+歌の揺り篭+

 

 

 

 

 

「おっと…」

ペンを机の上に置いたかたりという音が思いのほか大きく、寝ている彼を起こしてしまわなかったかと、ジェイドは思わず動きを止める。

「―――…」

じっとこちらに向けられた背中を見つめた。…が、反応はない。それでも規則正しく揺れる肩をみつめ、おもむろにそちらへと歩み寄る。

そして向けられた背中の上に覆い被さるように腕を付いて、

「……たぬき寝入りとは感心しませんねぇ?」

「!?」

囁けば、大人しく上下していた筈の肩がびくりと震え、開いた翡翠色の瞳が覆い被さるジェイドを見上げた。

「ど、どうして分かったんだ…?」

どうやら本人は絶対に気付かれないつもりでいたらしい。ジェイドは苦笑しルークの上から退くと、その傍らに腰を下ろした。

「幾ら呼吸を真似ても気配というものが生まれます。気配と言うものは眠っている時と起きている時ではまったく違うものなんですよ。それに意識は常に私に向けられている訳ですから…一応これでも軍人ですしね。気付くな、と言うのが無理な話です」

「う…そうだよな」

「…それにしても、今の音で目を覚ましたわけではなさそうですね」

 気付かれた事がばつが悪いのか、それとも寝た振りをしていた事がばつが悪いのか。そう言ってやると、ルークは複雑そうな顔をして視線を落とす。

 その様子に、ジェイドは苦笑して。

「ルーク」

 その名の一音一音を意識するように、呼ぶ。

「眠れないのですね」

「……うん…ごめん」

 手を伸ばし、くせはあるが柔らかな髪に触れれば、あっさりと彼は頷いた。そして何故か、謝る。

「何を謝るんですか。貴方が眠れない事で私が謝られる云われはありませんよ」

「………」

 嘆息し、じっと沈黙を返す彼を見下ろす。

ルークは今、こちらを見ていない。だが相変わらず意識がこちらを向いているのが、ジェイドには手に取るように分かる。

そしてルークが眠れない理由も手に取るように分かってしまう。分かってしまうからこそ、割り切れないものもある。

―――彼と同じ事を自分もしている筈なのに、彼ばかりが辛い目に会う事を。罪よ罰よと、彼ばかりが苛まれる事を。

「仕方のない子ですねぇ」

「…ジェイド?」

 触れていた髪から手を離すと、ジェイドはごそごそとブーツを脱ぎ、その隣へと体を潜り込ませる。

「???」

「はいはい、いい子は大人しくしててくださいね」

そのまま手を伸ばしてルークを引き寄せると、何をされるのかと疑問を顔中に浮かべて引き寄せられた襟元で見上げる彼の背中に手を置いた。するとルークも何も言わずとも衿元に擦り寄ってきて、狭い宿の一人用ベッドの中、中央に寄り添う形になる。

―――彼が入ってもう数刻経つだろうベッドの中は、彼の体温が移って温かく、それだけでとろとろと疲れた体に眠りが降りてきそうだ。寄り添ったルークの体温も、相変わらず自分にはない温かさで心地よい。

勿論眠れない彼を放って、こちらが眠ってしまうわけにはいかない。

「―――ジェイド?」

「あまり得意ではないのですけどね…」

 ぽん、ぽん、と背中に置いた手で、穏やかに彼の背を叩く。まるで幼い子供をあやすように(実際七歳だが)、一定のリズムで…そして。

 

「…、…レィ…リュオクロァ…」

 

「!」

 音を音階として声に乗せた時、腕の中でルークがぴくりと肩を震わせた。そしてじっと見上げる視線に微笑み、それでもジェイドは謳う事をやめない。

 短い歌詞の歌だが、ゆっくりと、自分が普段紡ぐ旋律よりもずっと穏やかな曲調であるがために長くも感じられる。自分でもウロ覚えかと思ったが、謳い始めているとするりと歌詞が口からすべり出てきた。

 そのまま背中をあやすように叩きながら、ジェイドは傍にいるルークが聞き取れる程の声音で唄を紡ぐ。普段音素を操るためだろうか。ジェイドの声に合わせて、室内の大気に混じる音素がふわりと動くのを感じる。

