*安全地帯* 「健二、お前だいぶ噂になってるぞ」 それは友人の第一声だった。 「え、な、何が?」 あまりに突然の事で、健二には何の話なのかわからない。夏休み明けのとある日の放課後。ようやく通常運営をOZが開始した為、健二たちの保守点検のバイトのまたいつも通り再開していた。 「何がってお前、たまにはちゃんと盛り上がってるスレとか確認しろよ」 「うーん…数学スレ以外まともに見ないからなあ…」 「お前って本当つまんない奴だな……て言うかそんな事より、これ見とけ!」 「?」 椅子に着けば、ぐいっと画面をこちらに向けられる。何の事だかわからない健二は、首を傾げながら佐久間の見せる画面を覗いて……。 「………なんで僕が映ってるの?」 そこにいたのは健二のアバターだ。しかしネズミの耳を生やした人型ではなく、夏休みに仮アカウントで取得したリスのアバターだ。あの事件の後に妙に愛着が湧いてしまい、こちらのアカウントに移したのだ。 けれどもまだ自分はログインしていない。画面には出ているがオズのフィールド内には出ていないのだ。 「これってもしかしてスクリーンショット?」 スクリーンショットならば実際の映像ではなく、画面の様子を誰かが撮影してスレッド上にアップしたものだ。それならばわからないでもない。しかし健二が一人映ってるスクリーンショットなんて、何の価値も……。 「あれ」 画像は更に横にスクロールができた。健二はマウスを使ってスクロールバーを摘む動作をすると、画面にいた健二のアバターが歩き、スクロールバーを引っ張ってくれる。 するとそこには―――…、 「あ、あれ、佳主馬くん?」 「まあ、そういうことだな」 「そういうことって……ええ!?」 健二のアバターの隣にキングカズマがいる。しかもがっつりカメラ目線で。 「流石佳主馬くん、スクリーンショットにもカメラ目線か…」 「いや感心するのはそこじゃなくて」 「え、佳主馬くんを写したのなら何となくわかるけど、なんで僕まで…」 しかもこの写真、ちょうど昨夜佳主馬に会った時ではないか。時間帯も、写真に記されている時間とも一致する。 「最近キングカズマ関連のスレッドじゃあ、お前の黄色いリスを廻ってちょっとした騒ぎになってる」 「騒ぎ?」 「それまで孤高を貫き、バトルスペース以外滅多に姿を見せなかったキングが、最近頻繁に公共スペースに現れるようになった。そして決まってその側にいる、黄色いタヌキだかリスだかのちんくしゃアバター」 酷い言われようだ(大体このアバターを作ったのは佐久間なのに)。 「それは佳主馬くんが『バトルスペースで待ち合わせをすると絡まれて面倒だから』って」 「まあ今行ったらお前、確実に絡まれてキングのシンパにボコられ決定だし」 「ええええ!? ぼ、僕何もしてないよぉ!」 「お前がそのつもりでもあいつらにとっちゃ、『どこの誰だかわからない奴が俺たちの(私たちの)キングの側に図々しく引っ付いて回っている』、って事自体が気に入らないんだろ。ほら、芸能人の行き過ぎたファンと同じだ」 「そ、そんなあ……」 カズマとはラブマシーンの一件からアドレスを交換し、結構頻繁にOZを通してやり取りをしていた。佳主馬がバトルスペースで大会に出ると聞けば応援に行くし、何気ない話をしたりもする。 最初の内は独りっ子の自分に弟ができたような気持ちだったが、今じゃあ歳の離れた友人を持った気分でいた。それはとても頼りになる自慢の―――…。 「これってやっぱ、佳主馬くんの迷惑になってるかな?」 「さあ。少なくともキングの中身は、この程度の事でどーにか思うキャラじゃなさそうだけど」 「………」 確かに。現に佳主馬は一言もそんな事を健二には言って来ない。スクリーンショットが掲載されているスレッドには健二に対する中傷だけではなく、キングカズマに対するものまで書き込まれ、もはやシンパとアンチの過激な論争を巻き起こしている。 (佳主馬くんの事だから、きっと知ってる筈なのに) 「―――そういう訳だから、釘は刺しておいたからな。一応気を付けておけよ」 「あ、う、うん。ありがとう……」 ぽんぽん、と肩を叩かれ、健二は力無く応える。 「さ、バイトバイト。ラブマシーンのせいで保守点検の行程が複雑化して面倒になったよ。ったく、時給変わらないくせに……なあ健二?」 「う、うん。