+聖なる焔+

 

 

 

 

 

「うー…最近前髪長くて邪魔だなぁ」

 

ちょい、とルークが自分の髪を引っ張って呟く。その声に顔を上げ見やれば…確かに元々ざんばらだった前髪も伸び、日常生活ならまだマシも、戦闘にはやや邪魔そうな長さになっていた。

―――だが本人にとっては邪魔なそれであっても…ジェイドは、その緋色の髪が好きだった。それなのに彼は、その髪を邪魔だと言う。それは恐らく、

「切りたいのですか?」

「んー…邪魔だし。やっぱ切りたいなぁ」

 直球で問えば、素直に答えは返ってくる。

勿論そう言うものの、彼の事だから自分で髪など切ったことない筈だ。屋敷お抱えの専門の者に頼んでいたのか、或いはあの器用な従者の仕事だったのか。切りたいと言うより、切りに行きたいというニュアンスの返事だろう。

だが何度も言うようだが、ジェイドはルークの緋色の髪を大層気に入っている。勿論もう何度も、ルークにもその事を言っていた。

だがそれがいつからなのか、きっと彼は知らない。きっと、想いも寄らない…そんな頃から目で追いかけていたなんて。

「そうですね、それは少々邪魔そうですね…何なら、私が切って差し上げましょうか?」

 そんな並々ならぬ思い入れのあるそれを、ルークが切りたがっている。だったら誰に任せるよりも―――せめて、この手で。

そのような思惑を感じさせぬよう自然に、膝の上で開いていた本を閉じて立ち上がると、その傍に歩み寄る。手を伸ばして髪に触れても大人しくて、代わりにこちらの髪に触れる手を見上げながらう〜んとルークは唸った。

「ジェイドは髪、切れるのか?」

少しうたぐるような言い方に、くすりとこの口からは笑いが漏れる。実際唇に浮かぶのはやや意地悪げな、唇の端だけを持ち上げるような悪い笑みだが。

「私だって髪くらいは切れますよ? それともわざわざバチカルに戻って、お屋敷のお抱えの理容師にでも切らせますか?」

「…う…」

「それとも部屋で休んでいるガイを呼び出しましょうか?」

「うぅ…」

そうやってわざと手間がかかる事を強調してやれば、ルークはばつが悪そうに言葉を詰まらせた。髪を切ってしまってからのルークが、人に迷惑をかけるという行為を極端に避ける傾向があるのを利用した、汚い手だ。

だがどうしても『そう』と思ってしまった今、それを利用しない手はない。

「わざわざ…バチカルに戻る必要なんてないじゃん。疲れてるガイを呼ぶ必要もないと…思う」

「ですね。じゃあ私が切ることに異論はないと? ―――まあ何処の誰かも分からない村の人間に切らせるよりか、幾分はマシだと思いますが」

「うぅ…そうかな…そうかも。じゃあジェイドに頼もうかな」

 選択肢をすべて塞げば、逃げ場を失った子供はあっさりと、汚い大人の思う通りに言葉を放つ。はめられた事に気付いているかは、その窺うような表情からでは定かにはならないのだが…。

(でも私だったらまず、ルークに髪を切ってくれと頼む事なんてしないでしょうねぇ…)

妥当な線で、手先の器用なガイ当たりを選ぶだろう。例え部屋で休んでいたとしても、お人よしの彼なら二つ返事で了解してくれる筈なのだから。

その事は黙っていることにして、ジェイドはにこりとルークに微笑みかけると、てきぱきと支度の支持を出す。

「じゃあ私は宿の方にハサミを借りてきましょうか。ルークはザックの中にある野営用のシートを二枚出して、一枚は床に。その上に椅子を置いて待っていなさい」

「はーい」

結局こちらの思惑など気付く筈もなく、返される素直な返事にそれだけ言い付けて、ジェイドは部屋を出た。

 ―――だが扉を閉めて、ルークの視線に晒される事がなくなった途端、顔の筋肉を緩める笑みを隠し切れなくなった。

「悪い大人ですねぇ、私も」

誰かの髪を切るなど実に二十年ぶりくらいだろうか。最後に切った覚えがあるのはサフィールの前髪で…切ってくれと五月蝿い彼に、適当にまっすぐ切り揃えてやった大昔の記憶。

