「やっほー、ソフィひっさしぶりー!会いたかったよーん」
「パスカル?」
見つけた目標へは一直線だ。両腕を広げて身一つでぶつかっていく……が。
「…ひょい」
「おおおお!?」
軽い掛け声と共に横に避けられ、そのまま目標を失ったパスカルは柔らかい芝生の上に豪快にスライディングした。
「ソフィひどーい…」
「本能的によけちゃった」
ヒューマノイドを本能的に避けさせるなんて、実はすごいかもしれない。今度ぜひその辺の事を調べてみたいが、今日はそんな理由でラントまで来た訳じゃあなかった。
スライディングで付いた土を適当に払って起き上がり、パスカルは辺りを見回す。
「パスカル、今日はどうしたの?」
「遊びに来た!って言いたい所だけどー、ちょっと実験用で輝石を工面してほしくてさ。アスベルに直接お願いしにきたんだよ」
ウィンドルやストラタの大輝石とは違い、フェンデルの大輝石は火属性の為か非常に力が不安定だ。国中にパイプラインを引き、そこに大輝石で沸かせた湯を巡らせる案は思い付いたが、その湯を巡らせるパイプにも途中で湯を冷めさせないなど工夫が必要だった。
そこで必要な輝石を、是非とも世界ナンバーワン産出地であるラントに工面してもらえないか、という訳だ。勿論オイゲン総統の親書も預かっており、アスベルを通してリチャードに進言してもらうのが目的だ。
(本当はわたしじゃなくてもいい仕事なんだけどなー)
どっちかと言うと大輝石の方を見ていたい。けれども大輝石は姉のフーリエが見ていてくれると言うし、旧知のパスカルの方がうまく承諾を得られやすいとか何とかで、半ば強制的に旅立たされた。
まあ、でも久しぶりに仲間に会えるのは悪くない。しかも最初に会えたのがソフィだった。幸先はいいような気がする。
「そんな訳でアスベルはいるー?」
ラントの屋敷には何度か訪れた。確か入ってすぐ左の部屋が、執務室だった筈だ。
「いるよ。でも今はだめ」
「だめ?なんで?」
しかし玄関に向かって歩みはじめたパスカルの前に、両腕を広げたソフィが立ち塞がる。
「お仕事中?」
ぶんぶん、頭を左右に振るとツインテールもぶんぶん、と揺れた。
「じゃあお客さん?」
こくん。頷いて手を下ろす。
「そっかー、お客さんならしょうがないよね」
「リチャードが来てるの、だからだめなの」
せっかくソフィもいる事だし、久々の親睦を深めるのも悪くない。何をして遊ぼうか、そんな事を考え始めた思考を、しかしソフィの言葉で中断させた。
「えー、リチャードが来てるなら問題ないじゃん。しかもナイスタイミーング」
パスカルにとって、どっちも用がある。その二人が揃っているなら話は早い。
「だめなの」
けれどもソフィは再びパスカルの前に立ち塞がった。
「だいじょぶだいじょぶ。知らない仲でもないんだしー」
「ちがうの。大丈夫だけど、今はだめなの」
「んー?どーゆーこと?」
必死な様子に、さすがに足を止める。大丈夫なのに駄目とはどういう事か。するとソフィはちらりと、レースのカーテンがかかった、屋敷一階左側、執務室の窓を見やって。
「アスベルとリチャードは今いちゃいちゃしてるから、だれも入っちゃだめなの」
「そう言えばソフィは何処に行ったのかな?美味しい紅茶を持ってきたから、皆でお茶にしようと思ったのに」
「ああ、俺もそう思ってお前が来た時呼んだんだが―――…」
『わたしお花の世話があるから』そう言って断られてしまったのだ。せっかくバロニアからリチャードが会いに来てくれたのに後に出来ないのか?、と聞いたが、
『ダメ。お花の世話は【毎日の積み重ねが重要】ってアスベルのママが言ってたから』
けれどもそれが終わったら必ず行くから、とそう言っていた。それまでは何人たりとも部屋には近付けないとも言っていた。後の事は意味がわからない。しかしそれをリチャードに話すと、彼は長い指を顎に添えて、
「……ソフィに気を使わせてしまったかな?」
なんて、さもその意図がわかったような口ぶりで呟く。
「何が?」
「ふふ。君のそういう所も好きだよ、アスベル」
「??何だかちっとも褒められている気がしないが…」
こういう時、リチャードはけしてその意味を教えてくれない。だからまあ、慣れてしまったと言えばその通りなんだが。
「しかしそうなると、期待に応えるべきなのかな」
「?」
この場合、やはりその相手とはソフィだろうか。ソフィの期待とは一体…?
