何も知らない彼に教えてしまった欲望は、今着実に彼の中で育っている。

 それは親愛も敬愛すらも段階として踏むことをせず、最初に教えたもの。だが何より単純で、幼い彼には一番理解しやすかったのかもしれない。

 求められもすれば、求めもする。

 あまりに稚拙で、けれども深い意味をもつもの。もう交わす回数の中に、罪の味など忘れてしまうほどに。

 

欲深い獣

 

「…ルーク」

名前を呼ぶだけでも、意味はその呼び方の数だけある。ただ呼び止めたい時、嬉しさを伝えたい時、からかいたい時、咎めたい時…そしてキスがしたい時。

声の調子や息の含み方、間などを巧みに使い分けて名前を口にする。すると彼はそう教えたわけでもなく、自分のしたい事を理解するようになった。

今もそう。不意に名前を呼ばれて、その意味を理解して真っ赤な顔をしているのに、精一杯なんでもないような顔を作って知らない振りをしている。

―――名前の中に込めた意味は『キスをしましょうか』。

低く、彼の耳朶をくすぐるように呼んだ名前の意味を、彼は知っている。

「私に呼ばれたのに、お返事はないのですか?」

「…だって返事したら…キスするんだろ」

「そうですね。そのように呼びましたから」

頷き、彼のいるベッドの縁に腰を下ろすと、慌てて彼は少し後ろに下がる。どうせ逃げるなら部屋から出ていけばいいものをそうしないのは、別にキスされるのが嫌なわけではないからだ。自分とのキスが好きだということは、既に本人の口から聞いている。では何故彼はこちらから逃げるのか。

簡単に言えばまあ、呼ばれた事に照れているだけなのだ。

「逃げては駄目でしょう、私が呼んだのに」

「べ、別に逃げてるわけじゃない…」

「なら、こちらに来なさい。ルーク」

「…っ…」

見据えて呼べば、彼はびくりとする。そしてのろのろとした動作で四つん這いになり、ジェイドの傍までやってきた。

「最初からそうすればいいんですよ。でなければ私が呼んだ意味がない」

ようやく近くなった顔に、こめかみの辺りから髪の中に指を差し入れて撫でれば、彼はくすぐったそうに肩を竦め、上目遣いにこちらを見て呟いた。

「だって…ジェイドの呼び方が恥ずかしいんだよ…。よくそんな声出せるよな…」

 その言葉を、ジェイドは吐息で一蹴する。

「キスがしたいと呼ぶのにぶっきらぼうに呼ぶ訳がないでしょう。目一杯甘く、誘うように呼んだつもりですが…?」

「〜〜〜っ!」

 髪をすくように後頭部に手を回し、少しだけ引き寄せて耳もとに囁く。すると唇が耳たぶにかするようにしたために、産毛を撫でられてぞわりときたのか、彼は大きく肩を揺らして飛びのいてひっくり返ってしまった。

「そ、そ、そういうのは…!」

 かすった耳を押さえ、彼はこちらを睨む。

「この程度で驚くなんて、お子様ですねぇ…たまにはうっとりしてみたらどうです?」

「ジェ、ジェイド」

 だがひっくり返ってしまったのならちょうど良い。体をベッドに乗り上げ、ついでに仰向けにひっくり返っている彼の上にも圧し掛かる。彼の腰を少しだけ持ち上げてそこに膝を差し込み、腕を彼の顔の両脇についてしまえば、もう彼に逃げ場はない。

「さあ、つかまえましたよ。いい加減観念なさい」

 こうやって逃げる彼を追いかけるのも嫌いではないが、あまり焦らされるのは正直好まない。

「ルーク」

「…う…分かった…キス、だけだかんな…」

 今度の呼び方は咎める呼び方だ。もう遊びはお終い。

 呼べば、ルークはおとなしくなる。けれども咎めるように呼んでしまったためか少し緊張しているのか、ぎゅっと目蓋を閉じていた。その様子に小さな溜息を落とすと、まず頬を撫でる。