それが最初で最後の理容師の真似事。

「サフィールも適当にぱっつりと切ってやった割には、随分と喜んでましたしねぇ」

それから人の髪を切る事なんてなくなった。自分も前髪くらいなら面倒で自分で切る事もあるが、基本的に専門の者に頼んでいる。

髪など、おいそれとそこらの他人に触らせるものではない。髪を切るという行為は、何となく余程信頼の置ける者にしかさせたくないという…何処か特別な事のように思うのもあるからだ。そしてそれは普通、安心して任せられる専門の者に頼るべき事である。

だがそれを、彼の弱点を突くという些か強引な手でその権利を手に入れてしまった。そうまであの緋色を気に入っているのだ。

それはひと目見た、あの日から。

(嬉しい、とか思ってしまうんですよねぇ、私も)

愛おしくて堪らない、あの緋色。

己で愚かだとは思いつつも、笑みは隠せなくて。それでも彼の前でそれを表に出すまいと、ジェイドは階段を降りながら唇を引き結んだ。

 

 

 

「もう一度聞くけど、ジェイドに任せても本っ当に大丈夫なんだよな? 経験はあるのか?」

「ありますよ。それに、何も本格的に散髪をしようと言う訳ではないでしょう。少しは信用してくださると嬉しいのですが」

言った通りに用意されたシートと椅子。髪が散らばらないようにと広げたシートの上に、机に備え付けられた木椅子を据える。それにルークを座らせて、てるてる坊主のように肩にもシートを羽織らせた。そしてその前でハサミを持って立つのは自分。

…もう笑みを隠すのは諦めて、逆にいつもの胡散臭いと評判な笑顔を張り付かせて。それが余計にルークを警戒させる原因となっているのは、勿論ジェイドも分かっているが。

「ほら、そろそろ覚悟を決めなさい」

「覚悟を決めるレベル!?」

「いいからいいから」

「…わぷ…!」

シュッと霧吹きで水を吹きかけて黙らせると同時に、前髪に適度に湿り気を与えて揃えやすくする。そうすれば流石に大人しくなり、長くなった前髪の向こうで、ルークがぎゅっと目を閉じた。その様子に、思わず吹き出して笑ってしまう。

「ルーク、肩の力を抜きなさい。そんなに力を入れていると、長さがおかしくなってしまいますよ」

「う、うん…」

 何とか目を閉じているルークに気取られないように笑いを収めると、強張る頬を撫でた。するとほう、という溜息と共に、その強張っていた肩から力が抜ける。

「そう、そのままで」

その様子にようやくハサミを構え、反対の手に櫛を持つと不揃いな前髪をまずは梳き始めた。

「―――随分と伸びましたね…相当邪魔だったでしょう」

「うん…動いてる最中とかはあんま気にならなかったけど…」

「そうですか? …では、切りますよ」

「ん」

梳いて揃えた前髪にハサミを差し入れる。そこでふと手を止めて、

「長さの希望は?」

尋ねれば。

「前と同じくらい?」

 返ってきた曖昧な返事に苦笑する。

「まあ…善処しましょう」

前、と言うと出会った頃くらいを差すのだろうか。もともと前髪は長めだったので、そんなに切るな、と言う事なのかもしれない。

ジェイドは以前のルークを思い浮かべつつ、角度を変えて見ながら、ゆっくりと、慎重に、彼の前髪にハサミを入れていく。しゃきん、しゃきんと、ゆっくり少しずつ。その愛おしい緋色を裁って。

「―――…」

ハサミで立たれた緋色は、ルークの肩にケープ状にして羽織らせたシートを滑り、床にとはらはらと赤い糸のように散らばる。その時床に零れる髪が視界の端に映るので、それを見て、ふと勿体ないなと思った。

