+無償の好意+

 

 

 

 

 

「はい、ジェイド」

「おや、珍しい…気が利きますね」

 ピオニーへの用事で出向いたグランコクマにて、彼の計らいにより今日はここで一晩世話になる事になった。仲間たちは今頃街に買出しに出たり武器や道具の手入れに余念がないだろう。

 だが自分はと言えば、ここにやってきた時の日課とも言えるべきデスクワークに向かっている。世界の為に命を削って出向していると言うのに、この国は自分に優しくはしてくれない。帰るたびに机に山となって出迎えてくれる承認待ちの書類を前に、ジェイドはペンを手に戦いを挑んでいた。

 そしてそこに彼がやってくるのも、最早日課となっている。

 仲間たちと街へ繰り出せばいいと言うのに、飽きもせず彼にとっては何も面白みもないだろうこの執務室に通って。

 今日も別行動をしてしばらくし、彼はやってきた。妙ににこにこして、機嫌が良さそうに。だがその事を内心で不審がるジェイドを他所に、彼はいそいそとジェイドの為にお茶を用意し始めたのだ。

 そして出てきたのが、これ。

「珈琲も淹れられるんですね」

 渡されたのはティーカップに入った紅茶ではなく、マグに注がれた黒い液体。あのキムラスカのファブレ公爵が嫡男、ルーク・フォン・ファブレ様の淹れた珈琲様だ。

「ガイに習ったんだ。仕事中なら紅茶より珈琲のがいいだろ?」

「ええ、気分転換にもなります。ありがとうございます」

 えっへんと胸を張って自慢そうに言う彼に微笑み、礼を言って口に付ける。苦みばしった匂いが胸を透く。温かさが集中に冷えた身の内をほぐすようだ。

「…ルーク、珈琲を淹れるのは初めて?」

「俺紅茶しか飲んだことないもん」

「だったら上出来ですね。それとも教えた先生の腕が良いのでしょうか?」

「じゃあ」

 その次の言葉を期待して、子供顔がぱあ、と輝く。そしてその期待を裏切らないように、ジェイドはもう一口唇へと運んでから感想を零す。

「―――はい、美味しいですよ。少々豆を挽きすぎているようですが、初めてにしては中々上出来…下手に内の部下に淹れさせるよりかは美味しいです」

 ここで仕事をしていると時折部下が差し入れてくれる物もありがたいが、どうも何か違った印象を抱かれているのか紅茶が多い。嫌いではないが、仕事の最中は頭をすっきりさせる意味も含めて珈琲の方が好みだった。かと言って珈琲を頼めば出来不出来もまばら。まあ、淹れてもらえるだけありがたいものなのだと、文句は零したことはないのだけれども。

「―――それにしても貴方が珈琲を淹れてくれるなんて、珍しいですね」

 こうして仕事をしていると、時たま食料の差し入れはしてくれた。しかしそれらは大抵既製品であったり、ティアやガイの手作りであったりし、しかもお茶を用意するのは自分の仕事だ。さしずめルークは『運んでくる係』専門と言うべきか。

