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                          平成19年11月1日掲載

西国三十三観音(第七回)22番・20番」H19.10.15

  
                                 20番 善峯寺

   第7回目の西国三十三観音参りは、秋の自然をたっぷり楽しみつつ、心の修養を深めようと22番総持寺(大阪)・20番善峯寺
  (京都)・番外元慶寺の山深き寺々を列車を乗り継ぎ、ウォーキングをしようと計画した。日帰りのため、朝は少しでも早い列車に
  乗ろうと、金山発7時29分発のJRで”米原”乗り換え、摂津富田から阪急京都線で総持寺へ11時半ごろには着く予定であっ
  た。
   ところが「JR金山」に着いたところで「信号機の故障により運休」とのこと。朝の通勤客でごった返す改札口付近は「復旧の
  メドはたちませんので大垣方面へお越しの方は名鉄で新岐阜まで行きJRに乗り換えて下さい!」との係員の声が聞き取れないほ
  どであった。「振替輸送」の証明切符をもらって、再び名鉄の金山へ戻った。
   しかし、私達のメンバーには大垣から乗る予定の人がいたので、「予定の列車が運休になった」ことを携帯で知らせた。こうい
  う緊急事態が発生した時には「携帯」が威力を発揮する。もし連絡がとれなかったら、今回のお参りは中止するか、予定を大きく
  変更せざるを得なかった。
   岐阜で東海道線に乗り換えるため10分位歩いた。その時、今話題になつている岐阜の超高層ビルが見えた。生まれ変りつつあ
  る町並を横目に、急いでJRの駅へ・・・。列車の運休事件で、マゴマゴしている私達に通勤客の男性が乗り継ぎ方を親切に教え
  て下さり、ご自身は岐阜からバスで会社に向かうのに、私達のためにわざわざJRの駅まで案内して下さった。久しぶりに心が熱
  くなった。
   やっとメンバーと合流できた時はホッとした。このハプニングのため予定時刻が大幅に遅れてしまったので3つ目に予定してい
  た番外元慶寺は中止した。バスツァーでは体験できない事象に遭遇したことにより、貴重な社会勉強がいくつも出来た。

    
   22番総持寺の楼門。高野山真言宗千手観世音菩薩が本尊。寛平2年(890)創建。亀に乗った本尊は、織田信長の兵火にも焼
  け残ったことから「火除の観音」と呼ばれている。楼門を入った左手にある「包丁式殿」では毎年4月18日に、山陰流包丁式が
  催される。包丁塚もあった。楼門の両側には木造りの仁王像があった。

    
   楼門をくぐると正面に本堂がある。               次は、20番「善峯寺」 天台宗千手観世音菩薩。長元
   何を念じてか「千手観世音菩薩」に手を合わせた。「列車    2年(1029)創建。源算上人が小堂を建てたのが始まり。
  の運休にもめげず、よくぞたどりついた」と観音様がほめて    応仁の乱で焦土と化したが、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌
  くださったような気がした。                  院の帰依により復旧したと言われている。

    
   本堂の前の大きな扇の板には「癒しの聖地よしみね寺のお     秋の善峯寺は広い寺のいたるところに秋明菊咲き乱れて
  守り」「からだのいたみ・こころのいたみ・あらゆるいたみ    いた。
  霊験あらたかなお守り」と書かれていた。本堂に入ってお詣
  りができた。

    
   善峯寺は、日本一誇る樹齢600年全長40mの天然記念     起伏にとんだ境内の高所からは、京都全体が一望でき、
  物「遊龍の松」があることで有名。               すばらしい眺めであった。この写真は光学12倍のデジカ
   何十本の支柱にささえれられた五葉松の枝が龍のように曲    メ望遠レンズで撮ったもの。京都市街の様子が手にとるよ
  がりくねって横に伸びていた。2代目の子供の松が育ってい   うに分かった。
  た。

    
   山全体が境内という善峯寺の高所から寺の一部を広角レン     5代将軍綱吉の生母桂昌殿(昭和62年建立)花山法皇の
  ズで写した。今登ってきたところが眼下に広がって雄大な光    西国中興一千年記念に建立された。
  景であった。山林 425,000坪が寺領。境内の何箇所かでNH      善峯寺には桂昌院にかかわる品が1200点ほど残っている
  Kの現地ロケ隊に会った。教育番組の英語番組とのこと。ぜ    とのことである。
  ひ放送を見てみたい。

    
   献歌碑(桂昌院自筆)                     「蓮華寿院庭」 昔、青蓮華院の宮様が代々善峯寺の住職
  「たらちをの 願いをこめし寺なれば われも忘れじ 南     をつとめられたという。
  無薬師仏」と石に書かれていた。                 一部紅葉した木が池に写っている姿が可愛らしかった。


    
   奥の院薬師堂から蓮華寿院庭を見て、寿蓮の滝から稲荷神社の横を通り観音堂へ戻る裏山道は、静寂でとても心癒される時間
  と空間であった。紅葉にはまだ至らない「楓」が新緑を思わせるみずみずしさであった。紅葉の時期にもう一度訪れてみたいと
  思った。

    
   本坊の裏にある小さな池には大きな錦鯉が泳いでおり、池     行きは山門近くまでタクシーで乗りつけたので楽だった
  の周囲には、今をさかりと秋明菊が咲き誇り「極楽の世界」    が、帰りは急な勾配の下り坂を500〜600mの鋭角ヘ
  足を踏み込んでいるかの にような錯覚を感じた。        アピン坂道を徒歩で降りた。
                                「楽あれば苦あり」とはこのことか・・。つま先と膝が完全
                                 に泣いていた。今回は出足をくじかれたが、それを補うに
                                 足りる一日であった。

   次回は11月下旬。京都の紅葉を楽しみながらの巡礼の旅をしたいと思っている。