シリーズ 学校100年・ふるさと100年
E<学校の建設 その2>

 明治41年になると枳豆志第二小学校の新校舎建築の話が持ち上がりました。

幾多の協議の末、ついに大字古場字栗下前廻間に建設することが決定しました。

明治42年1月22日に地鎮祭を行い、同年11月3日に新築校舎1棟が竣工し

上棟式が行われました。このときの棟札が残されています。この棟札には村長 

澤田富次郎、新築委員 澤田儀左衛門と書かれ、棟梁は安楽寺を建築した宮大工

守山佐右衛門の名前が記されています。

 新校舎建築に大きな貢献をしたのが酒造家の澤田一族でした。その中で澤田儀

左衛門は一族の本家で酒造業を営むかたわら村長、郡会副議長、知多商工会議所

会頭などを歴任し、地域の発展に物心両面の支援を惜しまない人物のようでした。

澤田一族だけで6倉の酒造家があり、このときの村長澤田富次郎も一族でした。

江戸から明治にかけて澤田一族以外にも瀧田家、後藤家、古川家、岩田家といっ

た酒造家がこの狭い地区に12軒も軒を連ねていました。こうした人たちが中心

となって町をリードし、高い文化と教養を築いてきたようです。第1棟完成後、

旧古場・苅屋にあった校舎を解体しました。それを北側に、つなぎ合わせるよう

に移築し、明治45年2月に第2棟が完成しました。
 

                 
            明治43年9月頃 枳豆志第二小学校                棟札


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