一度吹き上がった熱が、ゆっくりとけだるさと一緒に溶けていく。そんな時に触れ合ったままでいる事がどんなに幸せか、今正に思い知らされている最中だ。
「…アスベル、大丈夫かい?」
重ねた体をそのままに、汗ばむ髪を長い指が優しく掻き混ぜる心地よさに、このまま眠りに付ければどれほど幸せかと考える。けれども閉じかけていた目をどうにかこじ開け、覆いかぶさったまま、こちらを見下ろすリチャードを見た。
「ちょっと疲れた…けれど、大丈夫だ」
その疲労感が逆に心地よい眠りを連れて来る原因になっている。なのでそれさえも悪いとは思えなかった。それを告げると、覆いかぶさるリチャードはふわりと表情を緩め、いくつかのキスをアスベルの顔に降らせる。
「よかった。どうしても君の負担の方が大きい事がわかっているのに、いざ君に触れると抑えられなくなる」
形のいい唇が鼻の頂に口付けると、それはもう吐息が触れる程の距離だ。薄闇の中でも、僅かな光を集めてきらきらと輝くブロンドが零れ、アスベルから周囲の景色をカーテンのように遮る。見えるのは、溜め息をつきそうな程整った秀麗な顔と、吸い込まれてしまいそうなウィローグリーンの瞳。その瞳の中に自分が映り込んでいる事に気が付いて、それがとんでもなく気恥ずかしい事だというのと同時に、この上なく嬉しい事だというのを知る。
「今だって、本当はもっと君を愛したい気持ちを抑えるのが辛いくらいなんだ」
すると、そう苦笑するリチャードが、アスベルの上から上半身を起こす。今は別に寒い季節ではないのに、それまで折り重なっていた温もりが離れ、僅かな寒さに首筋が泡立つ。温もりだけではない、きらきらと輝くブロンドも、自分を映し込んだウィローグリーンの瞳も。
アスベルにはそれが、酷く惜しい事だと思えた。もちろん、このけだるさに身を任せる事も酷く心引かれるのだけど、
「リチャード」
「アスベル?…!?」
呼んで、腕を伸ばす。そして油断していただろうその体をベッドに引き倒し、今度は代わりに自分が折り重なるようにその上に覆いかぶさった。
「アスベル、これは」
引き倒された状況をすぐさま理解し、リチャードが見下ろすアスベルを見上げる。そのウィローグリーンの瞳にちゃんと自分が映り込んでいる事を確認し、今度はアスベルから、その顔にキスを降らせた。額に、すらりとした鼻梁、長い睫毛が縁取るまぶた、そして、
「アスベル」
不意に呼ばれて、下から持ち上がった手に頬を包まれた。そのまま、引き寄せられて唇を重ねる。小鳥のように啄んで、その次には深く、熱を分け合うように。歯列を割って入り込んできたものを迎え入れると、こちらのものを絡み取られて音を立てて吸われもした。
「……アスベル」
「ん、リチャード…」
解放された頃には、頭の芯がとろりと蕩けたみたいになっていた。しかし呼ばれた声に反射的に答え、知らぬ間に閉じていたまぶたを持ち上げると、困ったような顔をしているリチャードと視線が重なる。今の行動の説明を求められているのだ。説明も何も、難しい事など何一つないのに。
「別に我慢しなくていい。リチャードがそう思っているなら、きっと俺だって同じ事を考えているから」
心地よい疲労感に身を任せる事も魅力的だ。隣に好きな人の存在を感じながら眠る事の、何て幸福な事だろうか。けれどもそれ以上にその存在と、強い幸福感に包まれる事を知ってしまった。勿論、それはかなりの気恥ずかしさを伴う行為であるけれど。
「だから…」
「アスベル」
「!」
唐突だ。裸のままの腰を抱かれ、体の下に敷くリチャードに隙間がなくなる程体が密着した。体温が混じる。一度は収まりかけた熱が先程のキスでまた燻り始めているのを、リチャードに気付かれてしまっただろうか。
「嬉しいよ、アスベル」
耳に囁き込まれる甘い声には、最中に聞く熱を滲ませて。
「けれども、君のその優しさに付け込んで、僕はどんどんわがままになっていってしまうよ」
「っ、リチャード、君は」
かり、と耳の縁を噛まれて体が震える。そこは痛みよりも熱を放ち、やがて耳から注がれた熱同様、何もわからなくさせるのだ。しかしそうなる前に伝えたい。
「君は国王で、普段好きにわがままを言える立場じゃない…だから」
「俺だけにはわがままでいてくれていい」
同じように髪の隙間から覗く耳に直接告げれば、腰を抱く指がぴくりと震えた気がした。そして、
「アスベル、君は一体どれだけ…」
はああ、と深い溜め息。しかし僅かに顔を上げたアスベルの眼下には、蕩ける程甘い笑みを浮かべたリチャードの顔がある。
「君はどれだけ僕を甘やかしてくれるんだい?」
「べ、別に甘やかしてる訳じゃない。ただ、俺と二人きりの時くらいはリチャードの好きに…」
国王という立場上、その振る舞いや言動には常に影響力を持つ。国王は国の為、民の為。勿論、王家に生まれたリチャードにとって、それが生まれながらの責務だ。
けれども、
「国王になったからって、リチャードはリチャードなんだ。俺にとって大切な………恋人だ」
ラントの領主として、ウィンドル国王であるリチャードを支える事も勿論重要だと考えている。けれども同時に、自分の前だけは国王ではない、ありのままの『リチャード』としていられるようにしてやりたいとも思う、なんて。
「はは…なんて、ちょっと無責任すぎる、かな」
「アスベル」
「え? お?」
今度はアスベルの視界が回転する番だ。ぎしりと大の男が二人乗っても余りあるベッドが軋み、一瞬で体勢は元通りになった。見上げれば、その光景はさっきと同じ。視界を遮るブロンドのカーテンと、自分だけを映し込んだウィローグリーンの瞳。秀麗な顔は、見ているだけで頬と言わず耳まで熱くなりそうな、甘く、蕩けるような微笑を湛えて。
「本当に、いつまで経っても君には敵わないよ。君がいるから、僕は前を向いて歩き続けられるんだ」
言って、ちゅ、と音を立てて唇を啄まれる。しかしそれだけで離れた所を、少し頭を浮かせて追い掛けるようにキス仕返せば、リチャードは少し驚いたようにぱちぱちと瞬きをして、けれどもすぐに今日一番の微笑みをもって破顔した。
「愛してる、アスベル」
「俺も。でも、いつもわがまま聞いてばかりじゃないからな」
「わかってるよ。けれども今は、君にわがままでいさせてくれ」
のしかかってきた背中に腕を回して抱き締める。その時混じり合う体温も、聞こえた優しい鼓動の音色も、何もかもわからなくなるまで大した時間はかからなかった。