+愛ある復讐+ 「ルーク…よろしいですか?」 「サンキュ…ん?よろしいですかって何が?」 ベッドに腹ばいになって日記を書いていたルークが終わった頃を見計らい、その傍らに腰を下ろす。日記は彼の大切にしている習慣だから邪魔する事はできないので、それが終わるまで待っていたのだ。 ぱたんと年期の入った日記帳が閉じられるのを確認し、その手からそっとペンと共に取り上げる。そして明かりの灯るチェストにそれらを置き、礼を言う彼の緋色の髪に指を絡めながら…問い掛けた、のに。 「よろしいですかって、ああ、日記は書き終わったから今大丈夫だけど。何、なんか用?」 「ルーク」 起き上がり、きょとんと小首を傾げる様は大変可愛らしい。自覚があってやっているなら小悪魔的だが、自覚無しでやっているのだからある意味才能だろう。まあ中身が今だ七歳児であることを考えれば、明らかに天然だが。 「ルークそれは…古典的な焦らしプレイですか?」 「…何言ってるんだお前…」 本気で言えば、本気で呆れ顔をされた。 どうやら前者であるらしい。 (まあ、『あの』ルークにそんな高度な技が使えるとも思っていないのですが) 「いやですねルーク。恋人同士でこのシチュエーション、そしてタイミング…他にどんな意味があると言うんです?」 「はあ? 他にどんな意味…?」 まだわからないのか。 これではルーク相手に本当に焦らしプレイだ。しかも焦らされているのはジェイドで、ルークをジェイドが焦らしているわけではない。 世の中そういうプレイもあるだろう。しかしジェイド自身、自分が焦らすのは大変好みだが、焦らされるのはあまり好みではなかった。わがままだとか、自分本位だと思わない。だって性格上そうなのだから仕方がないではないか。 「ルーク」 しかし、だからといってこういうものはあまり即物的では情緒がない。言葉にせずとも雰囲気を匂わせて、それを察してくれる事に心の通い合った恋人同士としての互いを想い合う心の繋がりを感じられるというものである。 だが場数を皆無といっていい程踏んだ訳のない(あって欲しくない)幼子に対して、やはりその期待は酷だろうか。何を言っても『意味がわからねーよ』、と言わんばかりに首を傾げる子供に、 「ああルーク、やはり貴方はお子様ですね」 はあぁぁ、と深く深く溜め息を吐いて、ジェイドはルークの頭を撫でた。 「な、何だよいきなり…!」 いきなり子供扱いされた事に腹を立てるルークだが、このシチュエーションではますますその子供っぽさを強調するだけだ。もちろんそれもルークの可愛い所だ。しかし時折その可愛らしい子供っぽさが疎ましくも感じられるのは、大人のわがままだろうか。 「そうやっていっつもいつも子供扱いして! 言いたい事があるならはっきり口にしろっつーの!」 「だって」 頭を撫でる手を払いのけ、ルークがびしっと指を突きつけてくる。しかしジェイドはその突きつけられた指をおもむろに掴むと、やれやれと肩をすくめて見せる。 「―――だって、いっつもい〜っつも、ルークは私の気持ちを理解してくれないんですよ? ちなみにパターンは違えど、今回で七度目です」 「七…?」 なかなかリアルな数字だ。回数を覚えているということは、それなりに我ながら根に持っている、ということだろうか。 「またそんな反応して。本当に無自覚だから始末が悪い」 相変わらずきょとんとしてくれるルークに、ジェイドは握った指から手を取り、そっと己の胸に押し当てさせた。手と手を重ね、ちょうど心臓の真上あたりで押さえてやる。 「ほら―――貴方を想って、こんなにも高鳴る私の胸…こんなにも火照る私の体を何一つ察してはくれないなんて」 「!」 ようやく何かに気が付いたようだ。びくりとして手を引こうとするルークの頬に、さっと赤みが射す。