*酒は飲んでも呑まれるな* 「健二さんがいないとつまらないな……」 アパートに一人、佳主馬は留守番だ。 そして健二は、大学のサークルの飲み会で出掛けており留守である。 一緒に来ないかと誘われたが、丁重に断っておいた。未成年が酒の席に参加しても楽しくないし(第一素面でいて酔っ払いに絡まれるのも面倒だ)、何より人が大勢集まる場所は好きではない。 それじゃあ日付が変わる前には帰るから、先寝てていいよ…と出掛けていったのは夕方前だ。 夏休みの間だけ世話になっている身だ。健二の時間すべてを自分の為にほしい、とは流石に言えない。 (ホントは四六時中、一緒にいたいけどね……) 一緒にいて、その存在を自分に刻み付けたいし、自分を健二に刻みたい。何せ夏休みが終わる前に佳主馬は名古屋に帰らないといけないのだ。学校があるからそれは仕方がない。今からもう既に、大学は絶対に東京にすると決意する佳主馬だった。 「早く帰ってこないかな…」 放ってあった携帯を手に取る。するとちょうどタイミングよく、佳主馬が手にした瞬間に着信が鳴った。 相手は―――健二だ。 「………はい、もしもし?」 何故健二がかけてくるのか思い当たらないが、ひとまずすぐさま通話ボタンを押して電話に出る。すると、 『あー、良かった。起きてた起きてた』 「?? その声は……佐久間さん?」 着信は確かに健二だった筈だ。それに第一佐久間は佳主馬の携帯の番号を知らない筈である。すなわちそれは、佐久間は健二の携帯電話から佳主馬にかけている、ということで。 「なんで佐久間さんが健二さんの携帯からかけてるの? 健二さんは?」 思わず尋ねる口調がきつくなる。すると向こう側から微かに苦笑が漏れたのが聞こえた。 『おいおい久しぶりなのにいきなり敵対心バリバリだなあ……まあいいや。その健二の事でキングにお願いがあるんだけど』 「…?…お願い?」 『健二がだいぶ酔っ払っちゃってさ。アパート近くの駅までは連れて来たけど……』 ―――一人で帰すのも危なっかしいので迎えに来てほしい。 佐久間が佳主馬に電話で告げたのはそんな事だった。幸い滞在中は合い鍵を預かっているので、佳主馬はすぐに財布と携帯電話だけを手にしてアパートを出る。 (一人で帰すのも危なっかしいって、一体どんだけ……) まあ普段から危なっかしいので、酒が入って更に危なっかしくなる、というのもわからなくはない。 しかしまさか健二に限って前後不覚になるまで飲むとは思わなかった。もちろん健二ももう二十歳だ。酒を飲む事自体は悪い事ではない。恐らく調子に乗った佐久間たち連れに無理矢理飲まされた、なんてオチだろう。 (心配だなあ) 夏休みの間は自分がいるからこうして面倒を見てやれる。けれども自分が帰ってしまったら…。 「俺以外の誰が面倒を」 呟いたところでちょうど、外に直結した駅の改札の向こう側に佐久間と、彼に抱えられた健二を佳主馬は見付けた。 「あ。きたきた、おーい、こっちこっち! ……ほら健二、お迎えが来たぞ」 「んあー…おむかえ…?」 「………」 予想以上だ。健二は佐久間に肩を借りているが、足にはまるで力が入っていない。佐久間に言われて虚ろな目がやってきた佳主馬を見るが、果たしてその目に自分は写っているだろうか。 「あ、佳主馬くんだあ」 どうやら写っているようだ。 「すまんねキング、こんな遅い時間に呼び出して」 「別に。健二さんを変な所に放っておかれても困るし」 まあきっと佐久間ならそんな事はしないだろう。佳主馬がいなければ家まで連れて行って面倒もみてくれたかもしれない。 (やっぱり俺がいないと駄目だ) それを想像して、佳主馬はなんとなくもやっとした気分になった。もちろんそんな事は顔には微塵も出さないままで。 「ほら健二、改札だぞ。携帯出せ、携帯」 「うー…けいたい」 近くで見れば、健二の様子はますます重体のようだだ。そんな健二を引っ張ってきた佐久間は携帯電話をゲートにタッチさせ、健二だけを改札の外へと出す。 