+欲深き獣−貴方色に染まる−+

 

 

「な、なあ。ジェイド」

「何ですか?」

椅子に腰掛け、膝の上で本をめくる自分を彼が呼んだ。

それがすぐ近くだから、こちらが座っている関係上彼の顔を見上げる事になる。すると何故かこちらが何もしていないのに、彼は真剣な表情で。

(おや、何かしましたっけ)

思い当たる節は多々あれど、彼がこうまで真剣に詰め寄るほどの事は思い浮かばない。

その事に内心首を傾げつつ、

「何か?」

彼の言葉を促す。いくら単純明快な頭脳の彼の事でも、黙っていては何も分からない。すると促した分、彼は何か言いたそうにもごもごと口を動かす。

…意味が分からない。

「ルーク。言いたい事があるならちゃんと言わないと、いくら私でも分かりませんよ」

ぱたんとしおりを挟んで本を閉じ、彼と向き合う。すると真っ向から話を聞く体勢になったこちらに意を決したのか、彼は思い詰めたような顔をしてこちらをきっと見遣った。

そして…。

「ジェ、ジェイド!」

「はい」

呼ばれたから、返事をした。

すると、

「そうじゃなくて…ジェイド」

「はい…だから返事をしているじゃないですか」

「違う〜そうなんだけどそうじゃなくて!」

「?」

呼ばれたから、こちらが返事をすると違うという。埒があかない、意味不明な事の繰り返しだ。

彼は一体何をしたいのだろうか。

(子供が何か欲しい事を理解できるまで、親なら根気よく付き合ってあげるものですが…)

 残念ながら自分は彼の親でもなければ、そう根気がある方でもない。出来れば手っ取り早く、呼ばれたから返事をした、ということの間違いとやらを教えて欲しい。

 こういうとき、自分はする事と言えば―――…。

「…ルーク」

 ちゃんと説明しなさい、と躾のなっていない子を軽く咎めるように名前を呼ぶ。するとどうだろう。

「それだ!」

「………はい?」

 いきなりびしっと人差し指を突きつけられた。

ますますもって意味不明。だが今自分がした唯一の事と言えば…。

「名前、ですか?」

 名前を呼んだ事しか思い出す事は出来ない。すると彼はそうだ、とばかりに頷いて。

「名前を呼ぶ事に何かあるのですか?」

 だからどうだと言うのだ。彼の言葉の意味するところが知りたくて、苦笑混じりに尋ねる。ここは一つ、根気よく聞いてあげるべきなようだ。

「ん、あのさ…」

「?」

 ―――けれどもどうだろう。それを聞いてみれば、みるみる内に彼は赤くなり、困ったことに視線を泳がせ始めた。

「いや、あの〜…何て言うかさ」

 なんて、言い辛そうに口ごもってみたり。

「ルーク。自分で説明できないような事を人に強要してはいけません。説明が出来ないような事を私にさせたいのですか?」

「そうじゃなくて…!」

 溜息をついて叱れば、ぶんぶんと彼は頭を左右に振った。

 顔を真っ赤にして、困ったような顔をして。そんな顔をされればますますいじめたくなるというのに。

けれども今はそれより、彼のしたい事の方が気になる。

ジェイドはルークが体の前で所在無げに指を回していた手を取ると、その顔を下から覗き込んで、

「教えてくださいますか?」

「う、うん…」

 優しく、子供にものを尋ねる時のように。すると重かった口がようやく開く。

 

「…あのさ名前、ジェイドがいつも呼ぶじゃん」

 

「呼びますね」

 

「…呼ぶ時って、名前だけでも何か意味っぽいのがあるじゃん」

 

「ありますね」

 

「…だから…俺も出来るかな〜って…思って、みて…呼んでみたんだけど…」

 

 ―――なるほど。

語尾がどんどん消えていく。…が、ここまで聞けてようやく彼の成さんとしていた事が理解できた。

 自分は彼の名を呼ぶとき、その名に様々な意味を付加する。ただ呼び止めるだけのものから、愛しく想う甘さを乗せるもの、咎める為のものもあり、キスをしたいと報せるものもある。

ただ名を呼ぶだけの行為に様々な意味を持たせ、彼にそれを察知させる。それは言葉では伝えない、雰囲気のみで報せるという心が通い合った者にしか出来ない行為。

「私の名を呼んで、何か分かって欲しい事があったのですね」

「…でもお前は分かってくれなかったじゃん」

 こちらが理解したと分かると、少し怒ったように頬をむくれさせるルーク。けれどもそう怒られても、自分にはただ名前を無意味に呼ばれているとしか思えなかった。

 何故かと言えば……。

「それは貴方の呼び方が悪いんです。もっと気持ちを込めるんですよ―――例えば」

 彼の呼び方には想いが足りない。ただこちらの名前を呼ぶ事しか意味を成していないのだ。だから自分はただ返事をした。呼ばれた事しか分からなかったから。

 けれども自分は『呼び方』を知っている。それは、名前に想いをのせる術を理解しているからだ。それはさながら、譜術を使う時に唱える譜にも似ている。

 もっとも大切なのは、タイミング。

「―――ルーク」

「…っ!」

 じっとその幼さの残る顔を見つめ、ゆっくりと唇で名を形取る。するとその様子を見下ろしていた彼の手が、びく、と握ったままのこちらの手の中で跳ねた。

 どうやらちゃんと理解できたらしい。

「ほら、私の言いたい事が分かったでしょう?」

「〜〜〜〜そう言うのは分かりやすいんだよっ」

「分かりやすいのではなくて、そう分かるよう呼んでるんです。だから、…ルーク」

「わわ…っ」

 掴んでいた手を引っ張り、膝の上に座らせてしまう。するとそれでも彼の方が少し視線が高くて、こちらは彼の顔を見る為に自然と見上げる形になった。

「さあ、ルーク。今なら私の名が呼べるでしょう」

「…え、ひゃぁっ…!」

 見上げて、まだ少し幼さの残る顎の輪郭に唇を寄せる。背中の服の切れ目から手を差し入れて、ゆっくり擦るように背骨のラインを辿れば、膝の上に乗せられた時に慌てて掴んだ肩の辺りを、ぎゅっと服にシワが残りそうな程強く掴まれた。

 その時、ちらりと見上げた顔。こちらを見下ろす視線が、早くも熱に蕩け始めている。

その下に、わななく唇を見た。

「……ジェ…ジェイド…」

 呼ばれた。

「―――上出来です」

 名前にのせられた意味を理解し、その望みの通りに実行に移す。見下ろす彼の頭を下から片手で抱え、見上げたこちらへと引き寄せる。

 キスがしたいと呼んだこちらと、キスがしたいと応えた彼。繋がらないわけがない。

 ちろりと出した舌で彼の唇を舐め、味わう前に囁く。

「貴方が望むのならば―――もっと、色々な名前の呼び方を教えて差し上げますよ」

 呼ぶのは何も、キスがしたい時だけではない。嬉しさを伝えたい時、からかいたい時、咎めたい時…そして相手を欲しいと思った時。

 

「だからもっと私の名前を呼んでください―――ルーク」

 

 貴方と繋がれるのならば、その手間は惜しまないのだから。









確実に彼色に染まりつつある、ウチのルーク。
その内熟年夫婦みたいになっちゃうなあ。

そう言えば気になるあの隙間に初、手を入れてみましたよ!
色んなサイトさまでも書かれてますが、気になりますよね…あの隙間。