あれ、何だかシリアス風味に…そう言えばバランが途中から普通に『アルヴィン』呼びになってたなあ、とか思い出したり。
[2011年 9月 23日]「そういやアルヴィンって、偽名だったんだ」 「おいおい、今さらそれを言うか?」 ふと思い出したことを口にすれば、呆れた声で返された。部屋の中は今アルヴィンと二人きりだ。普段の宿なら男女で部屋が分かれるか、ここはカラハ・シャールの領主邸。執事のローエンは当然ながら自分の部屋がある為、珍しく二人きりの夜となった。 「いやさ、そう言えばバランさんはアルヴィンのこと『アルフレド』って呼んでたなあって」 「ほんっとそれ今さらだな」 苦笑された。その間も、アルヴィンは己の武器の手入れに余念がない。精霊術を用いらずに火薬を用いて鉄の弾を撃ち出すという武器の筒の中に溜まる煤を取り除いているのだと言う。道具とは言え定期的な手入れが必要なことは、精霊術を用いた技術も、そうでない技術も変わりない。 「えーっと、アルフレド…何だっけ?」 「アルフレド・ヴィント・スヴェント」 「だから略してアルヴィン?」 「あー、まあ、そんなトコだな」 肯定しながらも、アルヴィンの顔は苦笑を浮かべている。 「まあ我ながら安直だったかなー、なんて思わなくもないんだが」 「でもまったく違う名前よりはちょっとは 似てる方が本当っぽくていいんじゃない? 咄嗟に自分だって反応できないと、偽名だってばれちゃうだろうし」 「おー、なるほど。やっぱ優等生は考える事が違うなあ」 「……適当に付けたんだね……」 呆れる…が、もしかしたら嘘なのかもしれないな、とも思う。そうやって重たくなりがちなことを彼は言わない。そうやって何度も嘘を吐かれていることを思い出し、けれども今のこれが本当に嘘だったとしたら、それはきっと優しさからくる嘘なのだと思った。 けれども、 (アルフレド…それは、僕の知らないアルヴィンってことで……) 「ねえ、その、さ……」 「んー?」 ふと頭を過った何かに、口は勝手に言葉を紡ぎ出す。 「結局偽名使う必要もなくなったんだよね」 「そうだな。アルクレドも実質崩壊しちまったようなもんだし、スヴェント家の方の跡目問題も当事者抜きで落ち着いちまったようだしな」 「だったらさ―――僕も、アルフレドって呼んだ方がいい?」 「……どうして急にそうなるんだ?」 そんなことを言われるとは思ってなかったのか、瞬き多目にこちらを凝視する。突飛なことを言い過ぎたのかもしれない。しかし今更それもなかったことにはできず、 「だって偽る必要がないんだから、今更偽名を名乗る必要はないよね? それとも、まだ他に命を狙われるような相手でもいるの?」 尋ねれば、 「そんな人を物騒の塊みたいに……けどまあこれまでの己の行いを振り返ってみるに、『アルヴィン』で買ってる恨みの方が多いような……」 自分でも思うところかあるのか、作業の手を止めたままうーんと唸り始める。 アルヴィンは以前から傭兵をしながら、あちこちアレクノアの仕事でスパイ的なことに手を染めていたのだということは、ジュードや仲間たちも既に知っていることだ。だがそれは金銭を目当てとするのではなく、この世界を覆う断界殻を破壊し、彼らの故郷であるエレンピオスへ帰る為の行いだった。しかしそんな理由を相手が知る筈もなく、そしてその過程で得た恨みは少なくない筈だ。 確かスパイのスパイとして、ア・ジュールの四象刃の一人であるプレザが以前所属していた組織の壊滅にもアルヴィンが関わっていたと聞いた。他にも同じようなことをしていれば、『アルヴィン』に対する恨みは、きっと自分が彼の嘘に胸を痛めた何倍も、何十倍もあるのだろう。 ―――…まあ今は、そういう話ではなくて、だ。 「じゃあやっぱり本名の方が今は安全なのかもね」 「んー、まあ、そうなのかもしれないな。でもなあ……」 ちら、とこちらを見られる。何か呼ばれることに抵抗があるのだろうが。思い付きで言い始めたことだが、命が関わってくる以上、このままどうでもいいこととしておくわけにはいかない問題のような気がする。 もう、一緒にいると決めたのだ。 だからただでさえ危険の多い道中、少しでも危険がない方がいいに決まっている。 「え、っと、じゃあ試しに呼んでみようか?」 「ああ…そうだな、試しに呼ばれてみるのもいいか もしれないな…」 よし、とジュードは立ち上がると、アルヴィンの傍に歩み寄った。するとアルヴィンも傍にきたジュードを見上げる。 いつもは見上げる程の身長差だが、ベッドに腰をかけるアルヴィンが相手だと、今はジュードの方が見下ろす高さに視線がある。 「………」 「………」 するとどうだろう。 (な、何か緊張してきた……) 鼓動がどっど、と耳に付き始める。 ただ呼ぶだけだ。名前を呼ぶだけに緊張する必要など、ある訳がない。 「じゃ、じゃあ、呼ぶよ?」 「お、おう」 緊張が動揺を誘ったのか声まで上ずってしまう。なのに何故か応えるアルヴィンの声まで上ずっており、この一種特殊な状況にやや臆してしまう。