「ジュード君はいいねー」
「!!?」
 突然隣で呟かれた思いがけない一言に、アルヴィンは盛大に飲みかけのコーヒーを吹き出した。
「げほっ、が…っ、い、いきなりお前は何言い出すんだ!?」
「いやあ、だってねぇ」
 そのジュード本人は今いない。ここはカン・バルクのガイアスの城、客間だ。源霊匣研究の定期発表会開催中は、関係者は城内で手厚いもてなしを受けられることになっている……が、別段関係者というわけでもないアルヴィンは関係者の護衛としてここにいる。それが呑気に従兄と並んでコーヒーを飲んでいる理由は。
「真面目だし、好奇心旺盛で飲み込みも早いし、それによく気が付くし。いいよね、是非ともヘリオボーグの僕の研究室に助手として欲しいよ」
 それに淹れてくれたコーヒーも美味しいしね、と、ずず、とバランは音を立ててそれを啜る。
 そうだ。先ほど盛大にアルヴィンが吹き出したコーヒーは、今はここにいないジュードが、部屋に備え付けのセットを使って手ずから淹れてくれたものだ。バランのせいで盛大に吹き出して、今や半分も残っていないが。
「助手ってお前、今だって大勢いるだろ」
「いるよ。でも彼は滅多にない逸材だ。それに、リーゼ・マクシア人の助手はいないし、源霊匣の研究を進めるに当たって、医者の知識も心得ている彼ほど適切な人物いない」
 それに、と前置き、
「助手ともなれば四六時中一緒にいられるしね」
「却下!」
 何を言い出すんだと、アルヴィンは従兄をじろりと睨んだ。しかしそんなもの意にも介さないといった風に肩を竦められ、
「だってさ、アルが悪いんだよ?」
「はあ? 意味わかんねーんですけど」
 何故かこちらのせいにされる。勿論納得はいかないアルヴィンだが、
「だってアルはずっと彼のことを放置しっぱなしじゃないか。聞けば半年間、一切会いにいかなかったらしいし?」
「それは―――いや、俺だって新しく始めた仕事があって」
「言い訳だね」
「うるせー! 俺にだって理由ってもんがあってだなあ…」
 どーせつまらないプライドとかでしょ、なんて言われては黙るしかない。
 二十年ぶりに会ったというのに、どうしてこの従兄はこう昔と変わらないのか。エレンピオスに飛ばされて助けられたところ、ひと目見て誰かがわかったのはそれに所以されるが……。
「たぶん彼は何もアルに言っていないだろうけど」
 カップを置き、その手がテーブルの上の饅頭に伸びる。お茶受けとして用意されたガイアス饅頭だ。
「彼、結構あちこちから引く手数多なんだよね」
「何だよ、それ」
「齢十五歳にして、イル・ファンの医学校で医者としての将来を約束された天才少年は」
 言いながら、人差し指が一本立ち上がった。
「聞けば、エレンピオスでも高名だったが、アルと同じくジルニトラ号行方不明事件でリーゼ・マクシア側に閉じ込められていたディラック・マティス医師の子息であり」
 続いて中指が立てられる。
「リーゼ・マクシアの医者であるが故霊力野に精通し、そして最新鋭技術であり、将来やってくるであろうマナ枯渇に対しもっとも有力視されている源霊匣の研究にも意欲的である」
 薬指…に見せかけて親指が立てられる。三本の指が立った。
「そして―――よく気が付いて、料理が美味くて、可愛いとくれば、引く手数多にもなる」
「いや、最後の三つは関係ないだろ」
「重要だね。一緒に研究にするに当たって、相手の人となりは重要だよ。特に、結果が出るまで時間がかかるような研究は」
 うんうん、とまるで経験者のように頷くバランだが、アルヴィンにしてみれば、この男と一緒に研究する助手たちの方が大変だな、と思ってしまう。頭もよく、源霊匣や黒匣の研究に関しては権威であるのは認めるが。
