何故、と言われてもよく分からなかった。最初はたぶん、何となく放っておけなかったから。
 ―――けれども今は。


「なー、デューク〜甘いもんないのか?甘いの」
 彼がやってくるのはいつも突然だ。突然やってきてすぐ帰る時もあれば、二、三日滞在していく時もある。今回もふらりと青い犬を連れてやってきたかと思えば、もう三日だ。
 そんな彼が勝手知ったる何とやら、まるで我が家のような振る舞いで備え付けの戸棚を探っている。そんな背中を見ながら、デュークは呆れた溜め息を吐いた。
「あると思うか?」
「思わない」
「では何故聞く…それと、お前の中では他人の部屋の戸棚を勝手に開けていいとなっているのか?」
 ないとわかると彼は腰に手を当て、持参した道具袋を漁り出す。そのしゃがみ込んだ背中に問い掛けると、まさか、とユーリは頭振った。
「流石に他人の家じゃしねーなあ。あ、でも敵の本拠地とかは別だな。頂けるモンは頂いていくぜ」
「ふむ―――敵の本拠地、か…」
 何故勝手に戸棚の中を漁られねばならないのか。
 確かに過去、彼等とは敵同士だった。そう考えれば納得がいく。彼の行動と言い分に何の異論はない。
「ちょ、おい、違うから!」
「?」
 が、どうやら違うらしい。
「別にお前が前まで敵だったからそーいう考えで棚漁ってるワケじゃねーぞ!ていうか『敵だ』、とか考えた事ないし……」
「そうなのか?」
「……オレ、アンタに一度もそんな事言った事ないだろ」
 結局道具袋の中にもめぼしい甘味がなかったらしい。しかしそれ以上の落胆ぶりを見せて戻って来たユーリは、ぼすん、とベッドに腰掛けるデュークの隣に腰を下ろした。その横顔はやはり、何処か怒っているようだ。
(しかしあの時、確かに我等は敵対した)
 ―――星喰みから世界を人ごと守ろうとした彼等と、世界をそのようにした元凶たる人を犠牲にし世界を守ろうとした自分。
 敵対するのは目に見えていた。そして彼等の大義の前に自分は敗れた。世界は大きく様変わりした理を元に、人と共に再び始まる事を望む。敗した自分に居場所などありはしないだろうと思っていた…それは、十年前のあの時と同じだ。
 けれども、
「アンタはずっと敵じゃない。同じ目的を持って行動していて、ただちょっとそのやり方がオレたちとは違っただけだ」
「その少しの違いで、私は人を滅ぼそうとしたのに?」
「オレがアンタと同じ境遇だったら、同じ選択をしたかもしれない…それだけだ」
「………」
 こうして今いられるのが、恐らく彼のおかげだとわかる。本人は口にしないが、何らかの口利きをしてくれたのだろう。何の咎めもなく、こうして生きている。
 まるで十年前エルシフルを殺し、すべての真実を闇に葬った時のように。
「ではお前は、私を監視しているのか?」
「……………はあ!?」
 傍に寝そべるラピードに手を伸ばし、その毛並みを撫でる。人以上に賢いとも思える彼は、あまりユーリ以外に懐かないのだと聞いた。
 同様にその主人も、
「時たま訪れては、特に何をするでもない。私が勝手に死なないよう、もしくは、また同じよう人に害を為さないよう監視をしているのか」
 簡単に人に懐くものではない、と。
 デュークは僅かに目を伏せ、そして隣に座るユーリを見据える。彼は一体こちらが何を言うのかと、まるで警戒するように睨みつけていた。しかしその程度でこの口を、止められるものではない。
「だがそんな監視など必要ないだろう。もう私は何人も必要としなければ、何人も必要とされない。私に監視の時間と手間をかけるのも無駄だ。私には何も出来ない。ユーリ・ローウェル、お前には他にやるべき事が……」
 
