「ソフィ、あまり離れては駄目だ」
「ソフィ、疲れていないか?」
「ソフィ、林檎の木がある。一つ食べるかい?」
「―――アスベル、君は変わっていないね」
「え、突然どうしたんだ」
もいだ林檎をソフィに渡し、自分とリチャードの分もと手を再び伸ばしていた時だ。背後からやや苦笑混じりの声でそんな事を言われ、そのままの体勢で肩越しに振り返る。
セルディオ大公が反逆を起こし、リチャードの父である国王は殺害された。そして同じく命を狙われ追われる身となったリチャードと、同じくその身を匿っているのではないかと騎士団に追われる立場となったアスベル。今はソフィを連れ立って、国王が生前親交が深かったと言うデール公領グレルサイドへ、人目を忍びながら向かう道中だ。
しかしすべてが急な事であり、旅に出る支度もろくに出来ていない。置かれた状況からして、集落は待ち伏せの可能性がある為に立ち寄るのも思わしくない。それなのでこうして、道端の果実をもいでいる訳だが……。
(緊急とは言え、王子であるリチャードにこんな物を食べさせるのは気が引けるけれど)
まあ仕方がない。食べずにいて、もしもの際力が出ないでは済まされない状況なのだから。
しかしリチャードが今言いたいのは、そう言う事でないらしく。
「面倒見がいい、という事さ」
「そうかな。別に普通だと思うけれど」
首を傾げ、もいだ林檎の片方をリチャードに渡した。
「でもまあ確かに、気になると言えばなるかな…」
「?」
呟いて、渡した林檎をかじるソフィを見る。
子供の頃からの習慣が身に染み付いてしまっているからだろうか。弱虫で自分の背中に引っ付いてばかりいたヒューバートに、体の弱いシェリア。他にもあの当時、街の中ではガキ大将的ポジションにはいたので、面倒を見ていた子供は多かった。
今思えばやはり思い上がっていたと反省するが、けれども苦だと感じた記憶はない。あの頃は自分が全部、守ってやれると信じていたのだ。
(けれども結局、女の子一人守れなかった)
それどころか守られて、あまつさえ彼女を失ってしまった。
その彼女に再会したのはつい最近だ。そして今、彼女…ソフィは目の前にいる。しかし目の前にいるソフィ似の少女が、あの時失ったソフィと同じだとは確証を得られた訳ではない。姿形、記憶を失っているところまで同じだが、彼女は死んだと知らされている。この目でそれを確認した訳ではないが、リチャードも同じ話を聞いているなら、間違いないだろう。
しかし何より、時は七年も経過しているのだ。生きていたとしても、同じ姿だという事が既に常軌を逸している。
(リチャードはこの少女をソフィに違いないと言う…果たしてそうなのか)
いや、例えソフィでないとしても守りたいという意志はけして変わらない。しかしそれを『ソフィと容姿が瓜二つだからではない』とは言い切れないのは確かだ。
「アスベル?」
じっと見詰めると不思議そうに首を傾げ、彼女はアスベルを見上げる。アスベルは何でもないと苦笑し、その頭を優しく撫でた。
「君が自然とそう振る舞うぐらいだ。きっと彼女がソフィだから、と言うのも多いに関係があると思うよ。そしてそれを君は無意識に認めているんだ」
その様子を傍で見ていたリチャードは言う。
「それは……いや、そうだな。そうなのかもしれない」
それは素直に認めざるを得ない。認める事は、この少女をソフィだと決め付けてしまう事だとしても。
「けれど、羨ましいな」
「え?」
それは唐突だった。林檎にかじりつこうとしたアスベルの手が止まる。
「リチャード、『羨ましい』って、なに?」
代わりに問い返したのはソフィだ。するとああ、とリチャードは頷いて、
「ソフィが羨ましいって、言ったんだ。アスベルにこんなにも心配されて」
「心配されると羨ましいの?」
「ああ。ソフィに嫉妬するよ」
「嫉妬?」
「羨ましいって事さ」
「???」
「リチャード!」
ソフィ相手に遊んでいるのか。それにしたって内容が内容だ。
「いきなり何を言い出すんだ。ソフィがよくわからないからって冗談にも程が…」
「冗談だなんて、それこそ酷い冗談だよ。僕は本気だ」
「本気だって……」
そう言う顔が笑っているのは冗談とは言わないのか。
「アスベル酷いの?」
「酷いよ。傷付くね」
「……アスベル、けんかはだめ」
「〜〜〜っソフィ、誤解だ」
二人の間に入って両腕を水平に上げるソフィの顔は真剣だ。しかしその向こうにいるリチャードは腹を抱えており、声こそ立てていないが、肩がぷるぷると震えている。笑いを堪えているのが必至じゃないか。
「仲直り、する?」
だがそれを指摘してやろうかと考えたが、何も知らずに不安げな顔をするソフィを見ていると、そんな気が失せてきた。アスベルははあ、とため息を吐き出し、そんなソフィの頭をそっと撫でる。
「そもそも喧嘩している訳じゃないんだが……仲直りするよ。ごめん、ソフィ。これからはリチャードにもソフィにも、両方平等に心配する……でいいのか?」
自分で言っていて意味がわからない。若干腑に落ちない点の方が多いが、事態を収拾させる為には仕方がないのだろう。
「うん」
「よろしく、アスベル」
「………」
さっきまで笑いを堪えていた本人は、今はもうまるで何事もなかったように微笑んでいる。ソフィ共々そんな毒気のない笑みを向けられたらアスベルも何も言えず、ひっそりとため息と共に肩を落としたのだった。