+貴方の世界+ 「眼鏡だ」 机の上に無造作に置かれた眼鏡は勿論、今風呂に入っているジェイドの物だ。 ジェイドは別に視力が低いわけではなく、その目に自ら施した『譜眼』の制御の為に、譜業で作られたこの眼鏡をかけている。そうする事で自身で譜眼を制御するのが多少に楽になるからだ。 だからと言って外したらすぐ暴走するわけでもなく、こうして風呂に入る時や眠る時はちゃんと外しているようだ。 ただいつもなら脱衣所まで持っていく眼鏡が部屋に置いてある…それが珍しい事で。 「―――…」 ルークはじっと眼鏡を見詰めた。そしてバスルームへと通じる扉にも視線をやる。 ―――ジェイドが風呂に行ったのはまだついさっきだ。耳を澄ませば、中からシャワーの音が聞こえてくる。ジェイドはゆっくりと湯船に浸かってから出てくる派なので、当分出てくる事はない。 そこまで単純な計算をしたルークはにまり、と笑う。 「へへ…今のうち〜♪」 ルークは眼鏡というものに縁がない。庭師のペールなどがかけていたが、小さい頃から口を酸っぱくしてガイに『眼鏡は視力の悪い人にはなくてはならないものだから、むやみやたら遊んではいけない』と言い聞かされてきたのだ。 勿論ジェイドの眼鏡だって大切なものだって分かっている。壊してしまったら大変な事になることも。 けれども自分だってそれくらい分かる年になった。ただ玩具のようにしたいが為に触るわけではないし、壊れ物を大切に扱う事だって出来る。 ちょっとだけ、ほんのちょっと触ってみたいだけなのだ。眼鏡から覗く世界が、一体どんな風に映るのか、それを見てみたいだけ。 「失礼しまーす…」 蔓を折りたたむようにして置かれた眼鏡を、そうっと、そうっと持ち上げる。少しの鉄とガラスの板で作られたそれは、ちょこっと力を入れただけであっけなく壊れてしまいそうな気がして、酷く慎重になってしまう。 重さは意外に軽く、持ち上げた感じはあまり負担には思わない。 「よし、今度はかけてみて…」 たたまれた蔓を広げ、顔の前にかざす。眼鏡というものは本来視力を矯正するものだから、レンズ越しの世界は歪んで見えるはずなのに、ジェイドのそれはその機能はまったくないのか、レンズ越しの世界はルークが普段見ているそれとあまり変わらない。 「……」 そのまま…す、と蔓の根元を持って、先端を耳にかける。頭が重くなるかと思いきや、それほどでもない。ジェイドの顔のサイズに合わしているのだろう。やたら眼鏡がずり落ちてくるのは、彼の方が鼻が高いからだ。 「視界が…狭いなぁ」 どう見る世界が変わるのかと思えば、レンズをぐるりと囲むフレームの所為で、少し視野が狭くなる。境目は完全にフレームに邪魔されて、これでは少し戦いにくいのではないかとさえ思ってしまう程だ。 けれどもこれはジェイドにとっては大切な物で、視力とは関係ないがなくてはならないもの。 「―――ジェイドはいつも、こうやって世界を見てるんだな」 「満足しましたか?」 「!?」 窓の外に視線をやる。すると自分の背後にジェイドが立っているのがガラスに映り、ルークはびくりとした。慌てて眼鏡を押さえながら振り返ると、そこにはバスローブ姿のジェイドがいて。 「ジェ、ジェイド!」 「いけない子ですねぇ…人の眼鏡を玩具にして」 にこにことそう言う彼の目には、勿論眼鏡はかけられていない。赤い目が細められ、ルークを見下ろしている。 「べ、別に玩具にしてた訳じゃ…ちょっと気になって…眼鏡って触った事なかったし…」 かけたままの眼鏡を外すタイミングを失い、ルークはしどろもどろに言い訳をする。玩具にしてはいない…が、やはりばれると悪い事を内緒でしていたようにばつが悪い。 何よりも眼鏡のかけられていない赤い目に見下ろされると、どうしてもドキドキしてしまう。この眼鏡のレンズには、通す事でその目の威力を緩和させるような力でもあるのだろうか。 「…ジェイドがどんな風にいつも世界を見てるのかが、気になったんだよ…」 だからついつい余計な事まで喋ってしまえば、そうですか、とジェイドが一つ相槌を打った。 ちらりと上目遣いに見やれば、何処か彼は満足そうで。 「―――まあ、いいでしょう。玩具にしたかった訳ではなさそうですしね」 「う…ごめん」 「もう返していただいてもよろしいでしょうか?譜眼が暴走したら大変ですからね〜」 「わ、分かった」 慌てて、でも慎重に眼鏡を外す。すると少し膝を曲げ、ジェイドが顔を近づけてきた。 「ルークが、掛けさせてください」 「え」 「あまりべたべた触って指紋がつくの、嫌いなので」 そう言われてしまえば、従わざるを得ない。ルークは目を閉じて待つジェイドの顔にそっと蔓を沿わせ、殊更ゆっくりと眼鏡をかけさせ―――終わった瞬間。 「…っ、ん、ん〜〜〜!」 急にその手を掴まれ、そのまま唇を塞がれた。眼鏡を掛けさせること、その扱いの慎重さばかり気にかけて、顔がすぐ傍にあることなんて気にもかけていなかった。そこからキスをされるなんて回る思考なんて勿論なくて。 「ん、ふ…ぁ、んん…!」 両手首とも掴まれていては、逃げる事も押しのける事も出来ない。そのまま深く堪能され、ちゅ、と音を立てて解放される頃にはぐったりと、そのバスローブから覗く胸に脱力して顔を埋めた。 「は、あ…い、一体何なんだよ…」 そのまま抱かれると、頭上からくすくすと笑みが零れる。重たい頭を擡げて見上げれば、眼鏡越しのいつもの赤い目が、にこりといつものように微笑んでいて。 「眼鏡のレンタル代ですよ。安いものでしょう?」 「…もう眼鏡絶対触らねぇー」
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きっとルークなら触りたくて仕方ないだろうなぁ、と。
ジェイドの見ている世界が見てみたい、というのがジェイドさん的にはツボだったらしい。