「ほい、キングパス」 「ん」 押し出した健二を佐久間が手離す。するとたちまちその場にふらふらと座り込もうとするので、しかし佳主馬が腕を伸ばして抱き留め、そうはさせなかった。 「んじゃ、もう大丈夫そうだな。後は頼んだから……」 「佐久間さん」 「―――ん? 何?」 その様子を確認した佐久間が軽く手を振ってまたホームへと戻っていこうとする。しかしそれを佳主馬は引き止めた。佐久間も引き止められるとは思っていなかったのだろう。振り返った顔は軽くいぶかしげに眉根が寄せられている。 もちろん佳主馬も用もなく呼び止めたりはしない。まあ相手が健二だったらそれも話は違うが。 佳主馬は振り返った佐久間をじっと見た。そして不意ににこりと笑う。 「健二さんを送ってくれてありがとうございました」 「いえいえ、どーいたしまして。それじゃあな」 「ばいばい、佐久間〜」 今度こそ去っていく佐久間を見送り、佳主馬は小さく息を吐き出した。 少し意識しすぎだろうか。佐久間は健二と佳主馬の事を知ってはいるようだが、揶揄するだけで健二にちょっかいを出してくることなんてないのに。 (でも俺より健二さんを知ってる年月は長い、か) それは余裕だろうか。 「…食えない男…」 「んん? 何がもう食えないの? 僕はもうお腹いっぱいだよ佳主馬くん…」 「………」 今はそんな事よりも、目の前の酔っ払いに気を傾けるべきか。 「はいはい、健二さん。ほら、アパート帰るよ」 「ん〜…もうあるけない…」 「…仕方ないな」 腕を掴んで立ち上がらせようにも、健二は足を力をだらりと抜いてその場から動こうとはしない。呆れる佳主馬だが、せっかく迎えにきたというのに、このままここに置いていく訳にもいかない。 佳主馬は健二の手を離すとその前に回る。そして腕を後ろに伸ばし、片膝をついてしゃがみ込んだ。 「健二さん、ほら」 「佳主馬くん?」 「歩けないんでしょ。アパートまでおぶってあげる」 成人男性相手におんぶなんて、と怒るだろうか。しかし健二を連れて帰るにはこれが一番手っ取り早い。 佳主馬は背中を向け、健二が乗ってくるのを待った。すると、 「えーい!」 「ぐえ!」 いきなり背後から首にしがみ付かれ、佳主馬は喉が締まって蛙が踏み潰されたような声を漏らす。もっとこう大人しく背中に乗ってくれるものだとばかり思っていたのに、酔っ払い特有のハイテンションというものを失念していた。 しかしそこはそれ、これで家に帰れる。佳主馬は何とかその仕打ちを耐え抜き、はあ、とため息を吐き出した。 「〜〜〜っと、ちゃ、ちゃんと掴まった?」 「OK、OK、佳主馬号、出発しんこ〜う」 「……て言うか大人しくしててよ、健二さん」 背負われた健二はそんな佳主馬を置いて、ますますテンションアップだ。佳主馬はどうにか健二を背負ったまま立ち上がると一度軽く揺さぶって塩梅を整え、ようやくアパートへ向かって歩き出す。 駅からアパートまでそんなに距離はない。平常時に歩いても10分くらいだ。今は健二を背負っているが、典型的なインドア派であり貧弱な健二の体を背負うくらい、体を鍛えている佳主馬にとっては苦でも何でもない。釘を刺したのをちゃんと聞いてくれたようで、健二は佳主馬の背中で大人しくしてくれている。 健二は背後から首に回った腕でしがみつき、佳主馬の背中に体を委ねていた。 酒を飲んでいるせいか、そんな背中の服越しに感じる健二の体温がいつもより高く感じられ、じんわりと背中越しに熱い。 しかしそんな事を意識する佳主馬の事など露も知らず、 「佳主馬くんって力持ちだねー。さすがキングカズマだぁ」 「………」 本人はいたって能天気だ。酔っ払っているから仕方がな…いや、普段からこれに近いくらいは能天気かもしれない。 それにしても現実の佳主馬とキングカズマは関係ない。しかし酔っ払いに何を言っても無駄なので佳主馬は敢えて何も突っ込まないでおく事にした。 