「―――勝手に納得して、勝手に決め付けるな!!」
 
「!」
 初めて、彼が自分に対して声を荒げた。撫でていたラピードがぴくりと頭を上げ、そのままひらりとベッドから降りて部屋を出て行く。部屋の中に座ったまま彼を見上げる自分と、立ち上がり、こちらを見下ろすユーリを取り残したまま。
「アンタを監視してる?オレはそんな事ひとっ言も言ってないのに勝手に決め付けんな!」
 何かが彼の逆鱗に触れたらしい。しかしデュークも疑問を口にした以上、ここで引き下がる訳にはいかない。ユーリのこれまでの行動には納得出来ない事が多すぎた。
「口にしたら監視にならないだろう…しかし、監視でないならば何の必要がある。何故、私の領域に踏み込んでくる」
「そ、れは」
「ユーリ・ローウェル」
 何が違う。どう違う。
 これまで思いこそすれ、口には出さなかった疑問がもはや止められない。いい機会だ。このまますべて流されるままでいるには、ユーリと過ごした時間はあまりに長すぎた。デュークが生きて来た中で、人との関わりのある時間は限りなく少ない。その中の多くを彼が占めつつある今、口にした疑問を収める事が出来なかった。
「ユーリ・ローウェル、お前は私に何を望む。そして、どうしたいのだ」
「え!?……ど、どうって……」
「納得のいく説明を」
「せ、説明……」
 ひたりと目を見詰めて問えば、それまでの勢いはどこへやら。ぴたりと動きを止めた後、途端にうろたえ出すユーリの視線がデュークから逸れ、ゆらゆらと天井をさ迷う。
「どうしたユーリ・ローウェル」
「………あー」
 呼びかけに、一瞬視線がこちらに投げられる。何か言いたげだと言わんばかりの視線は、しかし何も言わないまま苛立ったようにがしがしと髪を掻き乱し、そのままぼすんっと先程より乱暴にデュークより少し離れた縁に腰を下ろした。
 ベッドが跳ね、デュークの髪も揺れる。ユーリの手がぎゅ、とシーツを掴んでいた。
「………………かよ」
「?」
 離れていると言っても人二人分くらいの距離だ。しかも同じ部屋にいて、しかしデュークにはユーリがようやく絞り出した声を聞き取る事が出来なかった。
「すまないユーリ・ローウェル、よく聞き取れなかった」
「……だから!会いたい奴に会いに来るのに、会いたいって理由以上の何かが必要なのかよ…!」
「!」
 ずいっと身を乗り出したユーリが、溜め込んでいたものを吐き出すかのように叫ぶ。デュークは面食らう。しかしそれが彼の勢いに対してなのか、それとも言葉の意味に対してなのか、正直よくわからない。
 ただ、
「そう、なのか……」
 それらをかみ砕くように心に止めて、もう一度心の中で反芻した。
「……そーだよ!っちくしょう、恥ずかしい事言わせるな…」
「恥ずかしい事なのか?」
「恥ずかしいだろーが!だから何度も聞くなって…大体、いきなりそんな事聞いてくるアンタもアンタだ。オレにそんな事聞くチャンスなんて、いくらだってあっただろう」
 それもそうだ。しかしユーリが訪れるようになった最初の頃は確かに疑心もあった。けれども繰り返す内に慣れてしまった。今日尋ねたのは単にきっかけがあっただけ。ではきっかけさえなければ、この状況はいつまでも続いたのだろうか。
(こういうのを、一体何だと言っただろうか)
 人の世を離れ、悠久の流れにあるエンテレケイア達と多くの時を過ごした為か、多くのものが今の自分には欠けているとデュークは自覚している。それはこの目の前にいる、多くの感情をぶつけてくれる彼と共にいる時間が長ければ長い程。
 こういう時に言う、人の言葉は。
「私は別に、お前が訪れる事を嫌だと思った事はない。ただ…ただそう、少し不安だったんだろう」
「不安?アンタが?」
「ああ。きっと恐らく、いつかお前にまで裏切られるかもしれない事が不安なんだ。そしてそれをお前の口から聞くことが」
 それならば全て知った上でいたいと、そう思ったのかもしれない。その自覚はいまだに朧げで、自分でさえ覚束のないものだが。
「オレは別にアンタの事騙してねぇし、裏切りもしない」
 ぎしり、とベッドが軋む。わざわざ空けて座った距離を自ら詰め、ユーリはデュークと向き合った。
「オレはアンタに…デュークに会いたいからここに来るし、これからも来る。でもそれがデュークにとってすげぇ迷惑なら、ちっとは考える、けど……」
 考えはするが、やめる、という選択肢はないのか。デュークは嘆息し、そして考える。
 言う必要のないものは言わなくてもいい。言う事によって状況が悪化する事や、言われた対象にとって結果、それが良くない時もあるからだ。自分もずっとそうしてきた。それがその者の為だと思っていた。
 けれど、
(不思議と、もう不安はない、な)
 その口で、その言葉で。
(こういうのを、一体何だと言っただろうか)
 同じ思いを繰り返す。
「……何か、そこで黙られるとすっげー気まずいんですけど…」
「―――別に構わない」
「え」
 シーツの皺を指でいじけたように辿るユーリが、デュークの声に顔を上げる。その顔をひたと見つめ、デュークは己の思う事を口にする。
「別に構わない、と言ったんだ。お前がここを訪れる事はお前の自由だ。私に、それを拒む理由はない。それにお前が来ると―――不安ではなくなる」
 世の中には口にしなくてはいけない事と、口にしてはいけない事がある。これはたぶん、きっと自分にとっては口にしなくてはいけない事なのだ。
 すると目に見えて、ユーリの表情が変わった。少し、頬が紅潮しているのは恐らく、気のせいではない。
「好きにしていいってことか?」
「ああ。だが、戸棚を開ける時はせめて一言くらい言ってからにしろ」
「それは…まあ、悪かったよ。気を付ける」
「そうしてくれ」
 素直に非を認める彼に頷き、デュークは立ち上がる。
「どこに行くんだ?」
 部屋を出ると、ラピードがそこで待っていた。傍によると頭を上げて懐いてくるので、ぴんと立ちあがった耳ごと撫でてやる。
「近くに果物の木がある。ちょうど実を付けているからそれを食べればいい。完熟していれば菓子より甘いだろう」
「!い、一緒に行く」
「ああ」
 ばたばたと立ち上がったユーリが背後から付いてくる。果実の生っている木は背が高いから、もう一人いると採取に楽で有難い。
 一人ではない、と言う事は様々な付加価値がある。けれどもこういった利便性を抜きにして、何か得るものがあるのではないか。それが彼…ユーリ・ローウェルと共にいる事でデュークの中で確実に実っていく。
 それが一体何という名の果実なのか、まだデュークにはよく分からない。
 けれどそれはけして不安の種ではなかった。

ちょこっと気付きかけている。 きっと二人の傍にいるラピードが一番やきもきしてそーな展開ですが…。もうしばらくこんな感じです。