しかしジェイドは逃げる事を許さず、押し当てさせた手の平に己の指を絡めて握り、ずいっとルークに向かって身を乗り出した。 「貴方はなんて罪作りなんでしょうか。ねぇ、ルーク?」 「お、れは」 吐息が触れんばかりに近づけば、ルークが逃げるように顔を引く。その頬が赤く、目線をそらされる事に、ジェイドはにんまりと微笑んだ。 「―――ふふ、ようやくわかって頂けましたか?」 「な、何の…う、わ!」 気がついたくせに、わざとらしくしらばっくれようとするルーク共々、そのまま縺れ込むようにベッドへ倒れ込む。もちろんルークを下敷きにしてしまう事はせずに、反対の腕を突いて体を支え、急な加重に弾んだスプリングがゆっくりと落ち着いたところで改めて体を重ねた。 「やれやれ、鈍いお子様相手ではムードも台無しですね」 「ジェ、ジェイド!」 握っていた手を離し、頬を撫で、朱に染まる頬や目元に唇を落とす。 「なかなか気が付いてくれないものですから、てっきり焦らしプレイでもされているのかと思っちゃいました」 「べ、別にそんなつもりじゃ」 そうやって自分が求められているとわかると、耳まで赤く染め上げる。上目使いに見上げる様は、それまでの焦らしプレイを帳消しにして余りあるほど可愛らしいではないか。 (―――あぁ、そろそろ限界ですね) しかし帳消しにしてしまうには、若干時間がかかりすぎだ。 「……ジェイド?」 若干静まりつつあった熱が、再びじわりと沸き上がってくる。確かに今のルークも可愛いが…もっと可愛いルークが見たいと、際限のない欲求は尽きなく、その欲求からは非常に逃れがたい。 こんな色気も、ムードも、何も知らない子供を追い詰めて、逃げ道を塞ぎ、大人げなく容赦のない愛撫でとろとろにしてしまいたい。 「それで」 「?」 にこり、と微笑んでつつぅと唇を指先でなぞる。そして中央のぷっくりと柔らかな唇の隙間を軽く押して、温かな粘膜を指の腹で擦った。 「よろしいですか?」 「っ」 今度こそその意味は伝わるだろう。 「えっ、あ、」 「―――…よろしいですか?」 「うぅ…うー……」 「ルーク」 「―――……………うん」 ジェイドが見つめる中、ルークはこれ以上ない程顔を赤くし、心底困ってどうしようもない顔をして……やがて小さく、小さくこくりと頷く。 「―――さあ、たっぷり愛して差し上げましょうね?」 「………ッ」 散々焦らされて、もうこれ以上とても待てそうにない。 (しかしこのお礼は―――いつかして貴方に返して頂かなくては) それだけの仕打ちを受けたのだ。この苦しみを、是非ともルークにも味わってもらわなければ。 ジェイドはそうひっそりと思うが、けして顔に出す事はしない。ひっそりと思った事を今は忘れ、ただ、目の前の甘いひと時に酔いしれて、甘く、蕩けそうに微笑むのだった。 そんな夜からまた何日かして。 (うー…なんか、ヤバめ、かも…) ケテルブルグの夜は寒い。暖炉に火を入れ、温かな毛布に潜り込んでいても、窓ガラス越しにひたりひたりと寒さは忍び寄ってくる。 しかし『ヤバめ』なのは寒さの事じゃない。ルークは毛布から頭だけ出した状態で、部屋の中を窺った。 もう一つあるベッドはもぬけの殻で、その中身たる人物は今だ机に向かっている。困った事に仕事中なのだ。こちらも困った事なのだが、ジェイドが仕事中では尚更困った。 だって仕事の邪魔を、ルークはしたくない。 (どうしよぅ…) 毛布の中でもぞりとする。 ―――極稀に、こうやってものすごく困る時がある。 それには色々な原因があるが、その多くがジェイドに長く触れられていない時にある。移動の期間が長かったり、今のように彼の仕事が忙しかったり。