*さぷらいずえんかうんと*

 

 

 

 

 

「あー…テスト週間ってだるい…」

もちろんそんな事は中学の頃から知っている。

特にピンチという訳ではないが、張り切ってやる気分にもなれない。しかし基準点はクリアしなければ追試になるし、佳主馬の将来設計的には手も抜いていられないのが現実だ。

「ある程度順位は維持しておかなきゃな……」

そう思いつつも机に向かった、テスト週間中の日曜午後。季節は暦上では春と言ってもまだ寒い三月で、今回は学年末という事になる。その為少しでもいい点を取って内申書の点数稼ぎをし、志望の大学進学を優位に、確実に進めなければならない。東京の大学に行くとなれば、生半可な大学では親に東京行きを納得させられないのだから。

(その為とは言え、テスト週間中は健二さんの姿どころか声も聞けないのは……)

携帯のメールには、テスト週間に入る前の、『テスト頑張ってね』という応援メールを最後に、健二からの着信は一切ない。佳主馬の邪魔になるからという理由で、これはもはや中学の頃からの約束だ。

もっとも健二は佳主馬が東京の大学を目指しているとは露とも知らずにいる。こういうのは最後の最後、決まってから知らせるものだと佳主馬が胸に秘めたままでいるのだから仕方がない。

―――高校を卒業したら絶対に東京に行く。

大好きな人に季節ごとの休みの時にしか会えないなんて、せっかく恋人になれたというのに何の苦行だ。現にたった二週間程度のテスト週間中に電話やOZの中で会えないだけで、酷く渇きを覚えるというのに。

しかも自分がテスト週間に入る前は健二が試験期間だった為、実際は一月くらい、すれ違ったままなのだ。

(学年末が終わって春休みになったら、健二さんとどっか行きたいな……)

そのためにも成績は良いものを残さなければならない。学生の身分には色々と制約が多くて面倒だ。何をするにも親の許可がいる。

だから早く大人になりたかった。自分自身、自分は大人だと思っていても、社会的立場だけは実年齢相応としてしか見られないという事を、歳を重ねて思い知らされた。

「本当に面倒…都合の悪い時ばっか大人扱いする癖に」

まあいい。結果を出せば文句は言われないだろう。それには勉強だ。

―――大分脱線してしまった。

「はあ……続きやろ……ん?」

椅子を引き直し、佳主馬は机に向かう。しかしそのタイミングで、突如玄関のインターフォンが鳴った。

聖美は妹を連れ、一時間程前に買い物に出掛けていったままで家には佳主馬以外に誰もいない。セールスだと面倒だ。聖美にも何か荷物が届くから受け取っておいて、とも言づてられていない。出なければその内諦めて帰るだろうと……。

―――ピンポーン。

しかし佳主馬が無視を決めてしばらく、まだインターフォンが鳴った。

「しょうがないな……」

本当に用があって、後でばれて聖美に怒られるのも面倒だ。しかたなく重い腰を上げ、佳主馬は玄関へと向かう。すると佳主馬が玄関のドアに手をかけた時、また一度インターフォンが鳴った。何度もしつこい。そう思いながら、佳主馬は鍵を開けて、扉を外側に向けて押し開けた。

「はい、今開けま……」

そして開け放った扉の向こうにいたのは。

 

「あ」

 

次の瞬間、佳主馬は思わず扉を閉めていた。

「………」

そのまましばらく扉のノブは掴んだまま、佳主馬は今見た向こう側の光景を頭の中で反芻する。

(今、確かに扉の向こうに……)

勉強のし過ぎか、それとも会いたい気持ちが見せた、どちらにしろ幻覚か。ここは名古屋。健二はバイトもあるので東京にいる筈だ。それがこんなところにまで来て、玄関のチャイムを鳴らしているなんてあり得る筈が。

『あ、あのー』

「!」

扉の向こうから、聞き慣れた遠慮がちな声が聞こえる。幻覚だけでなくついに幻聴まで……いや、そんな事など有り得ない。ここ数年、健康診断も体力測定も若干落ちた視力以外は健康そのものなのだから。

「………」

佳主馬は今度は慎重に扉を開けた。そうっと中から外側を伺って。

「……健二さん……」

やっぱり、と言うか間違いなく健二だった。幻覚でも幻聴でもない。

「か、佳主馬くん…久しぶり」

「ど、どうしてこっちに」

 どうして、としか聞きようがない。

肩からかけた旅行用の大きなドラムバッグが不釣り合いで、そんな物を担いでここまでよく来られたなと、今は関係ない事まで心配してしまう。健二が自分の家に来るなんて想像すらしていなかったから、混乱しているのかもしれない。

とにかく今、目の前に健二がいる。

それだけは間違いない。

「聖美さんが…佳主馬くんのお母さんが、いつも佳主馬くんが休みの度に僕の所にお邪魔になってて悪いから、たまには遊びに来てって」

「そんな話、一言も聞いてない」

意図的、そういった匂いがぷんぷんする。恐らくわざと黙っていたに違いない。しかし健二も内緒だった事は知らされてなかったみたいだ。

「え? そ、そうなの? 佳主馬くんのテストが終わったらって僕は言ったんだけど、遠慮しなくていいから春休み入ったらすぐいらっしゃいって……」

「そうか、大学は春休みが早い……〜〜〜」

佳主馬は片手で顔を覆い、ため息をついた。

(つまりはそういう事って訳……か。妙に張り切って買い物行ったのは健二さんを歓迎する準備で)

「か、佳主馬くん? その、やっぱテスト終わってからのがよかったかな」

思いも寄らない展開に、うまく自分を律せない。とにかくまあ、嬉しいのだ。嬉しくて堪らない。ここははめられたと思いつつも、聖美のサプライズに感謝すべきか。

「一人でここまで来たの? メールくれたら迎えに行ったのに」

どうにか気を取り直して尋ねた。佳主馬の家は最寄り駅まで名古屋駅から地下鉄で来れるが、駅から外観も似たような家が並ぶ住宅街の中にある。すると健二はポケットの中から印刷された紙を取り出し、

「だって佳主馬くん勉強してるだろうし。地図はメールで送ってもらったから迷わなかったよ」

「………」

テスト週間中は邪魔をしてはいけないから連絡を取らない、という約束が、こんなところで聖美の作戦に好を奏したという訳か。

もう一度佳主馬はため息を吐き出す。そして改めてまじまじと健二を見た。何度見ても本物に間違いない。電話でもいい、声を聞きたかった本人が目の前にいる。

「佳主馬くん?」

まじまじと見られて、健二は僅かに頬を染める。それは手を伸ばせば触れられる距離。抱き締めて、キスをして、それ以上の事だって………出来る訳がない。テスト週間だ。将来の為に頑張らなければいけないという理由もある。何より聖美がいつ帰ってくるかもわからない。健二のアパートとは違い、ここは家族の目がある環境なのだ。

(同じ屋根の下に健二さんがいるってのが天国みたいな状況なのに、当分はお預けなんて……まるで地獄みたいだ……)

これはますますテストで結果を出さなければいけない。健二を連れ出す口実を作らなければ、一緒にいられるだけという生き地獄を見るはめになる。

しかしまあ、ここはひとまず。

「そんな所に突っ立ってないで入りなよ。母さんは妹と買い物行ってていないけど」

「わあ、佳主馬くん家初めてだね。お邪魔しまーす」

お客をいつまでも玄関先に置いておくわけにはいかない。やや先行きの不安を感じつつも、佳主馬は健二を家の中に招くのだった。