すると、 「僕なんかなーにもできないのに……」 「そんな事、ない」 ふいにぽつりと漏れた言葉だけは聞き捨てならなかった。耳元でそれを聞いた佳主馬は、すぐさま否定する。けれども否定されても尚、健二の口は閉じることなく、 「そんな事なくない、よ。だってもう大学も二年なのに進路が決まってないし、そもそも具体的に何になりたいのかもわからないし。それに比べて佳主馬くんは」 すごいよ、と呟いた健二は佳主馬のうなじに顔を埋める。息とか、髪とか、うなじに触れてくすぐったい。しかし佳主馬は何も言わず、アパートへの道を健二を背負って歩く。 「強くて、かっこよくて、すごいんだ佳主馬くんは」 「………」 「僕なんて全然……」 酔っ払っているせいだろうか。普段は口にしないような事を健二は自分に対する愚痴として漏らす。しかしそれはたまに言葉の端々に気付く、健二の本音でもあった。 健二は泥酔している。きっと今夜の事なんて明日、目を覚ませば覚えていないだろう。 「―――そんな事ない。健二さんはすごいよ、たぶん僕なんかよりもずっと」 「気を使ってくれなくていいよー。自分の事なんて自分が一番よくわかってるから」 「気を使ってる訳でも、買い被ってる訳でもないよ。今ここに僕がいるのは健二さんのおかげなのは間違いないんだし」 絶望的な状況でありながら、諦めない事を教えてくれた。何事も答えがない訳ではない、やってみなくてちゃ結果は出せない、それを身を持って健二は佳主馬に教えてくれた。あの時あの場所に、もし健二がいなかったら…何もかも諦めてたくさんのものを守れなかっただろう。 「健二さんはもうちょっと、自分に自信を持ってもいいんじゃない? 侘助おじさんも理一おじさんも、健二さんの力が欲しいって言ってくれてるんでしょ」 佳主馬的には複雑な心境だが、いくら家族を守ってくれた恩があるとは言え、私的な理由やお世辞でそんな事を言うような人物ではない事くらいわかる。もちろんそれは健二が得意とする数学に限った事ではない筈だ。それだけが特技とするならばOZの管理パスワードを解いたように、世の中にはいくらでもいるだろう。 けれどもそうではない。それは一つの要素として、健二の総合的な個人として必要とされる理由を健二は自身で理解した方がいい。 けれどもこのままではそれすらも逃してしまいそうで。 「……なんか佳主馬くんにそんな風に言われるとくすぐったくて照れるなあ…」 「健二さん?」 「………」 そういう健二の声が徐々に小さく消え入る。呼びかけても返事がなくなり、やがて背中にかかる重みも増すので、健二が眠ってしまったのが振り返らなくてもわかった。しかしその時には既にアパートの前に着いており、佳主馬は健二を背負ったまま階段を上がって部屋の前まで行くと、鍵を開け、中へ入る。 帰ってきた部屋の中は明かりを点けなくても、窓からこぼれる街の明かりで足元がわかるくらいには明るかった。佳主馬は寝てしまった健二をベッドまで運び、そっと起こさないよう下ろして横たえる。もっとも泥酔した健二はされるままで、恐らくこのまま朝まで起きないだろう。 そして朝起きたら今晩の事なんて忘れて、きっと二日酔いに苦しめられるに違いない。 「まったく、とんだ酔っ払いだよ」 本当に自分がここにいて良かった。 酔った勢いで弱音を吐く健二に、どこの誰が付け入るかわからない。そんな役目は自分だけで十分だ。 まあ、もっとも―――例えどんな事があったって。 「俺以外の前で、そんなかわいいとこ見せちゃ駄目だから」 「………んう」 健二にとっては恐らく不本意なことだろう。けれどもそんな事を平和そうな寝顔に呟いて、眠って無防備に半開きになった口に佳主馬はキスをする。すると健二は僅かに呻いたが、それだけで目を覚ますことはなかった。 それからしばらくして、佳主馬はゆっくりと顔を上げる。 そして口元をぬぐって一言、 「……口ん中、酒くさっ……」 ひとまずそれ以上事を起こす気になれず、履いたままの健二の靴を脱がしてやるのだった。 |