そうだね……」 佐久間は隣の椅子にどかりと腰を下ろして、わざとらしくぼやいてみせる。気を使われているということがわかったが、しかし既に書き込みの事で頭がいっぱいな健二は、当たり障りない生返事を返すだけで精一杯だった。 *** 「なんか……避けられてる気がする」 ノートパソコンを前にログインをせず、佳主馬は腕を組んで考えていた。 前回会ってから(と言ってもOZの中でだが)、既に会わずに一週間が経過している。いや、何度か佳主馬から暇かと尋ねたり、いつもだったら健二から何らかのアクションがある筈だ。会えなくてもメールでやりとりする事だってある。それがさっぱり音沙汰がない。 (誘って断られたのは初めてだな…) メールですら四日、既に健二からの着信はない。OZの機能で登録したアバターがログインするとアラートが鳴るようになっているが、ここ数日、佳主馬がログインする時間帯に健二はOZにログインしていない。 「何かした、って訳はないけど」 思い当たる節がないし、そもそも何かできる距離にお互いいない。それに健二に対しては未だ自分の気持ちを伝えてはいなく、鈍い健二が気付く筈もない。本当に思い当たる節がない。 「何かあったのかな…」 自分には言えない事、知られたくない事。思い浮かぶのは夏希の顔だが、健二の度胸を考えると『まさか』も想像がつかない。 「………」 何だかやり切れない気持ちのまま、佳主馬はOZにログインした。 慣れた手つきで素早くアカウントとパスワードを入力し、OZの世界へ降り立つ。―――するとそこへ。 『アカウント名:【ケンジ】さんがログインしました』 「!」 ぴろん、と電子音と共に、カズマの画面下にウィンドウがポップアップする。座標は今、佳主馬がいる場所から程近い。 (このままじゃ消化不良すぎる) 訳もわからず避けられているなんて、気分が悪い。佳主馬はその座標を入力すると、すぐさまキングカズマを移動させた。 「……いた!」 それは人気も少ない、コミュニティスペースの外れ。辺りを気にするようにこそこそ歩く黄色いリスを画面で視認し、キングカズマはその座標へと降り立った。 『!!?』 あまりに着地座標が近すぎた為に、風圧でリスが吹き飛ぶ…のを、キングカズマは腕を伸ばしてホールドする。掴んだのは一番掴みやすかった尻尾だ。 「捕まえた」 『か、かかか佳主馬くん!?』 尻尾を掴まれて健二はじたばたと暴れるが、その程度でキングカズマの手から逃れられる筈もない。佳主馬は健二を逆さまのまま、顔の高さまで持ち上げた。 「久しぶり」 『ひ、久しぶり…あの、できたら降ろして……』 「駄目。離すと逃げそうだから。それより何こそこそしてるの?」 『………』 ウェブカメラを起動して通話を試みるが、向こう側に許否されて繋がらない。仕方なく音声のみで接続すれば声だけは繋がった。久しぶりに聞く声にほっとするものの、佳主馬の問い掛けに黙ってしまったので通話の意味がない。 (何で黙るんだよ) 黙ったままぴくりとも動かない健二に、佳主馬は苛立ちを覚えた。 やはり避けられている。しかしその避けられる理由が佳主馬には思い当たらない。思い当たらない事を理由に避けられるなんて、そんな理不尽な事があっていいのか。 「ねえ健二さん、僕が何かした?」 『!』 問い掛けると僅かに反応があった。ログインしたままパソコンの前を離れてしまった訳ではないらしい。それがわかれば言葉にすればいい。疑問も、誤解を解く為にも。 (こんな意味もわからない事で好きだって伝えてもないのに嫌われたくない) それが佳主馬の本音だ。それ以上も、それ以下もない。 「僕が何かして健二さんが顔を合わせ辛くなったなら謝る。けれど、何もわからないままで避けられたくない」 『……か、佳主馬くんは悪くない、んだ…』 するとしばらくして、弱り切った声が画面の向こう側から聞こえてきた。 『ただ、僕の存在がキングカズマに…引いては佳主馬くんにまで迷惑をかけてるんじゃないかって……』 「??何を言って…」 健二が何の事を言っているのかわからず、ひとまず佳主馬は捕まえた健二のアバターを床に降ろす事にした。そうして視線を合わせる為にしゃがみ込むと、するとリスは申し訳なさそうに胸(?)の前で短い指をもじもじとさせながら、『実は……』と言い辛そうに話し始めたのだった。 