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8日間のスウェーデン研修において、私は言葉では表すことが出来ないほどの様々な
経験をした。現地で経験したすべての事が自分にとってプラスになったという訳ではない が、今でも私の20年間の足跡の1ページとしてしっかりと刻まれています。
この研修では、スウェーデンの社会福祉についてはもとより、自分自身について考える
ことが多かった。今までに深く自分という存在について考える事がなかったので、しっか り自分と向き合い自分が何を考え、何に感動し、何をしたいのか、という「自己解析の 旅」というサブタイトルとして自分の中で意味のある8日間であった。
スウェーデンに行くまで、私は「スウェーデンの福祉」を学ぶ事だけを考えていた。自分
自身について考える事など少しも思っていなかった。今、何故このように思っていたのか を考えてみると、日々の日常の忙しさに追われて、自分自身について考える余裕がなか ったからだと思う。もっと深く考えてみると、この傾向は私が中学生の頃から自然と考え るようになってしまっていて、今までこれが当たり前だと思っていたので、その壁を壊す きっかけを与えてくれたのが訓覇さんであった。
まず、一番最初に自分自身について考えさせられるきっかけになったのは事前学習の
時であった。班の出し物の準備をしているとき、自分自身のことについて初めて意識し た。班の企画について他の全員が理解しているのに僕だけが理解できなかった。このと き、初めて自分のことがわかった。"僕"は、難しい事は比較的簡単にすぐ理解してしま うのに対し、簡単な事については考えすぎてしまってすぐには理解できない、ということで ある。今まで僕は受け身型の勉強しかしなかったので、訓覇さんの話のなかで学問の話 を聞いたとき、すごく胸に突き刺さるものがあった。「ただテスト勉強の為に暗記したもの はすぐに忘れる」。今の僕そのものである。この話を聞いてから、過去の自分が本当に 興味を持って勉強したものはほとんどなかったことと、テストだから勉強しなきゃという意 識ですべての事に取り組んできたことに気づいた。今までうすうすこのことは気づいては いたが、なるべく考えないようにしていた。今の自分を否定してしまう事になると思ってい たからだ。けれど訓覇さんの話を聞いてそのことを受け止めることが出来た。バスの中 と最後の講義の時の訓覇さんの言葉は僕を変えてくれる大きな1歩を与えてくれた。
現地研修中でも、自分自身について考える事が数多くあった。その一つに、視察訪問
があげられる。僕は今までの過去も含めてスウェーデンの施設や現地の人の話や、訓 覇さんや児玉先生の講義を聞くことや学んだ事をノートに書き写す事で、何かを学んだ 気分で何かが身についたと思っていた。いや、そうであった。案の定僕は、どの視察先 でも真っ先にノートを広げ訓覇さんや都志子さんの通訳している言葉の一字一句やその 施設・作業所の雰囲気を書き取っていた。その日の講義で訓覇さんの言った「本当に関 心や興味のあることは、自然に覚える」という言葉が今でも頭の中に残っている。さらに 「感じたことは頭に残るからノートは書くな、ノートを取る事によってその記憶(感動)は薄 れる」と言っていたことが印象に残っている。次の日の視察の時、ノートは取らないと心 に決め、その雰囲気を感じて(feel)こようと思ったが、数分も経たないうちにノートを広 げすべてのことを記録しようとしている自分がいた。実際、その日の講義の時間でもノー トを見ないとその施設のことを思い出せなかった。自分では意識して視察したつもりであ ったが、その時だけの記憶で、いわばうわべだけの視察であったことに気づいた。ノート を取ることに夢中でfeelする事が出来なかった。過去の自分がいかにこの方法で学んで きたかということが証明された。このとき、訓覇さんの言っていることの意味がわかっ た。
また、訓覇さんとの話の中で、僕は「取り合えず」という曖昧な表現が口癖になっている
ことに気づいた。今まで、話の中で行き詰まった時や日常の会話の中でこの「取り合え ず」という言葉を使い自分を偽っていた事や、思ってもみないことを「そうだね」とか「あ ぁ、そうなんだ」という表現を使い、全体を丸く治めようとしていた。このことから、僕はあ まり自分の意見をもたない「受身」の性格なんだということを痛感した。
事前学習のときもそうであった。自分が知りたいということが何かわからず、"取り合え
ず"与えられたものをすべて覚え(暗記)ようと思っていた。班発表の時も、ただ班で発表 するテーマに沿った当り障りのないレポートやレジュメを作っていた。その事柄について 追求意識がなかった。しかも、班発表の当日はPSWの選考試験と重なってしまい他人任 せの発表になってしまった。さらに、他の班の発表の時も、発表内容に疑いもせずお決 まりの「あ~、そうなんだ」と受け流していた。自分にとっての事前学習はスウェーデンに ついての発表会的集まりであったのかもしれない。
僕が受身的考えの性格だという決定的な事柄として、「スウェーデン=福祉国家」とい
うことに全く何の疑いも持たなかった。大学の講義やテレビなどから、先天的に自分自 身が体験したわけでないのにスウェーデン=福祉国家という図式が僕の中に存在した。 事前学習のときもそうであったが、書いてあることや言われたことに「なぜそうなのか?」 という問題意識が僕にはなかった。インターネットや本の参考文献が記載されていても 調べてみようとは思わなかった。あとから考えようとその場の答えから逃げていた。何を 聞いても即納得してしまい、何がどう進んでいるのか、本当に知りたいのは何なのかわ からないまま、ただ流されるようにスウェーデン研修を迎えてしまったように思う。例え、 発表内容が間違っていてもそのことをすべて本当のことだと理解してしまっていてだろ う。逆にいうと、事前研修で発表した事だけならすべて理解し、わかっていると自分で思 ってしまっていた。
この研修で一番感じたことは、「自分の思っていることは相手に直に表現しないと伝わ
らない事」「他人からのアプローチを待っているだけでは何も始まらない」「自分の意見 (イメージ)を伝える事は難しい」という3つのことであった。この3つを統合すると「自分 から積極的に動け」という自分なりの答えにたどり着いた。この事を気づかせてくれたス ウェーデン研修と、なにより私に正面からぶつかってきてくれ自分を変えてくれるきっか けを作ってくれた訓覇さんに心から感謝したい。
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