*秘密の部屋*

 

 

 

 

 

仮想空間OZ内には様々な施設がある。

ショッピングモールに闘技場、各種スポーツ施設にカジノ……または各地方自治体や銀行、各省までその窓口を持ち、それらは無料、または一定の使用料を課金する事によって有料で利用する事ができる。まさに巨大な街一つ、ネットの中にあるとも言ってもいい。

―――そして街と言えば、店や公共施設があるだけでは成り立たない。やはり街とは、そこには居住区があってしかりなのだ。

 

「なあ健二、パーソナルスペースって知ってるか?」

大学に入っても、相変わらずOZのシステム保全のバイトは続けていた。長くやっているおかげで末端の末端の末端なりに後輩もでき、末端の末端の末端が、末端の末端に進化したくらいだ。敬とは相変わらず腐れ縁だし、変化と言えば、物理部の部室が大学の研究室に変わったぐらいである。

そのバイトも、今はちょうど休憩中だ。

「ああ、OZ内にある有料の個人所有の領域だろ?」

「そうそう。でも人気だし、高いんだよな。しかもただでさえ高いのに、たまにオークションに出されてるとどんどん値段が釣り上がる。まったくもってどんだけセレブかよって感じだよなー」

バイトの休憩中でもOZの話かと言われれば、まあそれしか取り柄がないのだから仕方がない。

「あーあ、現実でも土地付き一戸建てなんて雲の上のまた上の話なんだから、せめてバーチャルの中ぐらい家持ちたいよ」

「何でそんな話になったんだ?」

「今の彼女が、『結婚するんだったら絶対土地付き一戸建て、ジジババ抜きで』って言うんだ…」

「…学生の身分にはハードルが高いな…」

もっともそういう自分だって縁のない話だ。

きっと郊外の駅まで歩いて10分、都心まで通勤快速で30分のアパートがお似合いだ。もちろんその頃、自分が結婚しているかはともかくとして。

何だか虚しい想像だ。

「お前だって夏希先輩と別れてなけりゃ将来、長野の上田にでっかい土地付き武家屋敷で一城の主だったのに」

しかも敬にまでとどめを刺され、健二ははあ、と深い深いため息を吐き出す。

「もうその話はなしにしろって言っただろ……さあ、休憩もそろそろにして、バイトバイト!」

「はいはい。触れちゃいけない話題でした」

ばしばしと背中を叩けば、悪びれた様子もなく敬は椅子を回して背を向けた。

それにしても…。

(個人所有の有料スペース…パーソナルスペースか…)

管理用IDでログインし直しながら、ふと考える。

(何か、佳主馬くんとかなら持っていそうな気がするなあ)

佳主馬本人はまだ高校一年生だが、何て言ったってOZの中では超有名人、キングカズマその人である。キングカズマと言えば、いち個人なのに十社以上の企業のスポンサーがついてしまう程の大物だ。

もしかしたらスポンサーから契約特典として、そういった物が与えられていても、そんなに不思議ではない。

(…今夜聞いてみようかな…)

特に約束をしている訳ではないが、OZに入れば佳主馬に会える。何故かその事を考えると敬の不用心な発言でもやっとした気持ちが軽くなり、健二は小さく首を傾げたのだった。

 

 

 

「パーソナルスペース?」

「うん、今日佐久間が欲しいって話しててさ。カズマくんなら持っていそうだなーって思ったんだけど」

キングカズマいる所に人だかり(アバターたかり?)とスレ有り。待ち合わせ場所は毎回異なるが、まあ、見付ける事に苦労はしない。人が多い場所を好まない佳主馬に待ち合わせとは言え、あまり長時間一目に晒される場所に待たせるのは心苦しい。

それなので時間より前にログインするのだが、何故かそれでも先に佳主馬が待っていた。

(キングカズマの人気は相変わらずすごいなあ)

そんな佳主馬の傍にいられる事が酷く誇らしい。もっとも健二が何をした訳でもなく、一緒にいて役に立つ事もない。こんな手足の短いアバターでは、タッグマッチの相棒だって務まりはしないのだから(かといって今更トラウマの残る、人間型のアバターには戻したくはない)

「ケンジさん?」

気が付くとしばらくログが流れてしまっていた。

「あ、ああごめん。パーソナルスペースの話だったね」

「……まあ、別にいいけど」

ぼうっとしていたのはなかった事にしてくれるようだ。

「パーソナルスペースなら持ってるよ。契約の時、企業がくれた奴が」

「やっぱり!」

「でも使ってたの最初くらいだし、最近は全然使ってないけど」

「え、ええ!?も、勿体ない…!」

あの後少し調べてみたが、リアルで家を買う程は高くはないにしても、現実にない物として買うにはやや非現実的な価格だった。それを持っていながら使わないなんて……。

「さ、さすがキングカズマ…」

「何、行きたいの?」

「え、連れていってくれるの!?」

もちろん興味がないと言えば嘘になる。何て言ったって、選ばれた人間と金銭的に余裕がある人間にしか縁のない場所だ。

「ちょっと待ってて…今アドレスとパスワード送るから」

わくわくして待っていると、程なくして、メールがキングカズマ経由で送られてくる。中にはアドレスと、パスワードらしき英数文字の羅列。それは現実でいう所の住所と鍵に当たるものだ。

