*おふたりさま生活*

 

 

 

 

 

「あ、ね、ねえ、佳主馬くん。お願いが一つあるんだけど」

「お願い? 何?」

そんな事を真剣な顔で言うものだから、もう少し色気のある話かと思った…のに。

 

「―――ちょっと、大丈夫?」

「だ、大丈夫。こんなに早く起きたの久々だなー…」

時刻はまだ朝の5時。この季節じゃあもう薄明るい時間帯だが、今朝は朝もやで若干視界が煙っている。

佳主馬はいつものトレーニングウェアで、健二のそれは一体いつのをタンスから引っ張り出してきたんだろう。しかし

よれよれだが、それでもジャージに着替えてきた心意気だけは買う事にする。

「でも何でいきなり朝トレ付き合うなんて言い出したの? 健二さん、別にスポーツしてないし」

「は、はは、柄じゃないって? でもやっぱ運動不足はよくないかなーって最近思うようになってさ」

「ふーん…」

昨晩寝る前になって何を言われるのかと思えば、『明日から佳主馬くんの朝トレ一緒に行っていい?』だった。

普段佳主馬が朝トレに抜け出す時は、大抵健二はまだ夢の中だ。帰ってくるとちょうど起きてきて、シャワーを浴びている間に朝食を用意してくれる。そんなタイミングがちょうど良かったのだが。

(まあ、どんな心境の変化か知らないけれど)

健二は自他共に認める運動オンチだ。それを克服しようという気持ちは大切である。

「で、いつもはどうしてるの?」

出発前に準備運動のストレッチをする。すると佳主馬のする事を真似しながら、健二が尋ねてきた。

「ん。まず軽く周囲をランニングして、駅の向こうの公園に行く」

「い、意外と遠くまで行くんだね」

「遠くってすぐじゃん。で、着いたらいくつかいつもの型の復習して、で、またランニングして帰る」

「………」

「まあ、今日は健二さんがいるから軽めに、ね」

「よ、よろしくお願いします」

既に疲れたような顔をしているが、大丈夫だろうか。

まあ、今更本人のやる気を削ぐ事はできない。けれども今日はたぶん朝トレにはならないな、と口には出さずに思いながら、佳主馬はとんとん、とランニングシューズの爪先を鳴らし、走る出す準備に入った。

「じゃ、行こうか」

「うん」

だって頷くそんな真剣な顔を見てしまうと、とてもからかえない。

いつも朝トレは当然ながら一人だった。実家にいた頃もそうだ。それが当たり前だ。

それがたまには同伴者がいても…しかもそれが好きな人ならば、けして悪いと思えるわけがないのだから。

 

***

 

「…っ、……は、あ」

「そこにベンチあるから休んでてなよ」

「ご、ごめ……は、ふぅ…」

―――案の定駅までもたなかった。いや、初めてでここまで着いていけただけでも、褒めるべきなのかもしれない。

佳主馬が公園の入口にあった自販機で買ったスポーツドリンクを渡してくれる。どちらにしろ今からの少林寺拳法の型の復習に、健二は付き合えない。佳主馬の鍛練が終わるまで休んでいれば、何とか帰られるくらいには回復するだろう。

(でも、わかっていたけど情けないよね…)

おとなしく座って、健二は冷たいスポーツドリンクに口をつける。まっすぐ視線を伸ばせばまだ若干朝もやの煙る中、佳主馬は型の鍛練を始める所だ。

(―――あ。なんか、空気が変わった)

早朝とは言っても、既に街は動き出し始めている。けれども佳主馬が鍛練を始めた瞬間、自分たちのいる周囲だけ、まるで時間が切り取られたような感覚に陥った。

朝もやのせいだろう。佳主馬が静かに動くのに合わせ、もやがゆっくりと湿り気を帯びながら流れていく。そこに朝日が反射するときらきらと輝いて見え、まるで佳主馬自身が輝いているようだ。

「ふわぁ…」

(佳主馬くん、かっこいーなあ…)

動きはやがて早くなり、いくつも空を切る音が響く。朝の清廉とした空気が断ち切られ、繰り出すたびに短く漏れる佳主馬の呼吸の音に健二は耳を澄ませた。

(急に一緒に行きたいなんて言って、変に思ったかな)

こんな典型的なインドア派の自分がいきなり運動したいなんて言い出す事自体、もしかしたら不自然かもしれない。それにたしかに運動不足である事は間違いないが、しかし今更それを解消しようという意志がある訳でもなかった。

それはふと、昨日の朝気付いた事。

昨日も朝も目を覚ました時、佳主馬は当然のように朝トレに行っていなかった。もちろん日課なので、一時間もすれば帰ってくる事は健二も知っている。

だから帰ってくる頃に健二は起きて、佳主馬が鍛錬の汗を流す為にシャワーを浴びている内に朝食の支度をする。それがいつもの流れだ。

けれども昨日の朝は違った。朝、自分以外に部屋に誰もいない。ふと、それが淋しいと気付いてしまったのだ。

(家の中で一人でいるなんて事、もうとっくに慣れ切ってた筈なのになあ)

 両親が共働きの為、小学生の頃から家に一人でいる事が多かった。今より広いマンションに、一人で留守番するなんて当たり前だった。

けれども今、あの2Kと言っても狭いアパートに一人。しかもたった小一時間。それすら淋しいと思うようになってしまったなんて。

 二人でいるようになった時間は、これまで自分が一人で過ごしてきた時間よりずっと短い。それなのに、二人でいる時間に慣れてきてしまった自分がいる。

もちろんそんな事今更、しかも二十歳過ぎて一人が淋しいだなんて年下の佳主馬に言えるわけがない。

(それにかっこいい佳主馬くんも見られて一石二鳥だし)

キングカズマとしてアバターを操り、OZの中で戦っている姿もかっこいいが、やはり生身の佳主馬がこうして体を動かしている方が、見ていてより胸がドキドキする。

朝からこんなにもドキドキするのは、ここまで走ってきたからだけではない筈だ。

「―――健二さん?」

「!」

 呼ばれて、はっと健二は我に返る。そこには首にかけていたタオルで汗を拭う佳主馬が、訝しげな表情でこちらを見下ろしていた。

「本当に大丈夫? 普段運動してない人がいきなり体を動かすとその方が体に悪いって言うけど」

 ぼうっとしていたので心配されてしまった。佳主馬はどうやら健二の真意には気付いていないようだ。その方がありがたい。佳主馬の前では年上の威厳など有って無きにしも非ず、な状態だが、これ以上の失墜は避けたいものだ。

「だ、大丈夫。それよりもういいの?」

「ん。一通り終わったから」

「じゃあ、帰ろっか。朝ご飯作らないとね」

 空になった缶を、ベンチの隣に置いてあったごみ箱へと入れ、健二は立ち上がる―――が。

「あ、あれ?」

「? どうかした?」

「た―――立てない…ていうか、足ふらふら…」

 立とうとすると膝が笑ってしまい、うまく立てない。たったあれだけの距離を一度走った(途中からはほとんど歩いていたようなものだが)だけなのに。

「か、佳主馬くん……」

 どんな顔をしたらいいのだろう。

困ったような、笑ったような、情けないような、そんなものがない交ぜになった顔で見上げると、見下ろす佳主馬は呆れた表情で深々とため息を吐き出した。

 

 

「………健二さん。まず朝トレがどうとかいう前に、ラジオ体操辺りから始めたら?」

「………」