「アスベル、もうそんな野暮な詮索は止めにして、こちらにおいで」
しかしそうやって必死に頭を捻ってその理由を考えようとしているのに、リチャードは手招いてその思考を遮る。
「それに、せっかく煎れたお茶が蒸らし過ぎて台なしになってしまうよ」
「あ、そうだった」
思い出した。リチャードが持って来てくれた紅茶を煎れている最中ではないか。蒸らしすぎて渋味が出過ぎてしまっては元も子もない。
アスベルは一旦その思考は余所に避けておく事にして、慌て白磁のティーポットを手に取った。
「大丈夫かな」
「アスベルが煎れてくれたものなら、どんなものでも美味しいよ」
「そういう訳にもいかないだろ」
くるくると優しくティーポットを円を描くように回し、アスベルは同じく白磁のティーカップにそれを注いだ。鮮やかな飴色の液体が満たされ、湯気と共に香しい香りが辺りに広がる。
「ああ、いい香りだ」
そう言って、飴色の液体の波打つカップを手に取ろうとするので、アスベルは手を伸ばして遮る。
「ちょっと待てリチャード。失敗してるといけないから俺が先に」
「大丈夫だよ。言ったろう?君が煎れてくれた紅茶がまずい筈がないって」
遮った筈の手が逆に抑えられ、あっさりと包囲をくぐり抜けた腕に、カップをさらわれてしまった。勿論アスベルが本気を出せば出し抜かれる事もないが、今は片手に母のお気に入りの白
磁のティーポットを手にしている。そして何より、何だかんだリチャードには甘いのだ。
「頂くよ」
「〜〜〜もう、文句は言うなよ」
「まさか」
諦めて、自分のカップにも紅茶を注ぎ入れる。するとそれを横目に、リチャードはカップの縁に唇をつけ、ソーサーで受けながら優雅な動作で傾けて。
「…………」
無言。しかし何も言わず二回目も唇をつけてカップを傾ける。
「………どうだ?」
結局何だかんだ言っていた自分の方が痺れを切らして問い掛けた。すると彼はほう、と温かな吐息をついて、
「美味しいに決まっているって、何度も君に言っているじゃないか」
なんて、少し呆れたような顔で言う。その顔や声がけしてこちらに気を使ってばかりの様子ではないので、思わずほっとしてしまう。
「ふむ、今年の出来は上々のようだね。アスベル、君もおあがりよ」
「ああ………―――うん、美味しい」
口に含んだ途端に溢れる香りに胸が梳くようだ。紅茶の違いがわかる程鋭敏な舌は持っていないが、そんなアスベルにも普段飲んでいるものとは違うとわかる代物だ。
「ね。僕の言った通りだろう?」
「別に俺が煎れたから美味いって限らないだろう。城に献上されるような物なら、誰が煎れてもそれなりに美味い筈だ」
フレデリックに煎れてもらえば、もっと美味しくなっただろう。アスベルも自分でお茶くらい煎れるが、本職の執事には到底敵わない。しかし今回、いつものようフレデリックに頼もうとしたアスベルに煎れるよう頼んだのは、外ならぬリチャードだった。
彼は手にしたカップを傾け、
「そんな事はないよ。アスベルが僕の為に愛情を込めて煎れてくれたんだ。これ以上美味しいものはないよ」
「リチャード…!」
カップを手にしたまま、その温かな紅茶同様、温かく穏やかな微笑を浮かべるリチャードに、アスベルはほのかに頬が熱くなるのを感じた……そこへ。
「あまーーーーい!」
「あ。パスカル、だめ」
「!?」
「?」
突然扉が開き、どっと人がなだれ込んできた。いや、なだれ込んできたと言ってもそれはラントにいる筈のないパスカルだけだ。しかし開け放たれた扉の向こう側にはソフィが立っている。
「パ、パスカル?」
「あいたたた…しまった、あまりにベタな展開に思わず突っ込んじゃったよ〜」
「だからだめって」
「何をしてるんだ二人とも。そんな盗み聞きするみたいに…」
倒れ込んだパスカルに歩み寄り、手を貸して助け起こしてやった。一年近く会っていないが、相変わらずのようだ。しかし、何の為にここに―――…。
「えへへ〜。ソフィがアスベルとリチャードがイチャイチャしてるって言うから、気になっちゃって。別に邪魔をするつもりはなかったんだよ?」
「わたしだめって言ったのに。パスカルが『邪魔じゃなくて見守るだけ』って言うから」
「イ、イチャイチャって…」
そんな事の為、じゃ勿論ないにしても、ソフィにそんな事を言われてしまうなんて。
「ほら、やっぱりソフィには気を回させてしまったんだね」
「……あ!」
リチャードの笑みを含んだ言葉に気がつかされる。さっきの言葉はこの事を指していたのだ、と。それを自覚して、余計に恥ずかしくなってきた。
「そんなに気を使ってくれなくていいんだよ、ソフィ。アスベルとイチャイチャするのはいつだってできるから、今はアスベルの煎れてくれたお茶を皆で頂こう」
「リチャード!」
「そうだよねー。やっぱり実家だと親の目もあるからイチャイチャし辛いし…って事は、さっきのはまだまだ序の口ってレベル?」
「ふふ。パスカルさん、残念だがそれはアスベルのみぞ知るって所かな」
「おお、意味深。イロイロ想像しちゃうね〜」
「というかパスカル、お前は一体何をしに来たんだ……?」