「あれ」

 ふと、ベッドの上に無造作に置かれた上着が目に付く。

 この上着の持ち主はガイの部屋にいるイオンに用事とかで、今はこの部屋にはいない。いつもはきっちりと着込んだ軍服姿だが、さすがに宿に着けば脱いでいて。

 それでもベッドの上に放りっぱなしは珍しいと思い、せめて椅子の背にでもかけてやろうと持ち上げる。

 その時ふと、鼻孔をくすぐる彼の匂い。

「―――ジェイドの匂いがする」

 

 

安上がりな恋2

 

 

 それは彼の上着なのだから当たり前だと思う。けれども当たり前だとしても、それは自分の好きな彼の匂いだったから。

 ―――気が付いたら、その襟首の辺りに顔を押し付けていて。

「うわ」

 慌てて、顔を離す。

無意識に引き寄せられていた。襟首の辺りに残る、彼の香水の香り。自分の事を獣のようだと思うけれど、この匂いは何処にあっても彼のものだと分かる、証。

触れられる事で包まれる、最初少し辛くて…少し甘い匂い。彼が手放していくらか時間が経っている服からは、甘い残り香しかしないけれど。

「…それでも好きな匂いだ…」

 さっきは一度離してしまったけれど、きょろきょろと部屋の中で視線を確認して(今自分しか部屋にいないのに)、もう一度ぎゅっと胸に上着を抱く。

 ―――好きな匂いだ。

「…安心する…」

 繰り返して、すり、と顔を擦り付けた。その瞬間。

 

「ただいま戻りました」

 

「!!!」

 二度、ノックするのと同時に、扉が開いた。思わずびくりとして、慌てて上着から顔を離す。

「ノ、ノックと同時にドア開けたら、ノックする意味ないだろ」

「あぁ、すみません」

「は、話は終わったのか?」

 振り返り、慌てて手にしていた上着を背後に隠す。

―――大丈夫、見られていない。今入ってきたばかりの彼は知らないはずだ。

 けれどもあまり慌てても怪しまれるだけなので、何とか話題を変えようと、話を振る。そう、彼はイオンに用事で部屋を出ていたのだ。その結果を問うのは間違っていない。

 すると、その思惑通りに彼はえぇ、と頷き。

「終わりましたよ。それで明日、少々ダートに寄ることになりまして…って、ルーク」

「?」

 うまくいく、と思われた時、ふと彼がこちらの背後を指差した。

「貴方、人の上着握り締めて何やってるんですか?」

「あ!」

 指摘され、気が付く。慌てて背後に隠した為に思いっきり握り締めていたことを。

「あ、こ、これは…放ってあったから、皺にならないように椅子にでも掛けてやろうかな、って…」

 嘘は言っていない。最初はそのつもりで手にとったのだから。

 すると彼はにこりと笑い、

「それはありがとうございます。ですがそんな力いっぱい握り締めていたら、余計に皺になりますよ?」

「ご、ごめん」

 言われて、今度こそ椅子の背にかけてやろうと背を向ける。あまりしゃべるとボロが出そうだ。例えその素振りすら見せなくても、彼は勘が鋭い。何もかも知っているような彼に、一切隠し事は出来ないのだから。

 ―――それなのに。

 

「隠せば隠すほど、ボロが出るんですよ。貴方の場合」

 

「!?」

 笑みを含んだ言葉と、背中から回された腕。抱き寄せられて、その胸の中に捕らえられる。

「そんなに私の匂いが好きなんですね」

「!!み、見てたのかよ!?」

 肩越しに振り返ると、にっこりと笑みを浮かべてこちらを見下ろす彼と視線が合う。

「…見ていましたよ、ずっと。私の上着を抱き締めて、顔を埋めて」

「〜〜〜〜〜っ!!」

 かーっと耳にまで血が上ったのが分かった。

 見られてた。見ていたのだ、ずっと。

 それに気付かなかった自分も悪いが、見ていた彼も悪いと思う。ずるい、とも。

「ひ、卑怯だ」

「卑怯?私が?…違いますね。人が見ていないと思って可愛いことをしている貴方の方が、ずっと卑怯ですよ」

「っ」

 かり、と背後から耳を噛まれた。

髪がこちらに垂れてきて、頬を緩くくすぐる。抱き締められて、低めの体温が伝わる。

―――彼の匂いに、包まれる。

「貴方はまるで…獣みたいだ」

「…!」

 耳に囁きこまれて、ぞわりと項の毛がざわめく。それなのに逃げる気にはまったくなれない。思い焦がれたものを傍に感じられるという今が、酷く幸せだと思ってしまっているから。

 そのことに気付いたのだろう。耳元で、くすりと彼が笑う。

「―――相変わらず安上がりですねぇ」

「ぅわっ」

 すると唐突にひょい、と担ぎ上げられ、彼の足がベッドへ向かう。そのまま乱暴に放られて、慌てて体を起こそうとするものの、彼が覆い被さってきてそれも叶わず。

 ぎしり、と一つベッドが悲鳴を上げる。

「一応こちらも弱点を握って優位に立ちたいところですが、そんなにもうっとりされるとそれすら意味がない」

 顔が近づいてきて思わず目を閉じれば、ちゅ、と目蓋にキスが落とされる。それに恐る恐る目を開ければ、彼の赤い目が、楽しげに歪められているのを見た。

「言ったでしょう?私は貴方と違って欲深いと。貴方が望むより多くを、私は貴方に望みます」

「ジェ、イド…」

「…抱いてあげますよ。貴方は私の香りに包まれて幸せ、私は貴方が抱けて幸せ、一石二鳥だ」

「…んん…っ」

 頬を撫でられ、唇が降ってきた。

 髪がはらりと顔にかかる。覆い被されて体温が近い。

 ―――ベッドと彼に挟まれて、彼の匂いしか感じない。

「ふ、ん…ぁ…ぁ…」

 弛緩する体を、彼の手が這い回る。キスの最中に触れられると吐息が跳ねて、余計に苦しくなるというのに。

 けれど、その苦しみも甘い香りに溶け消えて。

 

「本当に…安上がりで困る」

 

 呟いた彼の苦笑の意味も、もう理解できない。









動物のようなうちのルーク。
好きな人の匂いに包まれてるだけで何でも許せちゃうんです。
それをちょっと大佐殿も困惑しているようですが(苦笑)
やはりあまり従順すぎても駄目なのかしら。

ちょっと反抗的のが燃えるのか!?(爆死!)