*優先席(恋人用)*

 

 

 

 

 

「何だか急に寒くなったねえ」

窓にへばり付き、健二が外を眺めながら呟く。その言葉にそういえばもう、十一月も半ばだと気付かされた。

「温暖化だ温暖化だって騒がしいけど、やっぱ冬は寒いよ」

「健二さんは肉付きが悪いのと、後運動不足で新陳代謝が悪いから尚更そう思うんじゃない?」

二人で家賃を折半する2Kのアパートで、夜の自由な時間を過ごすのは特にどちらの部屋と決まっていない。テレビはキッチンにあるが、観たい番組がなければどちらがともなくどちらかの部屋に行き、時間を過ごす。

今夜は健二が佳主馬の部屋に来ていた。そんなに広い訳ではない部屋で、佳主馬は自分のベッドの上に座り、カーテンの隙間から外を眺める健二の背中を見る。さっきまで繋がっていたOZも、もうとっくにログアウトしていた。

「新陳代謝はともかく、やっぱりもうちょっと筋肉つけた方がいいかな?」

「その方が抱き心地がいいよね」

「………」

それは間違いじゃない。まあだからといって今の健二に不満がある訳でもないが。

「健二さん」

黙ってしまった健二を呼ぶ。すると肩越しに振り返る健二に、佳主馬は腕を伸ばした。

「そんなに寒いの嫌なら、くる?」

「え」

「ここ」

両腕を広げるとそこには人が一人入るくらいのスペースがくる。そしてそこは現在、ただ一人の為に空席だ。

「え、あ…その」

佳主馬が言わんとする事を理解したのだろう。血の気の薄い頬に、かあっと熱の赤みが挿す。しかし、

「いや、う…でも、今夜はまだいい、よ…?そ、そんなに寒い訳じゃないから」

「………」

今夜はうまい具合に回避されてしまった。遠慮というよりは、照れか。このまま立ち上がり、窓際に立つ健二を後ろから抱きしめるという手もある。けれどもまあ、それも今はいい。本当に寒くなった時、その言い訳を理由にいくらでも隙をつける。

「そう?じゃあもっと寒くなったらでいいや。いつでも空けて待ってる」

「う、うん」

そう納得した佳主馬が素直に腕を下ろすのは早かった。いつになく聞き分けの良い佳主馬の様子に健二は警戒するだろうが、大丈夫。

(健二さんの事だから二、三日もすれば忘れちゃうから)

「?」

にこりと笑うと、健二もぎこちなく笑い返す。その顔の裏で、その時になったらどんな風にあっためてやろうと佳主馬が考えているなど、健二は微塵も気が付く筈もなかった。

 

 

 

 そんなやりとりをした数日後。

健二は案の定、そんな佳主馬とのやりとりもすっかり忘れているようだ。やがていつしか外との気温差に窓が曇るようになり、とうとう夜の寒さに敵わず毛布を引っ張り出てきた。けれどもまだ、佳主馬の空けたスペースに健二が収まる様子もなく、またお互いに忙しくて互いの部屋を訪れる機会もなく日付は過ぎて行き―――…。

 

「……う、ん……?」

今日はせっかくの休みだというのにスポンサーに駆り出され、イベントのエキシビションに参加していた。一般への顔出しはしていないが、それでも人が多い場所に出向くのはかわりない。エキシビションはつつがなく終了したが、やはり疲れた。

そのせいか夜も健二と一言二言交わすだけで風呂に引っ込んでしまったのだが。

(あー、健二さんが足りない)

そう思って毛布に潜ったのは何時間前か。

しかしふと、何か異変を感じて佳主馬はぼんやりと目を覚ました。こんな時間だ。東京とは言え、郊外の住宅街にある外も静かで、もちろん健二と二人暮らしの室内だって時計の針の音以外は静寂に包まれている…筈なのに。

ふと、ひやりと冷たいものが布団の中に入ってきた。寝ている最中は喉を痛める事もあって暖房の類は一切付けない。だから冷たいそれは部屋の中の空気だった。入ってきたそれらは佳主馬が温めた布団の中の空気に混じっていく。

