えだまめの会#98
ラオスのいま <レポート>
半田法人会女性部会ラオス教育視察団の報告会
公式に最も貧しい国の一つと認められている
ラオスの小中学校や世界遺産など
写真を見ながら話を聞きます
10月26日(金)
よる7時30分
櫻米軒研修所
パチンコカリフォルニア・中日新聞ならび
(内海62-0243)
会費@500円(飲み物付き)
だれでも参加できます
共催 南知多国際交流クラブ



半田法人会女性部 ラオス教育視察団 2007
現地でガイドをしていただいた
沢田誠二先生のレポート

<旅程と経過>

◆09月14日(金) 調査団 (竹内雅子、竹部千佳子、林つね子、郷裕子、沢田てる子、中村真理、黒田陽多郎、黒田吉生: 10:30名古屋空港TG0645、バンコク14:30TG069219:20、ヴィエンチャン20:30)、デイインホテルの車で出迎え、デイイン投宿。

09月15日(土) 530、むしむしする曇り、8:00、貸し切りバスでタイ国境友好橋近くのメコン川沿いにあるシェンクアン寺(旅行案内にはブッタパーク)見物、さまざまなコンクリートで作った像が並んでいる、かなり乱雑、いろんな人たちがそれぞれの考えで作っているように見える、クメール、ヒンドゥーのハヌマーン、中国やヴェトナム風の像・・・、共通しているのは仏陀を守る蛇や竜、下半身が竜や髪の毛を束ねた女性像、球形の塔の内部は4層ほどになって地獄から天国までを表現しているようだ、1時間以上のんびり楽しむ、千葉から来たという一人旅の若者、一ヶ月ほどかけてミャンマーまで行く予定、ヴィエンチャンまで乗せて帰る、昼食デイイン焼き飯、タンミサイ図書館子供たちによる歓迎会、団長の竹内雅子さんが挨拶して始まる、通訳はサイサモン(沢田が国際協力機構派遣専門家でラオス教育省勤務時の秘書、現在タンミサイ図書館管理者)、ラオスの民族舞踊(覚せい剤中毒の息子を持つ母の悲しみ、農民踊りなど)、紙芝居、演劇(貧しい農民の父が残留爆弾の警告表示が読めないためそこを耕して爆弾が破裂して死ぬ、残された母は貧しさのため娘を女中にだす、契約書を渡されるが読めない、娘は売春宿へ売られそうになる・・・)など、果物と飲み物で交流会、夕方便でルアンパバンへ、サイサモン同行、少し遅い夕食とナイトバザール夜店見物、2200ラマホテル宿へ帰って寝る、皆さん元気

09月16日(日) 600むしむしする曇り、レンタカー2台でルアンパバン市街から3時間のナムツアム村(ここは国が遠隔地や山岳地に住む人々を移住させているところ、このため人口増加にあわせ就学希望がとても高く、学校校舎がトテモ不足している)の中学校生徒寮 (沢田のDEFCが協力者を得て提供、150万円の予算で建設中、100人収容予定) の建設状況視察、村人たちが10人ほど働いている、建築は夏休み中生徒たちの労働を当てに出来なかったので少し遅れているが雨期明けの10月末には完成予定と担当者説明、生徒小屋(遠隔地から来ている生徒たちはここで自炊しながら寝泊りし学校へ通う、46人で住み、小屋は親たちが建てる)を訪問して生徒たちから話しを聞く、通訳は同行のサイサモン、里へ帰っていた生徒たちが米と少しの味噌などの副食を持って明日の授業のために帰ってきたところ、新学期が始まって初々しい生徒たち、着替えなどの持ち物は2-3年前より多くなっている、沢田が最終支払いと領収証受領記念(証拠)写真撮影、竹内視察団長挨拶とメンバー紹介、持参した学用品と衣料品提供、郡教育局次長ブンタンさんが学校と生徒の概要説明、生徒数1823(昨年から400人増加)、周辺93村から来ている、500人が小屋住まい、来年から就学年が1年増えるのでさらに生徒数は増える見込み、生徒の多くは少数民族、今年の大学入学資格試験でここのモン族の卒業生が全国3位になった、日曜日なのに学校の先生が総出でバーシー(ラオスの伝統的な公式歓迎式)をやってくれる、調査団は持参した果物やジュース、ビールと菓子を提供、ルー族の布製品をお土産に貰う、この製品の開発指導は3年前にここで活躍した豊橋出身の木下さんがなさったこと、実を結んでいる、1400帰途、1600滝見物、雨季で水量が多く迫力は圧倒的、1630プーシー丘寺見物、夕食中華、ラマホテル投宿

