ、待てよ」
 そのままユーリを待たずに、さっさと脱いで行ってしまおうとするデュークに慌て、ユーリも服を脱いで身支度をした。髪も同じくまとめ上げて、男二人、いざ湯煙る温泉へ―――…。
「―――おー、誰もいねぇや」
「広いな」
「ま、金持ち向けのセレブ施設だしなー。いいじゃん、気ぃ使わなくていいし」
「………」
 視線を感じる。
「何だ?」
「いや…かけ湯をするんだったな」
 その辺の話はちゃんと聞いていたらしい。こういった施設なんて来た事ないだろう筈なのに、妙にてきぱきとデュークは桶を見つけ、一つをユーリに寄越してくれる。
(一緒に温泉行こうなんて誘ってみたはいいものを、今思えばホント…よく断られなかったな)
 ヨームゲンが消え、デュークはそれまで仮に住んでいた賢者の家を無くした事になっている。今は相変わらず人里離れた森の中、既に人に打ち捨てられた猟師小屋をねぐらにしているのをユーリが見つけ、半ば無理やり改築して住まわせているようなものだ。そして当然ながらそこには風呂などなく、どうしているのかと聞けば、今まで通りだ、という返事が返ってきた。
 夜の明かりも森を脅かさないように、その暮らしも、周囲の自然に影響が出ぬように。
 まるで仙人か何かだと激しく突っ込みたい。訪れるたびにそう思うが…まだデューク自身それまで捨ててきた人としての営みを受け入れきれていない今、無理に強制も出来ない。
(せめてオレがデュークに人として、人らしい生活を取り戻させなければ…!)
 もはや妙な使命感すらある。そしてデュークもユーリの提案はそう拒む事はないので、今回もここまで概ね成功だと思っていた。
「―――何をしている。裸で突っ立っていると風邪をひくぞ」
「え、あ、そ、そうだな…………」
 声にそちらを向くと、既にかけ湯すら終えたデュークが片足を湯船に突っ込んでいた。もちろんユーリが釘を刺した通り、腰に巻いていたタオルも取っている。(頭に髪を纏め上げる為に巻いたタオル以外は)何も身に付けていない。
「!!!!!!」
「ユーリ・ローウェル?」
 それは急に視界に入れるものではない。
 ユーリは咄嗟にタオルをはぎ取ると、そのまま湯船に―――ダイブした。激しく水しぶきが上がり、一瞬辺りを取り巻く湯気の量が増す。まるで霧のように、それは辺りを覆いつくした。
 ダイブした瞬間、ユーリは頭まで湯をかぶる。そして潜りながら思った事は、
(白い!)
 色々と。ただ、それだけだった。
「それが温泉に入る時の流儀なのか?」
 そのまま沈んでいる訳にもいかず、息を吐きながら浮上すると頭上から呆れた声が降ってくる。
「あ、いや…ちょっと足を滑らせてだな…」
「そそっかしい奴だな」
 言いながら、隣にぬっと足が現れ、デュークが湯船に入ってきた。それも、ユーリも真横に。こんなにも広い湯船で、敢えて何故隣に入ってくるのか。確かに連れで来ているのに、離れすぎてもまた微妙なものだが。
 なみなみと張られた湯から鼻から上だけ出した状態で、ユーリは遠い水面を見つめる。デュークは初めての温泉で、湯を手の平で掬ってみたり特有の温泉の匂いを気にしてみたりと、珍しく落着きがない。そんな様子を視界の端に見ると、やはり連れてきて良かったな、とユーリは思う。
「…………………」
「熱くないのか、それ」
「……熱い」
「何をやっているんだお前は」
 しかしいつまでもそうもしていられず、ユーリはゆっくりと浮上した。確かに熱い。ユーリだって普段からこんな熱い風呂に入り慣れている訳ではなく、いつまでもこうしたら早々にのぼせてしまうだろう。呆れ声に引っ張り上げられるよう半分程体を持ち上げると、大きなため息をついて縁の岩に体を持たれかける。
 そうして仰いだ空には、先ほど飛び込んだ時に巻きあげた湯気が晴れ、夜空が覗くようになる。そこには月が出ていた。
「あー、酒があったら良かったな。温泉に浸かりながら月見酒ってサイコーに贅沢なのに」
「酒か…飛び込んだり、潜ったり、温泉には色々な楽しみ方があるのだな」
「いや、それは違うから」
「冗談だ。本気にする訳ないだろう」
「………」
「まあ、でも」
 ぱしゃ、と水音が響く。ここにはユーリとデュークしかいない。ユーリが動かなければデュークが動いた為に立った水音だ。
 気が付いた時には、腕がこちらに伸びていた。
「!」
「たまにはこういうのも、悪くない」
 無防備だった首筋を撫でられて、ぞわ、と背中が奇妙な感覚に泡立つ。びくりとして思わず体を引けば、デュークの手はそれ以上何も触れずに離れて、ぱしゃんとまた湯船に沈んだ。
 それだけだ。それだけ…一体何だったんだ。
「!??????」
 思わず触られた場所を押さえて急に奇妙な行動に走った彼の人を見れば、何処か満足そうな顔をしているようにすら見える。普段無表情な彼の、ほんの少しの表情の変化にもユーリは敏感だ。だから分かる。今、たぶんデュークはかなり機嫌がいい。
「いつも見えない物が見えるのも、少し新鮮であるし」
 視線が確かに項を指す。確かに普段は長い髪をそのまま垂らしている為に、そんな場所日の眼に晒す事なんてそうそうないもの、だけど。感じていた視線は、気のせいではなかった。
 かーっと顔が熱くなったのは、のぼせた所為だけではない。
 機嫌がよかったのはそのせいなのか。いや、温泉だって少しは気に入ってくれた筈だ。
 
「アンタだって人の事言えない、だろ…!」
 
 しかしそう叫んだ言葉は実は墓穴だと、今のユーリは気付けないでいた。

ユーリのが一見意識しまくっているように見えるけれど、 実は気付かないだけでデュークはかなりガン見してました、みたいな。