そして、

「…けんじ、さん……?」

明かりのない真っ暗な部屋の中、それは目の前にあった。

 その冷たい空気と共に入り込んできたのは健二だった。部屋は暗いが、狭いベッドの上だ。これだけひっつけば目の前に何があるかくらいわかる。

 だからそれは間違いなく、健二だった。

「あ、ごめん…起しちゃった?」

 暗い中目が合うと、ばつが悪そうな顔をする。そんな眼が酷く近い。

「………ベッドに潜り込んでこられたら流石に起きる」

「だよね」

 はあ、とため息を吐き出した。どうしてこんな事になっているのか。

起きたとは言っても、まだ頭は状況を把握しきれていない。ただ健二がそこにいる。ベッドに忍び込んできたのだ。それだけはわかった。

「どうしたの」

「うん。ちょっと寒くて眠れなくって…」

 そんなに寒いだろうか、と思う。布団の中から腕を出し、潜り込んできた健二の頬に触れた。するとどうだろう。そこはひんやりと冷たいのだ。まるでついさっきまで外にでもいたかのようだ。

「健二さん、ちゃんと毛布かぶって寝てる?すごく冷たい」

「うん…本当はいつも電気毛布とか出しちゃうくらい寒がりなんだけど、何か出しそこねちゃって。奥の方にしまってあるからすぐには出せないし…」

 そう言えば健二は冷え性だった。真夏でもクーラーはガンガンに効かせたい佳主馬とは違い、夏なのに女性のように室内で上着を羽織っているような人である。

 しかしだからといって、

「それで俺の所に来たの?」

「ごめん、疲れてるって知ってたのに」

 温かくする方法なんて、何も電気毛布にしか出来ないことじゃあない。手近なところから言えば、まず足は靴下を履けばいいだろうし、上着を羽織って寝ることだって考える筈だ。それでもどうしても寒いならエアコンを点ければいい、のに。

「この間―――…」

 

「佳主馬くんが、いつでも空いてるって言ってたから」

 

「!」

「駄目、かな…あったかくなったらすぐ出て行くから…ちょっとだけ」

 普段は甘え下手な健二が、甘えてくれている。いつもならば佳主馬が無理やり引き入れてしまわないでもしない限り、健二が自分から佳主馬のベッドに入ってくることなんてしない。しかもその理由はどうあれ、悪いと思いつつも入ってきたのだ。普段の健二からは想像もできない行動である。

(してやられた)

 しかも自分がしくもうとしていたネタを先に利用されるなんて。もちろん健二にそんなつもりはまったくないだろうけれど……。

「あ、あの、佳主馬くん?やっぱ、出て行った方がいい…?」

 第一そんな声で言われて、駄目と言える佳主馬がどこにいるだろうか。

少なくともここにいる佳主馬には無理な話である。

「いいよ、朝までここにいなよ」

「わ」

 もぞもぞと布団の中で動き、佳主馬はまだベッドの端の方にいた健二の体を抱きよせた。布団の外に出ている体に比べればまだ体は温いが、それでも佳主馬の体温よりはやはり低めだ。その中でも特に、足を絡めた時に触れたそのつま先が、酷く冷たい事に気付く。

典型的な冷え性の症状だ。そう言えば母親が冬はつま先から冷えるのだと毎年のようにぼやいていた事を思い出す。男も女も冷え性って同じような症状が出るんだな、とそんな事に感心しながら、

「でも、ちょうどよかった」

「え、何が?」

 腕の中でごそごそと健二が居住まいを正している最中、ぼそりと佳主馬が呟く。ようやく落ち着く体勢になった健二が見上げるが、跳ねっ毛の多い頭に顎を載せてその視線をさえぎってしまった。

(ちょうど、健二さんが足りなかったところだから)

 それは口にしないで、心に秘めておこう。ただでさえ既に先手を打たれてしまった上に、それ以上、実はこちらの立場の方が弱いという事を知られたくはない。何も知らない健二に、何も知らないままで、このまま一緒に眠ってしまえばいい。

 状況的にはけして悪いものでもなく、むしろ最上なのだから。

「何にも。おやすみ、健二さん」

「お、おやすみ佳主馬くん…あと、ありがとう」

「どういたしまして」