09月17日(月)   600、曇り、朝市見物、宿支払い、市内のサンティパープ高等学校授業視察、県教育主事が案内、星野プロジェクト(東京の教育財団が、東京に本部がある教育NPO「民際」と協力してこの県の高校教員(数学、物理、化学、生物)の資質向上を目的とした支援、現在4年目に入っている)の成果評価が沢田の訪問目的、このプロジェクトの目に見える結果として生徒の成績向上(物理と数学、化学で大学入学資格試験上位独占)が出ているという、ただし授業は相変わらず先生の口述、生徒は筆記、ほとんど全員の生徒が教科書を持っておらず持っているのはクラスに1-2人、教室は過密60人以上、「どれくらいの生徒が理解しているか」の調査団員の質問に対し、30%、残り70%のうち40%は少しは分かっている、30%はまったくだめ・・・とのこと、続いて市外から2時間のナムウー郡パクウー中等学校授業視察、先生34(女子21)、生徒1428525)、18教室、平均生徒数70名、生徒自炊小屋住まい200人、ここも一週間前に授業が始まったところ、ここでも教師は教科書を口述、生徒はこれを書きとめるだけ、授業案無し、これらの先生はすべて星野プロジェクトルアンプラバン研修を受けた人たちで事前に私たちが見に来ると予告してあったはずであるのにこの程度、少数民族の生徒は数学が得意で好き、少数民族への特別配慮はしていないが授業後の補習として生徒が聴きに来れば対応している、音楽はカリキュラムにはあるが先生がいない.昼食:ウー川沿いの新しいレストラン、予約してたのに恐ろしく遅い給仕、帰り道にあたる洞窟寺見物、続いて滝見物、滝の水量は雨期のため乾期の10倍以上と思える、周囲は雨が降っているような水しぶき、紙屋とほとんど閉まる時刻だが布製品作業所訪問、店の人たちが店を開けてくれて買い物、レンタカー支払い、ヴィエンチャンへ帰着、迎えを依頼しておいたデイインの車でデイインへ、デイインで夕食、デイイン泊

09月18日()   600、曇り、サイサモンが迎えに来てくれて借り切り小型バスで出発、ウドムサイ布製品屋で買い物、皆さんの好みに合ったようでたくさん購入、タラサオ見物と買い物2時間、昼食:カプチャイドゥー、ナムグムダム見物、黒田さんの息子陽多郎くんが店の従業員の娘たちに大もて、写真をたくさん写す、帰途メタタム寺中学校建築(DEFCが提供者を得て建築支援、ラオスでは寺が中学校教育を行うことが認められている、沢田はここの住職の教育熱意に共鳴して支援を決定、建築費総額250万円、日本からの支援はこのうちの半分、120万円)状況視察、何人かが熱心に働いているが未完部分が多い、寺のある村で竹篭(一個20円)を皆さん購入、帰り道中短時間の驟雨サイサモンが手配してくれ息子のコンサヴァンたちが届けてくれたタマリンド菓子を空港で仕分け荷作り、空港ブッフェで皆さんとお別れ夕食、皆さんあまり疲れは出ていないようだ。