「…ジェイド?」

 ぴく、と手の感触に彼が自分を呼ぶ。その声に引かれるよう体を沈めて、額に、目蓋に、頬に、上向いた鼻の頂点に、キスを落とす。彼の体ならば何処にキスをしたって構わないと思っているから、その辿るような行為も苦にはならない。むしろこれは彼自身に行為を意識させるのにもっとも効果のある行為だから、手間を惜しみはしない方がいい。

 すると真下から伸びてきた手が、ぎゅっとこちらの袖を掴んだ。

「―――ルーク」

「あ」

 今度こそ、甘く。唇がかすかに触れ、吐息が重なる距離でうっとりと名を呼べば、彼はこちらが望むよう、僅かに口を開く。

そうやって、キスをする時口を引き結んではいけないと教えたのは、自分。

「ん、ふ…っ」

 頬を撫でた手で顎を持ち上げ、その唇を包み込むようにキスを与える。唇で唇の感触を確かめ、僅かに開いた隙間に舌を差し込むと、袖を掴む手が、そのままこちらの腕を掴んできた。

「…ぁ、んん…、ん、ふぁ…」

 舌が入ってきたら舌を差し出しなさい―――そう教えたのも、自分だ。

 おずおずと差し出された舌を絡めとり、唾液を吸う。ざらりと上あごを舐め、歯列を舌の先でたどりもした。あますとこなく、彼を味わう。

「んぁ…ジェ、イド…」

 すると不意に、彼の舌が自分の舌を追いかけ始めた。少し引くと、精一杯突き出した舌で、こちらの唇を震えるように舐めてくる。そのまま少し唇に隙間を開けて待ってやると、彼は恐る恐るといった様子でそこを突いてきた。

(私のしたキスを真似てるんですね)

 さっきまで逃げていたくせに。

 ジェイドは気付かれぬよう笑い、そして彼の舌を受け入れる。拙くも、たどたどしいそれは自分の口の中をさまよい、舌を見つけると構って欲しいとばかりに擦りついてきた。その誘いに乗るように舌を絡めれば、腕を掴んでいた手が首に回り、ぎゅっと下に抱き寄せてくる。

 ―――そこからは先は、もうどろどろにとけるようだった。

「…は、ふ…ぁ…」

「…ん…」

 すり合わせ、熱をもった唇がようやく離れる。すると力を失った腕がずるりと首から落ち、かろうじて肩にしがみついて止まった。

「…どんどん貪欲になる」

「ジェイ…ド…?」

 熱にとろけた視線が、こちらをぼんやりとみつめている。濡れた唇を指の腹でぬぐってやり、ついたものを自ら舐めとった。

 交じり合ったものは、もうどちらのものかも分からない味だった。

「さて、キスだけで終わるには少々もったいないですね」

 自分だけの一方的なものであれば、キスだけでもいいだろうと思う。だが彼、ルークがこちらを真似してきた事で一方的ではなくなってしまった。

 自分が教えたものが、彼の中でどんどん育ってきている。それは嬉しい誤算なのか、それとも―――。

 ひたり、とむき出しの腹筋に手を添えれば、びくりと体が跳ねて彼が我に返る。

「キ、キスだけって約束したじゃんか…っ」

「ルーク…キスだけで終われるんですか?」

「!?」

 つい、と手をもう少し下に滑らせると、存在を隠せないものがある。それを指摘され、ルークは赤い顔を耳まで赤くして、むっと押し黙ってしまった。

 その反応に、今度の笑いは隠さない。

「大丈夫…与えてあげますよ。貴方の欲しいだけ」

「〜〜〜っ、ジェイドが欲しいんだろ!」

「そうですね、私も欲しいです」

 にこりと笑って正直に言えば、逆に彼の口は何も言えずわななき、そしてやがては溜息の中にすべてが溶け消えた。

 

「―――俺も」

 罪の味とは、一体どんな味だったのか。

それすらもう、思い出せない。









ルークは色々ジェイドに教え込まれてるに違いない。
キスの先生がジェイドなら、きっとルークも上手くなるだろうなあ、と思ったり。
個人的にはいつまでたってもヘタなのに萌えますが(…)

ークは鼻で息とかできなくてふらふらになってるとヨイ。