だが一端言うと決めた手前、今更止める訳にもいかない―――いや、止めても別に支障はない筈だが、止められない。 じっとその目に見つめられてしまっているこの状況じゃあ……。 ごく、と乾いた喉を無理矢理鳴らし、ジュードは声を発する準備をした。そして用意された単語を放つ為に口を開き、 「ア―――アルフレド」 「お、おう」 呼んだ。そして、応答があった。 「………」 「………」 しかしそれに続いたのは二度目の沈黙だ。言った方も言われた方も黙り、見つめ合う。 その時間は長いようで、実際はひと呼吸分程度のものだったのかもしれない。だがそれは唐突に、予想通りにきた。 「〜〜〜〜っ!」 急激な体温の上昇に伴う、赤面、そして発汗。心拍数が跳ね上がり、どっど、と鼓膜の近くで血管が唸り、血を全身に駆け廻らせる。 ただ単に名前を呼んだだけだ。それだけ…なのに。 (名前呼ぶだけで何をこんなに…こんなことじゃまたアルヴィンにからかわれて……) 『照れちゃってかわいい〜ジュード君。よぅし、今度からはアルフレドでよろしくぅ!』とか何とか言われる前に何とか話題をすり替えるなり対処しなければ…! ちらり、とジュードはアルヴィンを見た。きっとアルヴィンのことだ。こちらの反応に対し、にやにやと相好を崩しているに違いな―――…。 「…………え、っと、…アルヴィン?」 「…………っ」 しかしそこにいたのは、ジュードと同じように頬から耳元まで赤くし、隠すようにして手で口元を覆うアルヴィンだった。視線があらぬ方向を漂っている。 「な、んでアルヴィンまでそんな顔してるんだよ…」 「いや、なんか思った以上に照れ臭いっつーか、耳にこそばゆいっつーか……」 「そ、そんなこと言ったって、アルヴィンの名前じゃないか」 「んなこと言われたって本名なんて最近はほとんど母さんくらいにしか呼ばれたことねーよ……やば、何か駄目だ…色々と―――…」 口元を覆った手を離さないのは何故だろうか。しかしからかわれるとばかり思っていたのに、そんな予想外の反応をされると、 「な、なんかアルヴィンがそんなに反応するから僕も恥ずかしくなってきた」 「そもそもお前が」 「だ、だって」 そわそわする感覚と、下がらない頬の熱。思わぬ方向に話を傾けてしまったのは自分からだっったが、こんな状況になってはもう。 「……ごめん、やっぱりアルヴィンのことはこれからもアルヴィンって呼ぶことにする……」 こんな調子では呼べない。ただ単に名前を呼ぶだけでこれ程動揺するなんて、思ってもみなかった。それとも慣れていないだけであって、繰り返して呼ぶ内に慣れるのだろうか…いや、慣れるまで呼び続ける自信がまずない。 ジュードは自身の熱を吐き出すように深いため息を吐くと、しゅんと項垂れて、 「ごめんね、僕から言い出したことなのに…あ、でもアルヴィンが命とか狙われても、危ない時があったらちゃんと助けるから―――でも僕が見てないところだったら自力で何とかしてね?」 「言い出したのジュード君からなのに酷くね?」 精一杯の譲歩つもりだったがお気に召さなかったようだ。いや、そもそも見てないところのことまでは流石のジュードにもどうしようもないから無茶を言ってはいけない。 そう、無茶だ。そもそも無茶なことだった。 (僕の馬鹿……変な欲を出すからこんなことになるんだ) 名前を呼んだからと言って、彼のすべてを知ることにはならない。生まれた場所も、育った場所も、過ごして来た場所も、その時間さえも違うのだから当たり前だ。その性格から言って、あまり語りたがる話題でもないだろう。だからきっと、余程の機会がないかぎり自分は『アルフレド』を知らないままだ。 (けれどもそんなの当たり前だ…アルヴィンだって、ル・ロンドやイル・ファンでの僕を知ってるワケじゃない) 出会ってまだほんの数カ月。その途中何度も嘘を吐かれたり、離れたりしたけれど、しかし今はこうしてここに一緒にいる。これからもいたいとジュードは思っている。だから知っていくのは過去のことではなく、未来のことであった方がずっといい。 (それに、照れくさいのもそうだけど…何だか知らない別の人みたいで嫌だ) それが本音だったが、言わないことにした。母親をあれほど大切にしていたアルヴィンにとってはアルフレドとしての自分も、きっと大切なものに違いないのだから―――…。 「―――や、でもたまには呼んでくれてもいいな」 「? どうして?」 それからしばらくしてようやく口元を覆っていた手を退かし、アルヴィンが独り言のように呟く。見れば、隠されていた口元は笑い出すのを必死に堪えていたかのように目一杯口の両端を吊り上げていて、 「なんかああいうの新鮮で、ムズムズするけど、ゾクゾクもしたっつーか…たまにはそういうプレイもいいよな?」 「………馬鹿」 そんな特殊な性癖には付き合っていられないとばかりに、ジュードは熱の放出ではなく冷えた呆れたため息を吐き出した。
あれ、何だかシリアス風味に…そう言えばバランが途中から普通に『アルヴィン』呼びになってたなあ、とか思い出したり。
[2011年 9月 23日]