新美南吉記念館・ヒガンバナ」  2008年10月10日 掲載


 


 私は、定期的に病院行くようになっています。今月は、10月は4日(土曜日)に受診しました。

 受診とリハビリか済んだら、12時過ぎでした。半田市の岩滑の「新美南吉記念館」に行きました。(彼岸花を見に行く時の駐車場所) まず、新美南吉記念館の中にある小さな食堂で昼飯を食べました。
 そして、記念館の展示物を見ました。「新美南吉記念館」は、半地下式の変わった建物です。展示物を並べている床も平坦でなく、 付添いの人が抑えてくれないと滑って行く所がありました。

 新美南吉記念館は、新美南吉に関する資料だけでな、南吉が生活した様子も展示されていました。


 新美南吉記念館を出て、ヒガンバナを見に行きました。

 岩滑のヒガンバナは、矢勝川を飾っています。例年「お彼岸」の頃から「ヒガンバナ」は、 咲いています。時期になると、所々にテントを立てて、地元の人たちがもてなしをしています。

 4日には、もう時期が過ぎているから、枯れた物が多く残念でした。写真は、まだ枯れていない黄色のヒガンバナがあったので、 観光客の写真に、合成しました。合成した場所には、コスモスの花が咲いていた場所です。

 今年は、「200万本の彼岸花・新美南吉童話の舞台」のテーマした「童話の村・秋まつり」を9月20日〜10月13日を 設けいました。去年と違うところは、「新美南吉」に関することを取り上げていることです。

観光客もいっぱいいました。名古屋・岐阜の車も着ていました。そして、来年は、もう少し早くこようと言っていました。


 私は、岩滑小学校に勤めていたことがあります。当時は、彼岸花は僅かであり、新美南吉も地元以外の人の関心がありませんでした。 私が岩滑小学校に勤めていた時、国語の教科書に「南吉の童話」が採用されたということで、「新美南吉」が有名になり、 「南吉の生家」などを訊ねてくる人が増えて来ました。
  私が岩滑小学校に勤めていた当時には、「新美南吉記念館」は、ありませんでした。

彼岸花は、ある個人の方が増やしましたと言うことです。今では、岩滑の人たちみんなで取り組んでいこうとです。