ラオス 教育状況概要
地 勢  ラオスはインドシナ半島の内陸にある(海がない)国で国際河川 メコン川の中流域にあります。面積は日本の本州とほぼ同じ、地形的にはヒマラヤ山脈の東側中腹から裾野部に位置し、国土の大部分が高原や山岳地です。この地域はアジア亜熱帯モンスーン帯ですが標高が高いことで気候は温暖、周辺国に比べれば森林は未だ豊富です。中国、ヴェトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーと国境を接しています。
近代史と現状  この地域は19世紀後半からのフランス植民地時代から1975年のヴェトナム戦争終結まで民族独立運動あるいは米ソの代理戦争とでも言える長い戦争と混乱の近代史があります。約50の民族からなる人口560万人の多民族国家です。現政権が成立して30年、国情は安定しています。20年前の社会経済化政策以来、特に過去5‐6年間では都市部は急激に発展しています。しかし人口の80%が村落に分散居住し遠隔地では今も自給自足状態のところが多い状況です。国家財政の約半分は国外からの借款と援助に依存しています。国連定義の最貧国の一つで、3040%の国民が1200 300円程度の生活です。医者はおろか薬屋からも遠い所に住んでいます。子どもたちの下痢や腹痛は日常で、寄生虫感染は70-90%です。生まれた子どのうち10人に一人以上が5歳までに死んでいます。
教育状況  ラオスが5年間の義務教育を始めたのは1516年前です。周辺国並の識字率と就学率達成を目指していますが、現状は学校から教員、教科書、教材まで全てで大きく不足しています。学校に教科書が数冊しかないことは珍しくありません。教育予算は先生の給料を賄うだけで精一杯、数ヶ月の遅れが普通です。教育開発の90%以上を援助や借款に依存しています。
残留不発弾 UXO 問題  40年前のヴェトナム戦争および同時進行した内戦の結果、ラオスは世界で最もたくさん不発弾(UXO)が残っているところなのです。国土の3分の1、ヴェトナム国境に近い山岳地域や内戦が激しかったところに多く残っています。最も多いのは“ボンビー”日本語に無理やり訳すと“爆弾ちゃん”と呼ばれるテニスボールほどの爆弾です。住民の生活圏、農地や放牧地、民家の周辺に今でも見つかります。村人たちは生活のために山へ爆弾の残骸や不発弾探しに行きます。鉄は良い現金収入、火薬はもっと高く売れるからです。爆発事故で年間百人以上が死亡しています。この数は山間遠隔地で報告されていない例を入れると実際はもっと多いでことでしょう。 外国支援によりラオス政府が残留不発物(UXO)の除去をはじめたのは10年前からです。除去隊員訓練から情報収集、UXO探索と処理作業、緊急出動などを統合的に行っています。多くの国から支援を受けていますが資金不足です。緊急性と必要性の高い地域(住民居住地や農地・放牧地)の除去作業が継続されると仮定しても100年以上かかると言われています。日本からは1昨年から「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」 が処理技術支援を始めています。
註 不発残留爆発物(UXO: Unexoloded Ordnance) ヴェトナム戦争時 (19641973) 米軍またはアメリカの CIA  によってラオス領内へ投下された爆弾、及び内戦で使用された爆発物で不発のまま残っているものを総称する。投下使用された爆弾は総計200万トン以上で、この30%が不発かつ爆発能力を持ったままラオス各地に残っていると推計されている。特に、かって内戦が一番に激しかったところ、及びホーチミンルートと呼ばれた地域である。このことが周辺地域の貧困の原因の一つになっている。1975年以降の推定死傷者は14,000、過去数年の死傷者は、2003 109人、2004 191人、2005年では1-6ヶ月間で 124人と増加傾向。原因はくず鉄価格の上昇、安い粗雑な検知機、農民の貧しさ、農耕地需要の増大である。
残留不発弾啓発教育  残留不発物 UXO は学校周辺に、今でもたくさん残っています。これまでにたくさんの子どもたちが被害に遭ってきました。農作業や放牧、遊びでなどで見つけると手ごろなオモチャとして遊んでしまい爆発事故につながるのです。子どもたちの被爆事故を防ぐための啓発教育が10年ほど前から始められました。特に新入の一年生に「UXOとはこういうもの」とポスターなどを使って教え、絵を描かせ、「見つけたら触ったり遊んだりしないで、親や先生に知らせる」ように繰り返し教えています。この結果、子どもたちの事故は減少し過去数年はほとんどなくなってきています。戦後30年、世代交代が進んでいる現在、何も知らない子どもたちにきちんと教えていく息の長い教育が望まれます。
星野プロジェクト概要、及び「民際」について それぞれネットでお調べ下さい。

more⇒ラオスREPORT半田法人会「歩一歩」H19.11.15号
訪問団メンバー: 竹内雅子 
竹部千佳子 郷裕子 沢田てる子 林つね子 中村真理 黒田陽多郎 黒田吉生

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