「何かおねだりしたい事でもあるのですか?」

「そ、そんなんじゃねーって…あ、肩揉んでやろうか!」

「おやおや」

言うなり今度は後ろに回って肩を揉み始める…本当、いたせりつくせりだ。だがその時ふとジェイドは思い至る。彼はおねだりではないと言うが、これはまるで……。

「―――まるでファブレ公爵婦人にお小遣をおねだりした時みたいですねぇ」

なかなか調子の良い肩揉みに極楽気分でぽつりと零すと、凝った肩を揉んでいた手がぴたりと止まった。

「なっ、違うって言ってるだろ…俺はただ…だた……」

「……ルーク?」

 ずるりと肩に乗った手が滑り落ちて、ジェイドは肩越しに振り返る。するとそこには滑り落ちた手を握り締め、俯くルークがいて。

「俺はただ、ここにいてもいつも仕事が忙しいジェイドの邪魔にしかならないから、ちょっとは役に立ちたいと思っただけで…」

引き結んだ唇が、もごもごと言葉を紡ぐ。

「やっぱ、邪魔だった…かな…」

眉根が寄せられて、その沈んだ翡翠色の目に涙など滲んでいないのに、そのままぼろぼろと泣いてしまいそうな予感を抱いた。

―――自分の失態に気付いたのは、その時。

「ルーク」

「え……? わわっ…!?」

 表情を沈ませた子供を抱き上げ、己の膝の上に向かい合わせに座らせてしまう。そうしてその顔を覗き込み、ジェイドは驚いて瞬きを繰り返す目蓋に唇を押し当てた。

「…すみませんでした。貴方の好意を素直に受け取る事が出来ないでいた私の非でしたね」

「ジェイド」

 そうして心からの謝罪の言葉を紡げば、沈んでいた顔にぱあ、と明るさが灯る。その様子にほっとして髪を撫でつけ、衿元に擦り付けるように頭を抱いて溜息を吐き出した。

「どうにも…下心のない好意というものに慣れていないもので」

 好意というものには何かしら下心と言うものがついて回るものだと、そう決め付けてしまっていた。勿論そうでない事もあるということは分かっているが、それでも愛しい人の好意すらまともに受け取れないなんて、どうかしている。

「お、俺こそ慣れないことなんてするから…珈琲、あんまり美味くなかっただろ?」

 ぎゅ、と肩を掴んで、ルークがするりと衿元に顔を擦り付けてくる。だがその顔を上げさせて、ジェイドは「いいえ」、と緩く被り振った。

「先ほども言いましたが、初めてにしては上出来です。最近飲んだ珈琲ではなかなかの出来でしたよ」

「本当か?」

 さきほどの曇り顔は何処へ行ってしまったんだろう。本当に嬉しそうに笑うから、ジェイドもまた嬉しくて微笑んでしまう。

「えぇ。何より淹れてくれた人の気持ちが篭ってますからね」

「うん、俺、ジェイドに喜んで欲しくて一生懸命淹れたんだからな」

「はい…嬉しかったですよ、ルーク」

「……ん」

 そっと唇を寄せれば、大人しく受け止めてくれる。

 ―――けれどもルークは勘違いをしている。

彼がいつもここにやってきてくれる事を、ジェイドは邪魔だと思った事はない。ここで時間を潰すより、出来る事はたくさんあるだろう。むしろここに彼が通い詰めてくれる事が嬉しいのだ。

数ある選択肢の中から、彼がここにくる事を選んでくれたことが。

「…苦い」

 ちゅ、とキスを離せば、顔をしかめたルークが舌を出して顔をしかめる。

「おや、貴方の淹れてくれた珈琲の味ですよ」

「やっぱ俺は紅茶の方がいいや…」

「だったら今度は私が貴方の為に紅茶を淹れて差し上げますよ」

「え、だってそれじゃ俺が珈琲淹れに来た意味ないじゃん」

「―――いいんですよ。私が貴方の為にそうしたいんですから」

 うっとり微笑んで言ってやれば、丸みを帯びた頬がみるみる内に赤く染まる。自分にはその気持ちだけで十分…こうしてここにやってきてくれるだけで、片付け仕事に殺伐とした心は癒されてしまうのだから。

「う、うん」

 あぁ、でも……。

「けどまたジェイドの為に美味い珈琲淹れてやれるよう、俺も頑張るからな!」

 

 こんな事をこの状況で平気な顔をして言ってしまう彼に手を出せない事は、多少仕事の障害になっているというべきだろうか?








相手を疑心することに慣れすぎた為の弊害。
勿論ジェイドもルークを疑うつもりじゃあなかったと思うのですが、
言ってしまってからその事に気付いた、みたいな。
こういうこともジェイドはルークに触れて学んでいけばいいな、なんて。

というか無償の好意に、ちょこっと欲望の期待をしているジェイドはどうなんだ…(笑)