「彼、結構エレンピオス側の研究所からはあつ〜いラブレターもらってる筈だし、けど現状イル・ファンは彼を手放したがらないし、あ、もちろん僕も会うたびに僕のとこに来ない?って誘ってるんだけどさ」
「それは聞いてない」
「ま、悲しいかな、僕も一度もいいお返事聞いたことないからね。今の所イル・ファンから出るつもりはないから、敢えてわざわざ言う必要はないって思ってるんじゃない? それにきっと、アルも新しい仕事を始めたってんで忙しいんじゃないかって、ね」
「………」
 思い当たることがあり、アルヴィンは黙る。
 しかしどうしてこう、話してもいないことをずばっと当ててしまうのか。やはりこの従兄は侮れない。そして、敵に回したくはないが、ジュードは渡せない。
「でもいつ強力な圧力があって、無理矢理にでも研究所を移転させられるようなことがない訳でもない。僕たちのような研究者は、研究に出資してくれるパトロンにはなかなか逆らえないから、そういう時は大人しく従うより他はないからね」
「出資してるパトロンって……」
 アルヴィンはふと、イル・ファンにあった立派な源霊匣研究所を思い出した。
 ジュードが若くして研究室を与えられたあそこは、イル・ファンの研究所区画に元々あった生前ジランドがクルスニクの槍を研究開発していた場所であり、その施設をそのまま源霊匣研究へと引き継ぐ形で与えられたのだと。その後もヘイオボーグとの連携により、よりエレンピオスに近いレベルで源霊匣の研究ができるのだとジュードは喜んでいて―――そして何よりあの場所は、確かこの国の王…ガイアス王の出資で成り立っているのだと。
 ―――研究には膨大な費用がかかる。それ故にパトロンには逆らえない。
「ガイアス王、ジュード君のことお気に入りでしょ」
「!!」
「イル・ファンの研究所、ほとんど彼の為に造ったようなものだし、それに源霊匣が世間に理解されるよう、こうして公式に定期発表会まで開いてさ。エレンピオスではまだまだ源霊匣って結構肩身が狭い研究なんだけど、それを考えると彼、すごく恵まれてるよね?」
 いやあ、一国の王様にここまで期待されてるって、一体何をしたのさ?と、わかっていてわからない振りをしているバランは、相当性格が悪い。だがそんな従兄の性格など最早気にしていらんれないくらい、アルヴィンは今自分が立たされている現状に直面していた。
 そしてそこにとどめの一言。
「きちんと彼のこと傍で見ててあげないと、彼、お人よしだからすぐ他の誰かに付いて行っちゃうよ?」
 ああ、お人よし。超ド級のお人よしだ。知ってる。そんなの、実地で体験した自分が誰よりもずっとよくわかっている。
 裏切り者の自分を何度も信じて、何度も痛い目に会って、殺されそうになっても信じてくれて、そんなジュードをもう二度と裏切りたくないと思った。だから敢えて距離を置いた自分を、今は心底馬鹿だと思う。ああ。馬鹿だ。だから今、自分は護衛の仕事が終わった今もここに残っている。
 アルヴィンはずず、とカップに残っていたコーヒーを一滴も残さず飲み干すと、がたん、と立ち上がった。
「―――ちょっと俺、行ってくるわ」
 そうしてバランの返事をもらう前に、大股で、しかし早足で部屋を出て行った。

 何処へ行ったのかは聞くまでもない。そして、焚きつければ焚きつけただけ反応が返ってくるのは以前と変わらなくて、従弟のそういうところが好ましくあり、そして退屈しないのだと、誰もいなくなった客間で笑う。
「アルの奴、焦り過ぎて手打ちにならなきゃいいけどね」
 それにしても、
「あーあ、こういう美味しいコーヒーが毎日飲みたいねぇ。ホントにジュード君、うちに来てくれないかなぁ。いっそアル込みでもいいから」
 と一人呟いた。


若干のSPARKの新刊ネタバレだったのでぎりぎりUPになってしまいました...バランさん超いいです。動かしやすい。

[2011年 12月 29日]