御嶽山 高讃寺
御嶽山 高讃寺
白鳳12年(684)行基菩薩開創 ※1
天台法華円宗
総本山 比叡山延暦寺
新四国第61番札所
天武天皇勅願寺として、行基菩薩が現在より北東12km
300の堂字を有する7堂伽藍完備の巨刹でした。
天文6年(1537)に、織田信秀、今川義元の戦火で堂
文禄年間(1592〜5)に一部兵火焼失。
寛保年間(1741〜3)、明治31年、再度失火し、現
寺宝
○木造「聖観音菩薩立像」(平安時代)・・・愛知県有形
○木造「阿弥陀如来立像」1躯(平安時代)
○木造「仁王像」2躯(鎌倉時代)・・・愛知県有形文化
○伝承の「大涅槃図」1幅(兆殿司36才作)
○「両界大曼荼羅」各1幅(室町時代)
○「陶製手洗い鉢」(安永年間尾張公御庭焼)
仁王像
寄木造彫、高さ303p
鎌倉時代(愛知県有形文化財指定)
天文6年に戦火を避けるため御岳の池に隠し、寛文年間(1661〜73)に現在の場所に移しました。
知多半島最大の木造彫刻です。
行基菩薩像
焼締 242p
静観 昭和26年作
大師堂
聖観世音菩薩像が奉られています。
本堂
昭和後期までは高讃寺に繋がる現在のような大きな道も無く、いかにも古刹の名所といった感がありました。
現在でもひとたび門をくぐればその雰囲気は変わりません。
現在残っている建物の建っている場所で室町時代以前から残っているのは僅かといいますが、
その当時いかにこの寺が壮大であったか想像だにしがたいです。
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※1)白鳳12年(684)行基菩薩開創・・・行基菩薩の活躍した年代と微妙に異なっている気がします