「ちょっくら出かけてくるな」
「え、こんな時間にどこ行くの?」
 確かに子供にとっては『こんな時間』なのかもしれない。しかし大人にしてみれば『まだまだこれからな時間』、なのである。
「情報収集」
 言いながらグラスをあおる仕草をすると、ああ、と露骨に呆れた顔をされた。
「んな顔するなよ、優等生。ちゃんと資金はポケットマネーからだから心配すんな」
「そんなのは当たり前だよ。じゃなくて、明日朝早いんだけど」
「別に午前様になるまで飲みゃしねーよ。それに明日行く場所の情報もしっかり仕入れてきてやるから、な?」
 夜の酒場には、行商人や傭兵が集まる。昼間に街中で住人の噂話を集めるよりも、実際自分の足で得た情報を持っている奴らの話の方が有益なことが多い。もちろんそれなりの対価…主に酒をおごったりで別の出費もかさむのだが。
 しかし一緒に酒の飲めるメンツのいない今、そういう機会は実に貴重だ。
「何ならジュード君も一緒に来る? 一緒に『夜の街デビュー』しちまうか? 色々手取り足取り教えてあげちゃうよ?」
「なっ!? ぼ、僕はまだそういうのはいいよ…! 大体未成年だし……」
 ぐいっと肩に腕を巻き付けて引き寄せると、一体何を想像したのか、真っ赤な顔をしてぶるぶると首を左右に振る。可愛いもんだ、と思ってしまうのは、自分がジュードの年くらいには既に夜の街デビューを果たしていたからだろうか。
 そんなことを言えばまた軽蔑されるだろうか。
(それでもこいつは俺を信じてくれるんだろうけど…)
 内心思い、隠れて自嘲した。
「―――あ、そ、そうだアルヴィン。お酒飲むならいいものあげるよ」
「んん?」
 ふと考え込んでしまった所為か腕の力が弱まり、ぱっと逃げられてしまった。しかし逃げっぱなしではなく、何やら荷物の中から持ってまた傍へと戻ってくる。持ってきたのは小さな薬瓶だ。
「これ、本当は食べ過ぎ用の胃薬なんだけど、飲み過ぎにも効くから。あと、飲む前に飲むと悪酔いしたり、翌日までお酒が残ったりしにくくなるし」
「何それ、そんないいもん俺にくれるの?」
「だって、明日、二日酔いにでもなられても困るし……」
「おたく、飲み過ぎないようにするって言った俺の言葉は信じてくれないのか?」
「それは……わっ!?」
 その手から小瓶を奪い取ると、今度こそ空いた腕の中に抱き入れる。抱き込んでしまえばこちらの胸元に顔を突っ込むことになる。そうすれば頭上にあるこちらの顔は見られることはない。
「冗談だよ。そんなに心配すんなって。もうどこも行ったりはしねーよ」
 顔を見合わせていないからこそ言える、言葉。
「!」
 我ながら説得力のない台詞を吐く。勿論、まったく信用されていない訳じゃないことも、逆に全部信用されているとも思っていない。けれどもそれは全部自分な行いの結果だ。
 失った信頼は回復できない。例え新たな、前以上の信頼を構築しても、過去に裏切った事実は消えないのだ。
 けれどもその結果で今の自分がここにいるも事実で。
(もう次はないかもな……いや、ないな)
 腕の中で俯いてしまったジュードにはそれを言うことはしない。そう言えばこの優しい優等生は『そんなのアルヴィンらしくない、気にしすぎだよ』、などの(例え本心からでなくても)優しい言葉を口にするだろう。
 そんなものは聞きたくない。聞いてしまえば甘えが出る。そしてその甘えは、裏切り続ける自分を許してしまうものだから。
「……べ、別にそういう意味で僕は心配してる訳じゃあないよ…ただ……」
「ジュード、薬、サンキューな」
「あ、う、む……っ!?」
 何かを言おうとしたジュードの顎をすくい上げ、唐突に覆った。
「アルヴィ…ッ、ん、ん…っ」
 跳ねる声は無理矢理息を奪って抑えつける。そして開いたままになっていた唇とそこから覗く柔らかい舌を吸う。ジュードは苦しげにじたばたと暴れるが、がっちりとアルヴィンの腕に抱き込まれている為にそれも叶わない。
 やがて胸を押しのけようとしていた筈の腕が、次第に崩れ落ちないように服に必死にしがみ付いてくるようになる。しかし大した力もこもっていないそれは、ただ悪戯にアルヴィンのシャツに皺を作るだけだ。代わりにアルヴィンは己の腕の力を増し、その背を支える。いや、支えるだけに留まらず、もっと、もっとと引き寄せて擦り合わせた。
「は……ふ、ぁ……ん」
 鼻にかかる甘い声。布地越しにも伝わる体温と、鼓動。頭の芯が熱にじんわりと痺れるのが心地よい。酒で得られる酩酊感とは違うそれに、しかし、頭のどこかではまだ冷静な自分がいた。
「…っ…ごほっ、……っ、は…、はあ……」
 流石に気を失われても困る。頃合いを見計らって、アルヴィンはジュードを解放した。さすがに苦しかったのか、細い肩を震わし、胸の中で咳き込むその背を幾度か撫でて落ち着かせてやる。
 すると何度か深呼吸してようやく頭に酸素が回ったのか、もぞりと引き寄せた胸から顔を上げて、
「な、何なの、アルヴィン、飲む前から酔ってるの…?」
 失礼なことを言われる。だがしかし、まあ、そう取られても仕方がない唐突さではあったが。その唐突さのおかげで色々とうやむやになったのは思惑通りだ。
「なあに、『これ』をつまみに美味い酒が飲めるってね。ゴチソウサマデシタ」
「もう、何だよそれ……っ」
 もぞもぞと出たがるので腕の中から解放してやる。しかしどうにも機嫌を損ねてしまったようで、見上げた頬が子供のようにぷうと膨らんでいた。こういうので誤魔化せてしまうのが、まだままだ子供だ。
 けれどもいつかは、こういうのでは誤魔化しきれない時もくるのだろう。
 そんな時まで一緒にいるつもりなのか。
 そんな時まで一緒にいたいと思ってしまうのか。
 それはきっと、そんな時がくるまでわからないのだ。
「優等生は夜更かししないで早く寝ろよ?」
「……はあ、……いってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね」
「ジュード君ってば優しい〜。愛してるぜ〜!」
「っ、さっさといきなよ…!」


ここまできてようやくチューを書けた…アルヴィン視点だと意外と内心が真面目で真面目な話になるね!

[2011年 9月 27日]