シリーズ 学校100年・ふるさと100年

A<学校の始まり その2>

 苅屋の安楽寺では「三」という人のお墓があります。住職のお話では、

この人はその昔、安楽寺で子どもたちに熱心に学問を教え、とても慕われて

いたそうです。三さんが亡くなると教え子たちはとても悲しみ、大人にな

った教え子たちはみんなで協力してお墓を建てたというお話が伝わっている

そうです。境内の入り口近くにそのお墓がありま
す。その墓石の裏側には、
 ふで こ ちゅう
「筆 子 中」と文字が彫られています。「筆子」とは寺子屋の教え子という

意味で「中」は仲間という意味と思われます。きっと当時は生徒のことを筆

で読み書きを習う子どもという意味で「筆子」といったのでしょう。学校の

記録では「苅屋学校ノ学校長左ノ如シ 守山三 苅屋安楽寺ノ住職兼務・

・・」と記されています。住職のお話と一致しました。また、古場学校の安

養寺境内にも「筆子中」と彫られたお墓が同じよう見つかりました。

 安養寺の本堂西に立派な御堂があります。ここの正面には「波にうさぎ」

が彫刻されています。なぜ「波にうさぎ」なのでしょう。実はこの御堂は薬

師如来を本尊とする薬師堂です。薬師如来は病気を治す仏さまです。昔この

御堂の前で、和尚さんはきっと「いなばの白うさぎ」を筆子たちにお話しさ

れ、「体のこと、心のこと」を教育されたことでしょう。お寺にはいろいろ

な教育の場があることを今も教えられます。

           
石に刻まれた「筆子中」(安楽寺)       安養寺薬師堂



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