どうにか抑えようとするのだが、そのたびにジェイドにバレて『若いですねぇ』なんて言われたりしていた。 だがそれだってジェイドにもある現象だ。現に何日か前に同じような状況になったジェイドに、自分は抱かれている。あの時はなかなか気付けないでいたが、後々自分がこうなった時考えてみるとよくわかる。 (こういう時ジェイドは…) 『ルーク…よろしいですか?』 「!」 耳元に囁かれる甘い声を脳内で再生してしまい、ルークはその生々しさにびくりとした。あの時は言葉の甘さや意図に気付くのに時間がかかってしまっていた。しかし今自分がその状況にあって初めて、その言葉の甘さや意図に気付いた。 (むしろ気付かなかった方がよかった…こんな時に!) 自覚すると、それに続く行為すら思い出してしまい、ルークは自ら現状に発破をかける羽目になった。大体ルークに出来るわけがない。それだったら、早いところジェイドが気付いてくれないものだろうかと思ってしまう。 それともこのまま我慢しようか、とも。 (うー、どうしよ…) まあそんなわけで、先程からずっと、こうして毛布の中でごろごろしているルークである。 (俺もジェイドみたいに…) 『―――さあ、たっぷり愛して差し上げましょうね?』 (だ――――!!! そんな破廉恥なこと出来るわけがない!) あれはジェイドにしか出来ない芸当だ。色気のいの字もない自分には、想像する事さえも重荷である。想像してまたちょっと自分が追い込まれてしまって散々だ。 それにしたって辛い状況過ぎやしないか。いや、まったくもって酷すぎる。 「…!…ッ!!…」 ごろんごろん。ばふばふ。 (でも考えてみれば、俺をこんなにしたのはジェイドな訳で…) ジェイドが教えなければ、こんな恥ずかしい理由で苦しむ事なんてなかった。こんな苦しい事知らなくたって、きっと済んでいたに違いないのに。 こんな一人でベッドの中で無言で暴れる必要だって……。 「うー…」 「―――ルーク?」 しまった。さすがにうるさくし過ぎたか。 ぎ、と椅子が軋んでジェイドが振り返った事を知らされ、ルークはぎくりと体を硬くする。 「眠れないのですか?」 それから立ち上がる椅子の軋む音、こちらへ向かってくる足音が続き、最後にはルークの突っ伏すベッドの片方が僅かに沈み、ぎしりと悲鳴を上げる音が続いた。その一連の音の連なりに、ルークはまた一つ自分が追い詰められる焦りを覚える。それと同時に期待すらも。 「…ジェイド」 ひょっこりと毛布から顔を覗かせると、すぐ傍にジェイドが座っていて、ルークを見下ろしている。うるさくして仕事を中断させてしまったというのに、優しく穏やかな目に見つめられて、ルークは自分の現状がよけい恥ずかしくなる。 けれどもルークは堪らなくなって、ごそごそと起き上がり、体をジェイドにぴったりと寄せた。 「おやおや、ルークは甘えん坊さんですね。…怖い夢でも見ましたか?」 「……そんなんじゃない」 怖い夢どころか、寝付けてすらいない。肩を抱かれ引き寄せられ、ぎゅうと体の中心が締め付けられる。 熱い、苦しい、どうにかしてほしい…でも、恥ずかしい。その葛藤に苛まれて、ルークは今すぐにでもここから、この温かく優しい腕の中から逃げ出したくなった。 でも所詮逃げられないのだ。だってそのようになってしまったのだから。何よりも、この男によって。 「…うー…」 体を寄せたジェイドの肩に顔を押し付け、ルークは葛藤を声に出して呻いた。するとふと、頭上から呆れたような、しかし笑いを含んだ吐息が漏れ聞こえる。 「?」 その何処か聞き覚えのある声音に、ルークは顔を上げた。そこにあったものは。 「―――やれやれ、たった一言が言えないというのも難儀ですねぇ」 「?」 「その為のたくさんの言葉を、私は貴方に教えて差し上げたでしょう?」 