―――レプリカは被験者に比べて、様々な点においてある程度劣る存在だ。肌や髪の色素もそう…やや被験者より薄くなる傾向があり、ルークも例外なくアッシュに比べて髪や肌の色素が淡く思われた。

誰の目にも明らかに、アッシュの髪が深紅であるのに対し、ルークの髪は陽に透けるような緋色だった。

だがそれを劣っているなどとは少しも思った事はない。むしろその淡く温かい色合いを美しいと思っている。その当時はまだ腰に届く程の緋色の髪がたなびいていて、中身はどうあれ、外見はその名の意味に恥じぬものだと思っていた。

美しいと思ったのは出会いの日。中身はどうあれ、その髪だけは賞賛に値する、と。

―――聖なる焔の光。

あの頃の自分と決別する意味で裁たれた長く美しい髪を、今を思えば勿体ないとさえ思ってしまう程。

「なあ、前髪終わったらさ、後ろもついでに切ってくれよ」

 それなのに。

「……後ろも、ですか?」

「ん。首の後ろがくすぐったいんだよな、ちょっと」

そう思っていた矢先にそんな事を言われ、少しだけ戸惑う。短く立たれて散らばる緋色を見ていて、再び彼のたなびく緋色の長い髪を見てみたいと思ってしまったのだから。

「ルーク…また伸ばそうという気は起きませんか?」

「へ? 何で?」

 思わずそう言ってしまえば、案の定、ルークは問い返してくる。ジェイドは最後のハサミをしゃきん、と入れると前髪からそれを放し、軽く前髪に櫛を通してやりながら苦笑した。

 苦笑して、思った事を正直に言葉にのせる。

「―――いえ。以前の長い髪が美しかったので」

「な…っ!?」

「切ってしまうのは勿体ない、と…」

「もったいないって…」

やはりルークは声を上げて驚いて見せる。勿論それが仕方のない事なのは分かっている。

―――だって自分は。

 

「おま…昔の俺の事、嫌いだって言ったじゃんか」

 

困惑した声で、恐る恐るとルークが閉じていた目を開け、上目使いにジェイドを見遣る。ジェイドは傍らの机にハサミを置くと、やや短くなった彼の前髪を梳いてやりながらきっぱりと答えた。

「言いましたね…えぇ、嫌いでしたね」

「…っ…か、髪が長かったのはお前の嫌いな昔の俺だぞ」

「そうですね。髪が長かったのは確かに以前の貴方…無知で傲慢で自己責任のかけらも存在しないような…私の興味の対象外な我が儘お坊ちゃまでした」

「う……そ、そんなに言う事ないじゃん…」

昔思っていた事を包み隠さず口にすれば、ルークは否定出来ないのか、言葉に詰まって押し黙ってしまう。だがそれでも言った事の全てが真実なのだから、ジェイドは否定することをしない。

そう、ジェイドの言った事全てが真実なのだ。

「―――ですが髪は褒め讃えるに相応しいと、そう思っていたのも真実です。貴方がレプリカなのだと気付いた後も血のように赤いアッシュの髪より、貴方の方が余程焔色だ、と私は思っていましたよ」

 だがそれは裏を返せば、その髪以外、褒めるに値するところは以前の彼には何もなかったと言う事にもなる。疎い彼はそれに気付かず、

「っ、じゃ、じゃあ…」

つい、と長めの毛束を手にして唇を寄せれば、押し黙り、沈んでいた顔を急にかぁっと赤くさせた。そしてその頬の色とは対照的な翡翠色の目が見上げ、何度か唇を戦慄かせた後に。

「じゃあジェイドは…俺が髪を伸ばしたらもっと…もっと俺の事好きになるのか?」

こちらの顔を窺うように、問い掛ける。その質問に思わず顔には出さずに内心、笑ってしまった。

それはもう既に、ジェイドがルークを好きだという大前提での問いだ。

(たいした自信…いや、それ相応に今の彼に対して愛を囁いている私の努力の賜物ですかね…)