「それでケンジさんもパーソナルスペースに行けるよ……ついてきて」

「わ、ちょっと待って…!」

咄嗟に腕を掴まれると、健二のアバターは身長差故に地に足を着ける事ができない。そのままキングカズマに抱きかかえられ、OZ内を高速移動した。

そうしてたどり着いたのはショッピングモールの上、OZの上層だ。

「ここ」

「静かな所だね」

「部屋の鍵を持っているか、部屋の主に許可を得ないと入れない。さっきのメールに合い鍵のパスワード、あったでしょ」

「うん」

腕の中から下ろされ、健二はアバターで扉に触れる。すると画面に現れたセキュリティコードの入力画面に、健二はメールに添付されていたコードを打ち込んだ。

やがて目の前にそびえたっていた扉がぎい、と開く。その中は真っ暗で、ただ道らしきものが一本、奥に向かって伸びていた。

「入りなよ」

「お、お邪魔しまーす…」

こういう所に入るのは初めてで、少し緊張する。健二は先導するキングカズマの後に歩いて(実際は歩幅の関係で小走りで)着いていく。

「パスワードを入力すれば扉は自分のパーソナルスペースに繋がるから」

「へえ、便利だね。どのくらいのアバターが住んでいるの?」

「さあ。使ってないし、他人には会わないし」

「は、はは…それもそうだね」

暗く長い通路を越え、すると唐突に視界が開けた。そこには……。

「わ、あ―――」

そこには部屋があった。文字通り部屋だ。しかしただの部屋と言うよりは、日本家屋の居間のようなグラフィックである。縁側の向こうには小さな庭があり、心なし、上田にある栄の家を思い出す。

田舎にある典型的な純、日本家屋の風景である。

「―――カズマくんって意外と渋い趣味だね」

「入居の時にいくつかの様式の中からデフォルトを選べるんだ。他は何だかぱっとしなかったから消去法でこれになった」

「な、なるほど……」

庭にはバトルモードの練習用フィールドが展開しており、トレーニングが行えるようになっていた。他にも室内はいくつかのオブジェクトで構成されており、後から内装を変える事も可能になっている。現実の家と何ら変わりがない。

「練習はいつもここでするの?」

「ここじゃ狭すぎ。師匠とは別の公共スペースで稽古つけてもらってるから…だからあんまり必要じゃないんだ」

「ふぅん…せっかくのパーソナルスペースなのにもったいないなあ」

普通パーソナルスペースといったら、手に入れたレアアイテムを飾ったり、家具オブジェクトを手に入れて好きにレイアウトしたりするものだ。健二はここにいるだけでそんな事を考えてわくわくしてくるのだが、佳主馬はまったく興味がないようである。

佳主馬は健二がうろちょろしているのを眺めていた。しかし唐突に、

「―――ケンジさん。欲しいならここ、あげようか」

「ええ!?」

「持ってても使わないし、この手のレアモノ興味ないし」

「だからって、も、もらうのはちょっと…」

それは幾らなんでも、健二の手には余る代物だ。オークションに出されるくらいだから譲渡可能だとは思うが、アバターに装着させるアタッチメントパーツを友達に譲るのとはレベルが違いすぎる。

しかし佳主馬は本気でいらないようで、すぐにでも権利を譲る手配をする、とまで言ってくる。だがうんと言えない健二である。どうにかここは穏便に事を済ませるにはどうするべきか。

(あ、そうだ)

 ぽん、と画面を前にして健二は手を打った。

 

「じゃ、じゃあ僕がカズマくんの代理で管理するって言うのはどう?」

 

「代理で?」

「あ、でも、代理っていうのもおかしいな…うーん…例えば『自宅警備員』みたいな? ほ、ほら、アイテムの管理とかそういうの、僕得意だから」

「パスワードがないと入れないのに警備員も何もないと思うけど……まあ、ケンジさんがそれでいいならいいよ。本当は他人に譲渡するにも手続きが面倒だったから、このまま放置しておくつもりだったし……」

 言いながら、取り出しかけた譲渡書を再びしまう。その様子にほっと健二は胸を撫で下ろした。ただでさえ佳主馬には色々OZ内で世話になっているのに、これ以上借りを作っては、年上として立つ瀬がない。

(キングカズマが…佳主馬くんが便りがいあるから、頼っちゃう僕も僕なんだけど)

 もっともそんな事、佳主馬は露とも気にしていないようだが。

「じゃ、じゃあそれで決まりって事でいいよね? 大体パーソナルスペースがあれば余分なアイテムを預けられるし、その分PCの負荷も軽く出来るから、本当はいいこと尽くめの筈なんだけど……」

