ボランティア論A
1年後期レポート(2450文字)

 ボランティア論 レポート 〜主体性・福祉教育・ボランティア〜

 まず初めに、私がこのボランティア論を履修し半年間ボランティアについて学び、独学で学ん
でいたボランティア論と清水講師のボランティア論との基本概念や、考え方、またその実践に
ついて新たな発見をすることができ、実際のボランティアに活かすことができました。学問の考
え方は、自分の意見・感想だけでは狭意で単一性になってしまいがちだが、第三者の意見や
感想、理論や概念を知ることによってより豊な発想力や研究の材料になると思う。そこで、私な
りのボランティアについて述べたいと思う。

 まずは主体性について私の意見を述べようと思う。ボランティアに関する考え方は、ひとそれ
ぞれまったくといっていいほど異なっていると私は思う。ただ、ボランティアの基本概念について
は、少なくてもボランティアを志している人なら同じものをもっていると思う。それが主体性であ
る。自らの意思でボランティアをやろうと思わない限り、一般の人が収入のない、金銭的利益
のまったくない活動をするとはまずすることはないだろう。しかし、なぜ人はボランティアを行う
のか。それは自らの意思(主体性)により、"人のためになにかを無償でやってあげよう""困っ
ている人を見捨てられない、助けてあげよう"という慈愛の精神から発生する人間特有の行為
であるからだと私は思う。清水講師の講義資料の中にも書かれていたが、「しなくてもいい活
動」とボランティア活動意欲がなければボランティア活動は低下するとあるが、わたしはこの意
見に賛成である。ボランティアとは個人の意欲と活動によって支えられていると思う。この点で
のちに述べる福祉教育の理念について私は疑問をもちます。

 例えば、どこかで大きな地震がおこったと仮定する。するとテレビなどから地震のことを知っ
た人々は、「被災者になにか援護をしてあげないと」とか「自分にできることがあるか」など、本
人がボランティアだと思っていないこと(感情的・同情心など)からもうすでにボランティア活動が
始まっているのである。翌日には、街角や学校などで被災者救援のための募金活動が行わ
れ、人々は募金をする。小学生などは募金の意味など知らずにみんながお金を箱に入れてい
るから、自分も入れてみよう、とするなど(この例に関しては正確な意味のボランティアではな
いが)人々は自らの意思=主体性でボランティアに参加する。つまりボランティアの概念とし
て、「なんらかの、人が助けを求めている状態もしくは状況について、人間の心理にはたらく慈
愛・友愛の精神によって自ら救援のために活動すること。」と私は定義する。

 次に、福祉教育について私の意見を述べようと思う。国民の社会福祉に関する活動への参
加の促進を図るために、幼少期から福祉活動の体験を通し、福祉への主体性・自主性、人間
関係などを経験し、豊な人格を形成し、生涯を通した福祉教育・学習の機会をあたえるという
意味ではこの福祉教育はすばらしいと思う。自分から何か課題を見つけその解決法を自ら探
す、問題を解決する能力を身に付け、世代別の人々との関わり方や礼儀やマナー等を体験的
な学習で学ぶことはこれからの学校教育として必要だと私は思います。しかし、幼少期からの
学習なので正しい福祉教育を行わないと社会福祉のあり方やボランティア活動について誤った
知識を植え付けてしまうおそれがあると私は思います。例えば、「ボランティアは福祉教育でや
ったからやんなきゃいけないんだ」とか「ボランティアってあの授業でやったよね」など、本来の
主体性に欠けた、教えられた・教育されたボランティアになってしまうのではないかと心配で
す。また、現在教育改革国民会議中間報告でまとめられた「小中学校で2週間、高校で1ヶ
月、共同生活を送りながら農作業や高齢者介護などの奉仕活動を行い、将来的には満18歳
の国民すべてが1年間程度の奉仕活動を行う」と、提言していることについて私は少なからず
反対の意見をとる。確かに、福祉教育の推進・前進にとってはいい案だが、私にはこれはやり
すぎだと思うと同時に福祉の主体性が逆に育たなくなるのではないかと考える。これからの少
子化、家族、社会構造の変化に伴い子供たちの質もより複雑化し、忍耐力や協調性の欠けた
子供が増えると思う。そうした子供に義務だからと言って福祉を推し進めて欲しくない。ただ、
福祉教育と言う福祉と関わるきっかけをつくってやり、子供たちの自主性を基本とする教育を
進めるべきだと私は思う。要するに、きっかけとやる気をいかに引き出し、子供が主体となって
問題を解決することがより豊な福祉教育のあり方だと私は思います。

 前述の主体性と福祉教育の根元の考え方がボランティアだと私は思います。しかし、この3
つは複雑に絡み合っているのでボランティア論を説明するのは、いろいろな考え方があるので
一筋縄にはいきません。ボランティアは無償性が基本だが、私の経験上、生活介護を実際に
行うと本当にこれはボランティア(無償)としてやるものなのかと、少なからず思ってしまう。現に
私の行っている生活介助は、身の回りのこともあわせ普通はホームヘルパーや在宅介護とし
て報酬を得ているハードな仕事と同等のことをおこなっているのである。私は報酬よりも介護
者との交流やふれあいをメインとしてボランティアを行っているのでたいして金銭的な問題は気
にならないが、福祉教育などでこれと同等のことを子供たちに体験させてしまうと、ほとんどの
人が割に合わないと福祉について無関心になってしまうと思う。これも、ある意味での主体性
だがやはりボランティアは個人の考え方が大きく作用すると思う。

 21世紀を支えるボランティアのあり方について、個人のボランティアに対する考え方、主体
性、そしてやはり福祉教育の内容とあり方だと私は考える。この3つが完璧に作用すれば個
人・社会、そして福祉を支える大きなはけ口になると私は思います。



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