 悪い気はしない。むしろ心地が良いくらいに。

「別に短い髪がいけない、と言う訳ではないのですけどね」

「わ、わ」

本人曰くやや長いという後ろ髪を撫で付け、軽く後頭部を支えるようにして頭を固定すると、その前髪の隙間から覗く額に唇を落とす。びく、と体を硬直させるルークに、額から、更には眉間にまで唇を滑らせて。

「もし貴方が私のささやかな願望を聞き入れてくれるならば、ぜひ」

「―――…」

我ながら自分勝手だと思う。彼が仲間に、自分に、呆れられ見捨てられ、そんな己を省みて、恥じて…そんな過去の己と決別する意味で切られたそれを再び伸ばせ、だなんて。髪を切らせた原因は突き詰めて思えば、自分に至るのだと言うのに。

自分がルークを困らせてばかりな事に気付き、苦笑が漏れる。だがそれでも、それだけは賞賛に値する程見事だったのだ。

それがもし、今ある最愛の彼に相成ったとしたならば―――。

「ジェイドがそんなに気に入ってくれるなら…また伸ばそうかな」

 腕の中でこちらの肩から垂れる毛束を掴み、ぽつり、とルークが呟く。

「おや、よろしいので?」

「よろしいのでって、ジェイドが伸ばして欲しいって言ったんだろ」

「いえ…まあ、あくまで私個人の希望なので…強要する事はしませんが」

あっさり納得してもらえるとは思わずに、少々驚いたような声を立てれば、頬を染めたままルークが再び俯く。

「べ、別にあれはあの時のけじめてきな意味合いで、しかも勢いで切ったようなものだし…」

ちょい、と自分の襟足の髪に触れ、

「ジェイドが伸ばしたのが見たいっていうなら…伸ばしてもいいけど」

「ルーク…」

もごもごと照れたようにルークは言う。

その言葉が、気持ちが、様子がこちらに堪らない愛しさを与えると言う事に、彼は気付いているのだろうか。

あぁ、そうやって積み重なっていく。あの頃のように、彼の緋色の髪が美しかっただけでは、こんなにも想い連ねる事などありはしない。

今想うのは、それらが形作る彼の存在が―――…こんなにも愛おしい。

「ジェイド?」

 胸にじわりと湧く想いに、うっとりと笑みが浮かぶ。それを見た彼がますます顔を赤くするのを見て、その少し短くなって視界の良くなっただろう前髪を、さらりと指で梳いた。

「―――それじゃあ、貴方の髪が長く伸びたら、私は逆に切りましょうかね」

「え!」

「二人して長いと、鬱陶しいものでしょう?」

「―――だったら俺、伸ばすの止めてやっぱ切る」

「おやおや、それじゃあ話が振り出しに戻ってしまうじゃないですか。私が望めば、伸ばしてくれるのではなかったのですか?」

「だってジェイドの長いさらさらの髪が俺は好きなんだもん。それがなくなるなら、嫌だ。伸ばさないでこのままでいる」

「くす…困りましたねぇ」

 本当は困ってなどいない。

 それもまたいい。こちらが執着するように、彼もまた執着して。ただ髪を切ってやるだけのつもりが、こんな展開になってしまうとは―――この自分ですらも思いも寄らなかったのだが。

 

 

「じゃあお互い保留、って事で。前髪も無事切り終えましたしね」

「あ、うん。それはそれで…ありがとうな」

「―――どういたしまして」








髪だけは賞賛に値する…と、長髪ルークのそこだけは気に入っていたジェイドでした。
でも今にしてみれば短くても好き、と言うか今のジェイドにとって、
ルークを構成する全てが愛しいのですよ、ラブ。
でも自分の為に伸ばそうかな、とか言われると嬉しくて。
じゃあ代わりに自分が切るといえば、それを気に入っているから止める、と
言い出したルークも愛しくて、ラブ。

ちょこっとシリアスかと思いきや、単なる馬鹿っぷる(笑)