まあ佳主馬は格闘技一辺倒で、まったくそういった事に興味を向けないから仕方がないのだが。

ひとまずもっとよく見ておきたくて、健二は部屋の中をてくてく見て回る。

さすが高額商品。オブジェクトのディティールが細かく、押し入れの中にあるタンスの中までグラフィックが指定されており、引きだしを開けてその中にまでアイテムを預けられるようになっている。

それにしてもさすがパーソナルスペースだけあって、二人しかいないから静かだ。公共スペースにいると、どうしても佳主馬のおっかけや野次馬が多く、ろくに二人きりで話せもしないのに。

「ああ…でも、そうか」

「へ?―――ぐえ」

それはいきなりだった。へーとかほーとか感心した声を上げながらちょろちょろする健二を、背後からひょいっと佳主馬がTシャツの襟を摘んで持ち上げたのだ。そしてそのままじたばたすると自分のアバターはキングカズマの腕の中に閉じ込められ、縁側まで移動する。

「カ、カカカカズマくん?」

自分のようにデフォルメされたアバターでは出来ないが、等身の高いアバターは関節の設定が割とフレキシブルだ。縁側に腰を下ろし、何かを抱きかかえるのも容易だろう。いや、しかしだからと言って―――。

「ここならこう言う事をしても誰の目にも咎められないし、うるさくされない」

「いや、あの、そーいう事に利用するんじゃなくて……」

「そう考えると有用だと思わない?」

「………」

完全にアバターをキングカズマに取られてしまい、健二はアバターを操作する事をやめた。画面の中ではキングカズマに抱きかかえられ、じたじたする自分のアバターがいる。もちろんそれは画面の中の出来事であるし、抱き締められて、その感触が伝わる訳ではないのだが。

誰もが憧れるキングカズマにそんな事をされて。

(何だかアバターの事なのに、自分の事みたいで恥ずかしい…)

ぎゅうっと抱き締められて、尻尾をもふもふされて尚更。そう言えば佳主馬は妙に健二のアバターの尻尾を気に入っているようで、よく捕まえられては手わすらのようにもふもふされている気がする。

しかも今日は野次馬もいないからモフりたい放題だ。

「どうかした?」

 何か不都合でもあるのか、とそのままの状態で尋ねられる。もちろん不都合なんてある筈もなく、あったとしても言えるような状態ではない。

 ひとまず、佳主馬がそうしたいのならば嫌だと逃げる気にはなれないのだ。

「な、何でもない、よ。どうぞお好きなだけもふもふしてください…」

「言われなくてもそうするつもり」

「………」

ぎゅうっとされて、もふもふされて。結局その日は佳主馬の気が済むまで、そんな事をして二人で過ごしたのだった。

 

 

 

「な、にぃ〜!キングからプライベートスペースへのパス貰っただとぅ!」

 ―――その翌日。昨日あった事を敬に話すといきなり大声を上げられ、思わず健二は椅子ごとひっくり返りそうになった。別にあのまま黙っていていても良かったが、一応報告しておくのが友人としての務めだと思ったのだが。

「う、うん。もらったというか自宅警備員に任命されたというか」

「自宅警備員って何だよ…大体、理由は何しろ、合鍵さえあれば誰のものだって自由に使いたい放題なんだっつーの。くそ〜まさか健二に先を越されるとは……!」

「そんな大袈裟なものじゃないよ。大体、家主はあくまで佳主馬くんで、僕なんて転がり込んできた居候みたいなものなんだし」

 あくまで権利は佳主馬のままであり、健二には鍵を開ける権限くらいしかない。

(しまった…内緒にしておいた方がよかったかな)

 それはそれで、ばれた時が怖いような気がする。

 しかしそう思った事がばれたのだろうか。一度は額を押さえて天井を仰いだ敬が、ゆらりと視線の高さを健二に合わせて笑う。

「健二ぃ……知ってるか?プライベートスペースの鍵はひと部屋につき、大本と合鍵の二本だけなんだって事。それ以上複製するにはまた別料金がかかるんだぜ?」

「!」

「ようするに合鍵を貰ったって事は、二人の物って事も同然なんだよ。恐らく権利書にはお前の名前も書き加えられてれると思うぞ。キングに並んで、な」

「!?そ、そうなの!?」

 そんな事、佳主馬は一言も言っていなかった。

「て言うか、健二もやるなあ。こんなんOZん中で広まったらあっという間だぞ〜。『キング、謎のタヌキと同棲!?』なんて……ああ、憐れな健二。これで世界中のキング崇拝者をすべて敵に回したな」

「え、えええ!?」

 そんなつもりは毛頭ないし、そんな事になるとは思ってもみなかった。いや、しかし考えてみれば普段一緒にいるだけだって、野次がうるさいくらいなのだ。その前にタヌキじゃなくてリスだ。いや、そんな事はどうでもいい。

「ど、どうしよう!?また、佳主馬くんに迷惑かけちゃう、かな…?」

「んー、まあでもお前の場合―――…」

すると何故だかこちらはこんなに困っているというのに、敬はにやりと笑い、そしてぽん、と他人事のように健二の肩を叩いた。

「いざとなったキングが守ってくれるさ」