第一話:鉄塊
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 薄暗い、油と鉄の臭い漂う、某兵器工場の某倉庫。
 その隅の一角で、若い工夫――ベニャック=ハルベルトスは、正面の
巨大な鉄塊を見上げたまま、じっとたたずんでいた。
 兵器工場の倉庫ということは、つまり同時に武器庫・火薬庫の類でも
あるわけで、場所によっては、機械臭にとどまらず、火薬や、奇妙な薬
品の臭いまでひしめいている。
 ベテラン工夫が言うには、「この匂いが落ち着く」そうだが、ベニャッ
クにとっては、それは息が詰まるものでしかない。
 しかし、今のベニャックの顔は、何故だか清々しい。
 まるで、広原か、豊かな森の中にでもいるような――
 この現象の正体は、実に、この場所に関係がある。
 正面の壁に立てかけられた、巨大な八角形の鉄の塊。
 どうやらこの鉄塊が、この澄んだ空気を作り出しているようなのだ。
 清らかな空気に満ち満ちた此処は、グリスまみれの心も、綺麗さっぱ
り洗われるようで、ベニャックはとても好きなのである。
「ベニャック、まぁた、ここでさぼってやがったか」
 鉄塊の影から、ベテランの風貌の、筋骨逞しい工夫が姿を現した。
 ベニャックの上司であり、同時に育ての親でもある、ヘップル=ドッ
トギスである。
「あ、ヘップルさん」
「『あ』じゃねぇよ。ったく、毎度毎度さぼりやがって」
 ヘップルは、もの凄い形相でこちらを睨んでいる。
 反射的に、ベニャックの脳裏に、ヘップルの字名が浮かぶ。
 ――工場の鬼。
 まさに、その字名のごとき、剛の気勢である。
 毎度の事とは言え、やはり怖いものは怖い。
「す、すみません、何故か呼ばれてるような気がして……」
 ベニャックは、慌てて頭を下げる。
「……まぁ、わからんでもないがな、これに関しちゃ」
 ヘップルは鬼の形相を崩し、苦笑いを見せると、鉄塊を見上げた。
 ベニャックも、つられて見上げる。
 目線を移すと、口、鼻、耳、目……顔の部品のような物が付いている。
 その表情は随分と間が抜けており、改めて見ると、奇妙な代物だ。
「……何なんですか、これ?」
 ベニャックの口が、反射的に心象を洩らした。
「顔だな」
 ヘップルは、何故かしみじみと答える。
「いえ、そうじゃ無くて……」
「冗談だ、冗談。これはな、例のロボット――いや、RAの頭だ」
 言われてベニャックは、再び鉄塊に魅入った。
 ――頭。
 ベニャックの中に、奇妙な違和感が漂う。
(何故、頭だけなのだろう?)
 頭だけの下請けか、とも思ったが、どうにも腑に落ちない。
 堪りかねて再び聞いてみると、
「これは、聞いた話なんだが……」
 やはりと言うのか、特別な理由があるらしい。
「あのRAは、この頭で修復が可能なんだそうだ」
 その答えは、予想を超えていた。
「……どうやって?」
 脚気診断の脚の如く、即座に疑問が口をつく。
「俺に聞かれてもなぁ。タオとか……何かそんなのを使うらしい」
「まるで、アンパンマ――」
「ベニャック、それだけは言っちゃいけねぇ」

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 倉庫の品の点検も一通り終わり、二人の工夫は、八角面の前で昼食を
取ることにした。
「ところで、ヘップルさん」
 弁当のタコウインナーを頬張りながら、ベニャックが言う。
「なんだ、またあの頭の事か?」
「まぁ、そうと言えばそうなんですけど……何で反戦組織の僕らが、あ
れを作ってるんですか?」
 この問いに、ヘップルは少し食を止め、考え込む。
 ――暫らくして、
(なんか、まずい事聞いちゃったかな?)
 ベニャックが不安に思い始めた頃、ヘップルは話し始めた。
「あれはな、この戦争の希望なんだ」
 ……ヘップルの話は、想像を越えていた。
 ICBMをも落とすSNCの新型、TM500。
 それを、たった一機で三十機以上撃墜する、股間にキャノンを持った、
八角面の英雄。
 経済は崩壊し、アジア全域の資本圏は企業主導の不毛な戦争を続け、
共産圏は軒並み衰退する中、八角面を駆る白虎"王 湖心"率いる中華陸
軍機甲部隊は、何にも囚われない自由な立ち回りを見せ、所属するその
国以上――いや、国を超えた存在として、各国の反戦組織の象徴と成り
つつある……。
 にわかには信じ難い、まさに"英雄譚"であった。
 ベニャックは、三度八角の鉄塊を見上げる。
(……これが?)
 見れば見るほど、違和感がある。
 丸い眼が、違うと言う。
 取って付けたような四角い耳が、否定する。
 子供の工作のような三角の鼻は、まったくもって信じ難い。
 半月状の間抜けな口は、もはや信憑性の欠片もない。
「……本当ですか?」
 ヘップルに向けた眼は、疑いというより、抗議の色だ。
「まぁ、俺も聞いた話だからな。半信半疑なのは一緒だ」
「無信全疑って言った方が近いんですけど……」
 再び、場に気まずい空気が流れる。
 お互い、弁当に手をつけることも出来ず、沈黙してしまった。
(……とりあえず、食べようかな)
 ベニャックが、おかずのコロッケに手をつけると、
「でもな、一つだけ、信じられる話がある」
 堪りかねたのか、ヘップルがきりだした。
「なんですか?」
 ベニャックは、コロッケを頬張りながら聞く。
「実はな……『ニーハオ』しか、喋れんらしい」
「……はい?」
 つられて八角面を見上げると、
(……なるほど)
 ――妙に、納得したベニャックだった。
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