2001年9月17日  骨折で入院!!     2002/1/1 掲載 

 昨年の9月に、骨折で入院しました
 9月17日の午後に、「もう、ヒガンバナが咲いている」ど、冨貴のお宮さんの境内のヒガンバナの写真を 撮りに行きました。写真を撮り終わり、家に帰ることにしました。電動三輪車から降りて、家の玄関の戸を 開けました。その時、変なことがおきました。目がおかしくなったのです。左目が 見えなくなり、右目も半分しか見えなくなったのです。おかしなと思いました。
 それからのことは、記憶がなくなり、覚えていませんが、倒れた拍子に骨折したようです。「痛さ」で 「うんうんうなっていたら」、近所の人が気がついて、助けてくれました。立ちあがることは、痛くて 出来ませんでした。そのときは、記憶がありました。
 それで、近所の人が救急車を呼んでくれました。救急車の人が、 「病院をどこにする」かの問い合わせに、自分から、「杉石病院」を指定 しました。、一旦、「杉石病院」に向かいました。「杉石病院」には、 私の主治医がいるのです。それで、救急車の人に「杉石病院」と答えたと思います。
 「杉石病院」では、早速レントゲンを撮りました。その結果、骨盤の骨頭の骨折と分かりました。 ところが、「杉石病院」では、手術は出来ないので、「榊原整形病院」か「半田病院」に行ってくださいと のこと。私は、脳出血で「半田病院」に入院していたことがあるので、「半田病院」を選びました。
 またまた、救急車で「半田病院」まで搬送してもらいました。「半田病院」でもレントゲンを撮りました。 やはり、骨頭の付け根のところの骨折とのことでした。家内は、知人と 出かけていました。家に帰って近所の人に聞いて、「半田病院」にかけつけました。私が病棟に移動する ときは、付き添いが可能でした。
 病院の先生によると、「骨頭は、繋いでも壊死する可能性が高いから、人工骨頭を つける手術をする」と いうことでした。手術は、木曜日に実施されました。骨折というと「ギブス」に巻かれた痛々しい姿が想像 されますが、人工骨頭の手術は、自分の骨頭を取り除き、大腿骨をV字型に切って、そこに人工骨頭を はめ込むという方法で手術は行われました。
 私の場合は、右半身麻痺があり、左の足の骨折であるから、以前の状態に戻ることが困難である、「車椅子 での生活になることもかんがえる」と、家内は、病院の先生から言われていたということです。
 手術の後は、リハビリが待っていました。手術後のあくる日から、リハビリは始まりました。リハビリの 先生は、以前、脳出血で入院したときと同じ先生でした。手術後約5日で、歩行器を使い、先生に腰を 持っている状態で10メートルくらい歩けるようになりました。しかし、先生に腰を持ってもらわないと、 立つ事が出来ない状態であったから、トイレに行くことは、まだ無理でした。
 私に取って幸なことに看護の実習生がついていましたから、私が出来ることが多くなってくると、実習生は、 私のことを見守ってくれて、どうしても介護が必要なときだけ介護をしてくれました。例えば、2週間目に、 実習生にトイレを使うことをしましたが、始めの内、車椅子から立つときは、腰を持ってくれましたが、 私の力がついてくると、トイレの外で待ってくれるようになりました。
 手術後3週間たつと、自分の力で病棟病院の生活のほとんどできるようになりました。 ただし、車椅子の生活でした。夜間の尿は、看護婦さんに尿瓶で取ってもらうことが、まだ続いていました。
 歩行のリハビリは、3週間目になると、1階のリハビリ室で行われました。リハビリ室の階段の上り 下りもしました。しかし、病棟での自分1人だけの歩行練習は、許可されませんでした。半田病院の 中央階段を登り、病棟の階段から降り、リハビリ室に帰るときになっても、病棟での自分の自主トレは、 見とめられんでした。そこで、回診の先生にお願いして、「手摺を持ってやる歩行練習」をやることを 見とめてくださいという許可をもらいました。この時までは、手摺で車椅子から立つということをやると、 看護婦にしかられていました。
 先生の許可をもらったから、手摺を持っての歩行練習ができますから、1日に 2から3回、自主トレを始めました。正規のリハビリの時間と自主トレの成果で、 手摺を軽く持つことで歩行が出来るようになりました。手術後6周間のことです。
 丁度、「杉石病院」から転院の知らせがきました。それで、外泊の許可をもらって、家での生活に チャレンジして見ました。家での生活は、杖歩行が出来ないと生活できません。 以前よりゆっくりした歩行でしたが、杖歩行が出来ました。廊下の階段の登り降りもなんとかできました。

 「杉石病院」に転院しました。リハビリ科という病棟に入院しました。リハビリの先生は、以前、 お世話になった「盛先生」でした。リハビリの歩行訓練のときは、腰も持たずに 歩行させてくれました。このことは、「半田病院」ときは、腰紐が必要でしたが、「杉石病院」の リハビリと、大きな違いです。
 4年前に入院いたときには、ありませんでしが、作業療法がありました。作業療法の先生は、篠原という 女の先生でした。この先生は、昼休みの時間でしたが、入院した当日の昼食を食べている私の状態を見に 来てくれました。あくる日からは、診断のためのテストや測定に費やしました。その時に、私が受けた 作業療法や自分でやっているリハビリについての話をしました。そういうことから、足や手の訓練だけやる ように、篠原先生は、決めました。
「杉石病院」でも、最初の金曜日の夜から、月曜日の朝まで、外泊の許可をもらいました。
 外泊では、風呂を自分の力でやることに挑戦しました。挑戦した結果は、自分の力でできました。 以前よりは、ぎこちなかったのですが、とにかく出来たました。運動療法では、腰紐なしでも、病棟の 一周の歩行ができたこと、作業療法は、特別なことは必要ないということで、私は、早期の退院を目指し ました。 ここに、書けない理由も(「杉石病院」のリハビリ科にかんする)ありますが、「杉石病院」から2週間で 退院しました。

 現在の状態は、外出は出来ないのですが、家での生活は、杖歩行で生活することが出来ています。 病院では、車椅子の生活でしたが、家では、車椅子は、全く使用していません。しかし、以前と比べて 歩行距離が短くなっていますから、外出で歩行距離が長い場合は、車椅子のご厄介になることも考えられます。