『…………と、言う訳で、あんまり佳主馬くんに着いて回らない方がいいかなあって』 「………」 『べ、別に避けていた訳じゃなくて、あ、でも結果的にそんな感じになっちゃって、そういうのは嫌だなあって思ったんだけど……』 それで今日はやってきたはいいものの、どうしたらいいのかわからずにこそこそしていたのか。 「……健二さん」 『か、佳主馬くん?』 はああ、と佳主馬は盛大なため息を吐き出した。回線越しだが聞こえた筈だろう。同じように呆れたポーズを取るキングカズマに、健二はおろおろと周囲を右往左往しだす。 「あのさ、言っておくけど」 『え?』 「スレで叩かれるなんて今更だし、そんな事いちいち気にしてたらOZなんてやってらんないよ。大体顔も知らないような奴らに何言われたからって、別にどーにかなるもんでもないし」 『で、でも…』 健二はいらぬ心配をしすぎだ。それに第一スレッドで健二を叩いた奴らは、単に健二の事が羨ましいだけなのだ。嫉妬されている、なんてそこのところを是非とも理解して欲しいが、気持ちを伝える事すらままならない現在では、それこそ健二の負担になるってしまうだろう。 (この勢いで言いたい事全部言えたら楽なのに) 『か、佳主馬く…むぎゅう』 内心のため息を隠さずに漏らし、佳主馬は目の前でオロオロする健二のアバターの頭をおもむろに捕まえた。そのまま小さい子供を抱き上げるように正面へ持ってきて、視線を合わせる。それはアバター同士なのに、向こう側の健二を意識しなら。 「別にそんな事、健二さんが気にする事じゃない。友達って、誰かに言われて決めるもんじゃないし、僕が誰と一緒にいようといたいと思おうと、他の誰にもそれを駄目だという権利なんてない」 『佳主馬くん…』 「それとも健二さんこそ、僕と一緒にいるとそんな事になるから、もう一緒にいたりするのが嫌になった?」 『そ、そんな事…!』 その時だ。ずっとコールしていたウェブカメラが繋がり、画面に健二の映るウィンドウがポップアップした。そこにはカメラに向かって身を乗り出す健二が映っており、思わず画面を見た瞬間目がばちりと合ってしまう。 『そんな事……ないよ! 佳主馬くんは中学生なのにOZのチャンピオンで、強くてかっこよくて頼りになって…その…あの……』 しかし勢いでそこまで言ったはいいものの、自分がかなり恥ずかしい暴露をしている事に気が付いたのだろう。途端にかーっと顔が赤くなり、ぎゅう、と唇を引き締めて口を閉ざしてしまう。 その顔を見て、今もし届くならば、その唇にキスをしてしまいたいと佳主馬は心の底から思った。もちろんネット越し、そんなことも叶わなければ今の健二との関係上、そんな事はできない。 「健二さん、それで?」 『それでって…』 「それで健二さんにとっての僕って、何?」 だから佳主馬はそのかわりに健二を問い詰める。同じくキングカズマも健二のアバターを引き寄せ、鼻と鼻が触れそうな距離でじっと見つめた。 すると、画面のリスもウェブカメラの向こうの健二も、同じようにぐっと顎を引き、視線を明後日の方角に逸らしながら、 『佳主馬くんは僕の……僕の、自慢の友達だよ…!』 「嬉しいよ、健二さん」 絞り出したような告白に、佳主馬は満足の笑みを浮かべる。 今はそう、それでも十分。後は期が熟すまで、この手を離さなければいいのだから。 「―――とにかくああいうスレで何か言われても、相手にしなければいいんだから。相手にしなければそのうち鎮静化するし」 ネットの世界は話題に事欠かない。この話題に今は熱を上げていたとしても、一時的な炎上はすぐに消え、また新たなネタをめぐって炎上するのが定石だ。 しかし、 「まあでも、確かに無防備な健二さんがふらふらしてて、運悪くあいつらに絡まれないとも限らないからな……」 『? あ、わ…!』 まず存在自体に緊張感が皆無だ。それならばどうしたらいいか―――そんな事、ひどく簡単な事だ。 佳主馬はキングカズマで抱き上げたままの健二のアバターを、ひょいっと自分の頭の上に乗せた。慌てたリスがキングカズマの耳を掴んで落ちないようしがみつく。 『か、佳主馬くん!?』 これならば両手も空くし、誰も健二のアバターを触る事は出来ない。それには自分を倒さなければならないが、残念ながら誰にも負けてやるつもりはない。 「だから安心して、健二さん―――」 「僕がずっとこうして、健二さんの事守ってあげるからね」 |