「…!」 顔が近付き、耳に吐息と共に囁かれる甘い声。身の奥に訴えかけるようなその声音は、今しがたジェイドが纏っていたものとはまったくの正反対ものだ。 それはそう…ほんの数日前、聞いた覚えのある―――。 「騙したな…!」 知っていたのだ。全部、全部。知っていたのだ。分かっていて知らないふりをして、一人悶々としていたルークを楽しんでいたに違いない。 弄ばれたと、ルークは憤慨した。しかしジェイドはそんなルークの怒りなど何処吹く風のよう、笑みを湛えたままで。 「騙したなんて人聞きの悪い。まあちょっとした仕返しであったことは認めますけどね」 「しかえし?…あ!」 すぐにジェイドの意図する言葉の意味を理解した。 「さて、焦らし上手はどちらでしょうかね」 この間の事を未だに根に持っていたのか。してやられたと、ずっとベッドの中でごろごろしていた時からジェイドの手の平の上だったのだと気付き、ルークは絶望した。 しかし腕の中からベッドの反対側まで逃げたルークを、ジェイドは追わない。ただ笑みを湛えた瞳で楽しげに視線だけが追ってくる。 なんて余裕、なんて酷い男だ。 (だってジェイドは俺が逃げられないのを知ってる) 認めたくはないが、ジェイドがこちらの現状に気付いた事に対し、体は期待し始めている。ジェイドがそうしたんだ。そして、ジェイドが望むようすれば、彼はきっとこちらがもういいと言っても余りある程に愛してくれるのだろう。 ジェイドが簡単に口にする言葉を、ルークはどうしても簡単に言葉にする事が出来ない。 「ほら、ちゃんと言わないとわかりませんよー?」 障害はただ一つ、それだけだ。 「私にどうして欲しいんですか?」 そのただ一つの障害だけが問題であるのだけれども。 「さあ、ルーク」 「………最悪だ」 ルークは真っ赤な顔をまま、苦虫を噛み潰したような顔をする。 だって欲しい。欲しい、この男が。この苦しいのもみっともないのも、何だって受け入れて受け止めて、愛してくれるこの男が。そうしたんだ、こいつが。何も知らなかった自分に、愛されると言う事を教えたこいつが!! 「………しい…」 「はい?」 ぼそぼそと呟く声では、聞こえていたって満足しないだろう。案の定聞き返され、ルークは俯く。 どうしてこんな恥ずかしい事を、臆面もなくジェイドは口に出来るのだろうか。恥ずかしくて心臓が爆発してしまいそうな程どきどきしている。本当にもう、死んでしまいそうだ。 「やれやれ、用がないのでしたら私は仕事に戻らせて…」 「!」 しかし立ち上がって離れようとするジェイドを、咄嗟に手を伸ばしてシャツを掴むと引き止める。するとその引き止めた行為すら予想していたかのように笑うのだ。 あの顔で。 あの視線で見下ろして。 「―――ほ……しい。してくれよ、ジェイド」 とろりと、まるで甘ったるい蜜のように男が破顔する。 「俺を、…愛して」 その視線に、息が熱くなった。ルークはぎゅ、と握ったシャツを更に強く握る。もう顔も見れなくて、シーツに寄った皺の数を数えるみたいにじっとそこを見つめた。 これ以上は無理だ。本当に、死んでしまう。 「仕方のない子、ですねぇ」 「ぅあ…っ」 どちらが仕方のない、だ。 シャツを握る手をすくわれ、ふと俯いた視界に影が指す。それからはあっという間にベッドに体を押し倒され、それなのに背中を軽く支えられてそっと下ろされた。 (馬鹿馬鹿、馬鹿ジェイド! いつか仕返ししてやるんだからな) その慣れた手つきにすら、ルークは最早何も言えない。ただ、圧し掛かってくる重みに何処か安堵してしまう自分への怒りを、心の中で彼に対してぶつけてやった。
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