2002年 体育の日

開田高原からの「木曾おんたけ」 この秋最高の快晴


2002年のF1グランプリは、Ferrariの圧勝で、最終戦も待たずドライバーズタイトルもコンストラクターズも楽勝だった。しかし、本当に楽勝だったのかと言えば、それは違う様に思う。巨額が動くビジネスの世界である。やるべき事、やらねばならぬ事をしっかり出来たチームがFerrariだったと言う事に違いない。ルカ社長はやはり凄い人だったと言う事だろう。壊れまくっていたマシンを常に表彰台に上がれるマシンに鍛え上げたのである。勿論、ミハエル・シューマッハ、ルーベンス・バリチェロの仕事も素晴らしいものだった。そして縁の下で支えたチームメンバーは、それ以上に頑張ったのだろう。

今シーズン17戦で、1-2フィニッシュが何回あったのだろ?多分、半分以上はそうだったのではないだろうか?
なんと9回!それも後半は5連ちゃんである。
アメリカGPのあのフィニッシュが間違っていなければ、シューは、12勝する事になる。
う〜む、やはり凄い年だった訳だ。
それから、鈴鹿の最後のインタビューで、シューが「琢磨も今日のウィナーだ」と語っていたのがとても印象的だった。

と、言う事で、今更私の応援もいらないだろう。と、涙を飲んで家族で開田高原に出かける事にしたのである。

事の発端は、9月の北陸おろし蕎麦の旅から始まっている。
その節は、あぶさん、にしなさんには大変お世話になってしまって・・・、次回は、カニをお願いしますねー。

ここ、開田高原と言えば御蕎麦で有名な場所で、スキー場も激戦区である。
おんたけ、おんたけロープ、マイア、チャオ。広い裾野がスキー場銀座になっている。
御蕎麦を食べて、温泉入って、ついでにおんたけロープウェイで登ってみようと言う事で、標高2200mの世界へ。。。

実は、ここから悲劇が始まったのである。

おおおお〜〜〜。標高2200mは、素晴らしい景色で、まるで「サウンド・オブ・ミュージック」の世界!!!

ついつい、勢いづいてしまった私は、、、

「ちょっと上まで登ってみようか!」

とうとう、家族で登山する事になってしまったのである。。。しかし、当分山登りはもういいです。あはははは。

まさに、体育の日になってしまって、凄く記憶に残る一日だった。
帰りの渋滞も凄まじいものがあって、これまた運転手の私は大変な一日だったのである。

本当に、「にっぽんのお父さん」はご苦労様なのである。
Ferrariチームも頑張ったし、私も頑張ったし、関係無いけど充実した連休だった。
しかし、筋肉痛が遅れてやってくるのは、やっぱり歳の証拠なんでしょうね。


2002年 体育の日 完


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