まるで夜の砂漠に落ちる銀色の月の光の雫みたいなその髪を、例えどんな場所で見かけたって見落としたり見間違えたりする訳がないんだ。

 何か大きな影が、先程頭上を通過していった。
 この世界、テルカ・リュミレースの空を飛ぶ力を持つものは、数える程しか存在しない。鳥と、魔物と、精霊と、懍々の明星と呼ばれる人間を乗せたエンテレケイアだ。
 この森を出た先に人間たちの大きな街がある。恐らく彼等はそちらに向かったのだろう。
「………」
 デュークは立ち止まり、彼等が飛び去った彼方を見る。鬱蒼と生い茂る木々の隙間からは、僅かな空しか覗けない。
 ここはケーブ・モッグ大森林。人を拒む原初の森。ここには古来より人の手の入らない森。デュークの他は魔物と動物と、生い茂る木々しかない。
 デュークはしばらくそのまま見上げていたが、やがて踵を返してその場から立ち去る。
「―――デューク!」
 しかしそこに響く、人の声。そしてそれによって呼ばれる自分の名。
 再び足を止めて振り返った視線の先に、がさがさと草木を掻き分け現れる黒衣の人。それは見知った者であり、この世界でデュークが名を呼べる事のできる、数少ない人でもあった。
「ユーリ・ローウェル」
 名を呼ぶと、その顔に笑みが浮かぶ。
「やっぱ、いた。つーかこんな所で何やってんだよ一人で」
「私はいつも一人だ。お前達こそ、この先の街に行ったのではないのか」
 しかも飛び去ってからまだそう時間も経ってない筈だ。街に辿り着いてから追いつくには、いささか不可解さが残る。その疑問を暗にぶつければ、ユーリははは、と肩をすくめて笑った。
「何だ、見てたのかよ?あいつらは先にダングレストに行ってる。オレは上からアンタを見掛けたから、その辺の高い木を伝って降りて……」
「………」
「何だよ。呆れてるだろ」
「ああ」
 何故そうまでして。
 どのみち森の出口は一つだけだ。共に行動していたエンテレケイア達が精霊として還った今、デュークは人と同じ交通手段しか持たない。それならば入口で待っていればいい筈だ。
「武醒魔導器もない今、危険なだけだ」
 漆黒の髪のあちこちに枝や葉を生やした状態は、本人が言う通り木を伝って降りてきた為だろう。その有様を含めて忠告をしてやると、今度は目に見えて機嫌を損ねたように頬を膨らませた。
「別にここのモンスターくらいなら、俺一人でも訳無い…」
「―――…、そう思っているのはお前だけのようだな」
「……え?…って、ラピード…」
 しかしユーリの背後の茂みが鳴り、そこから青い隻眼の犬が現れる。流石は獣と言った所か。枝葉だらけのユーリとは違い、その毛並みを汚した風もなくするりとその隣にくる。
「何だよ、ついてきちまったのか?あいつらとダングレストに先に行っとけっつっといたのに」
「う〜…わふっ」
「はあ?オレの事が心配だあ?別に何も心配する事何てないだろ。デュークもいるし…」
「わんわん!」
 何故会話が成立しているのかは謎だ。しかし、ラピードが言いたい事はデュークにも分かる。
「ユーリ・ローウェル。それは出会えたからの結果であって、そこに至る過程と、会えなかった結果への保証は出来ない」
「わふ!」
 自分の言葉に同意してくれたのだろう。賢い犬だ。
「!」
 思わずすっと手を差し出すと、指先の匂いを嗅がれ、ぐるりと頭を手の平に擦り付けられた。そのまま何となくその頭を撫でてやれば、ふとユーリの不機嫌そうな様子が目に付く。
 何故彼がそんな顔をするのか。デュークにはわからない。
「何故お前がそんな顔をする」
「別に……」
「………」
 膨らませた頬のまま視線を反らされた。デュークはどうしたものかと考える。考えて、そしてラピードを撫でていた手を離し、視線を自分から反らしているユーリへと伸ばした。
「!な、何だよ」
「動くな」
 気付いたユーリがびくりと体を引こうとするのを制し、更に手を伸ばす。その手はユーリの頭へ…。
「…!……な、にして」
「汚い」
 言って、デュークはユーリの髪に付いていた小枝や葉を取り除いていく。木を伝って降りて来たと言ったのを如実に語るように、長い髪にはあちこちゴミが付いていた。性格からたいした手入れはしてない筈の髪だが、夜の闇を解かし込んだような艶やかで美しい黒髪は嫌いではない。
 そしてその美しいものが汚れている事はあまり好ましくない…と、そう思ったから。
「少しは気にした方がいい。それとあまり横着はするな」
「横着って……」
「心配をかけるな、と言う事だ」
 綺麗にゴミを取り除いた髪を、デュークはさらりと撫でる。ついでにわしわしと頭頂部を掻き混ぜるようにしてやると、ユーリはきゅっと顎を引いて肩を竦めた。
 その顔は複雑そうだ。けれども何故か嬉しそうにも見えた。
「も、もういいだろ。それよりこんな所で何してるんだよ」
 ぱっと体を引かれ、今度こそユーリが離れる。それによってデュークの手も自然と離れ、ああ、と思い出したように呟いた。
「エアルクレーネで順調にエアルがマナに変換されているか、その様子を見に来た」
「そんなん、精霊たちがうまくやってくれてるだろ。リタやアスピオの学者達も目を光らせてるし」
「しかし、この新しい世界は歩み出したばかりだ。何が起きるかは誰にも計り知れない。そして、何かが起きてからでは遅い」
「―――アンタって本…っ当に世界が好きだなあ」
 正直に話したと言うのに呆れたように言われた。しかし、デュークには呆れられる意味がわからない。
 今在る者達に委ねた世界は、今まで自分が守ろうとしていた世界とは違う。
 しかし、それでも。

「友が守り残した世界だ。そしてお前が守り残した世界でもある…ユーリ・ローウェル」

 今の世界の在り方の全てを受け入れた訳ではない。けれども、世界はまだ、ここにある。それが現実だ。この先どこまで続くかは、今ある者たちの手に委ねられてはいるが。
 少なくとも全てを受け入れられずとも、感謝すべきだろう。特に目の前にいる、この人には。
 その思いを面と向かって口にしたのは初めてだ。
「〜〜〜!おま…っ、そういうのいきなり言うの反則だ…っ」
 するといきなりユーリが怒ったように声を上げた。しかし、彼を怒らせるような事を言った自覚はデュークにはない。少なくとも、感謝のつもりで述べたつもりだったが。
「何がだ?」
「もーいい!さっさとエアルクレーネ行って帰るぞ!」
「ついてくる気か」
「俺一人じゃ心配なんだろ!」
 ぐいっと腕を掴まれ、ずんずん森の奥に引っ張られる。先行するユーリの頬が赤くなっているのがデュークからは見えた。
(怒ってはいないのか)
 口にすると、ますます彼は頑なに否定するだろう事が何となくわかり、デュークはその事は口を噤む。
「……まあ、そうではあるな」
「肯定されてもムカつく!」
「お前は一体どうしたいんだ、ユーリ・ローウェル……」
 名を呼んで、呆れたため息が漏れる。けれども先行しながら腕を引くその手を振りほどく気にはなれず。そんな時にひっそりと思わず漏れたデュークの笑みに、振り返らないユーリは気付く事はなかった。

初めてのデュクユリ。 ユーリはあのパーティメンバーの中でこそ大人だったけれど、 デュークの前だとやっぱ年下の男の子な訳で(笑)