 それはまるでジェイドの声に合わせて踊っているようだった。

「―――…」

やがて、すぅ…と言の葉に余韻を持たせて、唄い終える。すると揺らめいていた音素たちもぴたりと動きを止め、室内に静寂が満ちた。

そしてルークはと言うと…。

「なあ今のって譜歌…!?」

―――どうやら一度歌っただけでは眠ってはくれないらしい。むしろ慣れない事をしたせいで興奮させてしまったようだ。

そんな思惑に反してきらきらと翡翠色の瞳を輝かせて見上げるルークに、ジェイドは苦笑交じりに嘆息した。

「いえ、今のはケテルブルグに伝わる古い子守唄ですよ」

「子守唄?」

「昔ピオニーやサフィール相手にままごとをするネフリーが、ぬいぐるみ相手に唄っていたのを思い出したんです」

ぬいぐるみを赤ん坊のように抱いて、その背中を叩いて揺らしながら唄っていた妹。思えばあれは、母親が彼女にしてやっていた行為だ。それを繰り返し聞くたびにジェイドも覚えてしまったのだろう。

「何て意味の歌詞なんだ?」

 ますます興味を持ったようにくいくいと髪を引っ張って急かすルークに、ジェイドはにやりと意地悪そうに笑う。

「おや、古代イスパニア語は勉強中ではなかったですか? 子供でもわかるような簡単な歌詞のつもりだったのですが」

「ま、まだ歌の歌詞が分かるレベルじゃないんだよ…!」

そう言って、むぅ、と頬を膨らますルーク。

事実、私塾や学校などで一番始めに習う程度の文法で理解できる程度の歌詞だった。もっとも低く小さな声で歌っていたので、聞き取りづらいのもあったのだろうが…。

ジェイドは膨らむルークの頬を指の背で撫でると、幼子に寝物語でも聞かせるように、

「…あなたは良い子だから、雪が降っている冬の間はお部屋でたくさん寝て、春になったら外でたくさん遊びましょうね、という感じでしょうか」

「ふーん」

 そう、説明してやる。だが、

「まあケテルブルグは春でも夏でも雪が降りますから、歌詞としては矛盾しているんですけどね〜」

「何かそう言うと余韻もへったくれもないな…」

 幼い頃の自分は、この唄を聞くたびに毎回のようにこう思っていた。それを思わず口にすれば、やはり呆れられてしまう。

―――母は特に取り柄もない普通の人だったが、ぐずる妹を子守唄で寝かし付けるのはうまかった。だが自分にはどうやらその素質は受け継がれなかったらしい。大体男の低い声で子守唄など、余計に赤ん坊が怖がるではないか。

「仕方ないですね…子守唄で眠ってくれないとすると、別の方法を考えましょうか」

 そして腕の中の子供も勿論眠ってくれなどしない。それどころか好奇心を煽ってしまうばかりで、最初から強硬な手段に出るべきだったのか。

 すると……。

「あのさ」

「はい?」

「―――もう一回、唄って」

 見上げて、くい、と髪を引っ張る。

「でも私の子守唄なんて聞いても、眠れないでしょう?」

 現に余計に目を覚まさせてしまったのではないか。だが髪を引っ張るルークはうん、と小さく頷くと自らすり…と衿元に顔を寄せてくる。

「何か…ジェイドの子守唄を聞いてるとふわふわする…体の音素が揺られてるみたいだった」

 そう、まるでさっきとは打って変わり、夢見心地のような声で呟く。確かに歌っている最中は大人しかったものだが…。

「確かに私の声に反応して、部屋の中の音素も動いていましたが…」

 彼の中にある第七音素も反応していた、というのだろうか。譜術を用いる際は己の中に音素を取り込んで行使する。つまりは大気の音素に干渉すると言う事なのだが、それと同じように人間に対してもそれが有効だと言うのだろうか。

 それとも彼が第七音素で構成されたレプリカ故、なのだろうか。

 だがまるでそれを思い出して心地良さそうにする彼に、ジェイドは吐息のように微かに笑う。そして再び彼の背中に手を回し、ぽん、ぽん、と優しく叩き始めた。

「―――子守唄の意図とは違いますが…まあ、いいでしょう」

 囁いて、目を閉じる。すると視界は真っ暗になるが、より音素の動きが読めるような感覚を得た。そこに自分では感じ取れない第七音素の存在はわからないけれど…確かに温かみは腕の中にあって。

 その温もりを意識するように、ジェイドは最初の音の形にゆっくりと口を開いた。

―――そして赤子を抱いて穏やかに揺するように。

声で大気の音素をゆっくりとゆりかごに乗せて揺らすように、ジェイドは再び故郷の子守唄を口にしたのだった。








大佐が歌ってる…!!
必死に頭の中でK安さんの歌う大譜歌を想像しながら書きました。
想像出来たかって?
無理です。
けど、呪文を唱えるような声で歌ってくれてるに違いない。
そしてルークはそれにうっとりしちゃうに違いない。

音階は適当で…(実際の子守唄をフォニスコモンマルキスに翻訳したかったんですが)