そちらを見ずとも、視線が自分を追っているのが分かる。だがそれはマルクト軍第三師団師団長であるジェイドを付け狙う、敵国のスパイの持つ殺気立ったものではない。かと言って、有名人を興味本位に眺める好奇の視線でもない。

 ただ純粋に自分の背を追う視線は…部屋の中央に意味もなく鎮座した来客用のソファーに所在なげに座る彼、ルークのものだ。

 

大人の事情

 

そんなところにいてもやる事はないだろうに。ただ一人忙しく机と書類棚を往復する自分の姿を、その目が追っていた。その姿はまるで刷り込みをされた鴨の子が、親鴨を追い掛けているようだ。それはさながら自分の行動を逐一監視されているようなものだが、赤の他人の視線ならば欝陶しいものでも、彼の視線ならそうも思わない。見られている、というよりも彼の興味を一身に自分が集めている、ということがある種の優越感を生む。

だからこそ手を止め、ジェイドはこちらを変わらず視線で追っていたルークを振り返った。すると自然と目が合い、驚いた彼に笑う。

「退屈ではありませんか?皆と街を見に行けば良かったのに」

ここは基地にあるジェイド自身の執務室だ。昼過ぎにグランコクマに着き、移動するよりか準備を含め帝都で一泊する事になった。それならば別行動を、と一人溜まっているだろうデスクワークを片付けに行こうと申し出れば…。

『俺も一緒に行く』

…なんて逆に申し出られてしまった。勿論ガイやティアが仕事の邪魔になるだろうからと引き止めてはくれたのだが、そこはそれ。

『…いいですよ。ただし大人しく座っていてくれるのであれば』

『ホントか!?俺ちゃんと大人しくしてるっ』

『と言う訳です。彼は連れて行きますよ』

自分がいいというなら、と誰もそれ以上ルークを止めることをしなかった。だから彼は今、場違いながらもここにいる。

だがそう言った以上、彼には言葉通り大人しくしていてもらわないと困る。仕事中はもちろん構ってやることなど出来ないし、何より『躾』というのはそういうものだ。

(まあ目の届く所に置いておくのが一番安心なのですが)

好奇心旺盛で、素直過ぎるのが長所であり短所である彼を放っておくのは気が引ける。それならば多少のマイナスは差し引いて、自分の傍にいてもらった方がいい。

だが思った以上に彼はおとなしくしていてくれた。視線まで拘束する必要はないだろう。だからそろそろお預けの時間を終了して、少し構ってやることにした。ようやくだんまりした時間から解放されたことを理解して、彼の目が驚きから見る見るうちに喜びへと変わる。

「私を目で追っていても面白くないでしょう?」

「そ、そんな事ないけど…」

 ちらちらと上目遣いな視線。ようやく構ってもらえた事を喜ぶ姿は、まるで遊びたい盛りの子犬のようだ。尻尾がついていたら伺う表情とは裏腹に全開に振られていそうだと思いつつ、その笑みを隠しながらジェイドは言う。

「…かと言ってここに貴方の退屈を紛らわすものもなければ、私も構ってやれない。今からでも街に行けば、皆と合流できると思いますよ」

少し意地悪にそう提案してやれば、途端に彼はうん…と歯切れの悪い返事で口をつぐんで視線を下げる。けれどもすぐ顔を上げると、こちらをまっすぐに見て言った。

「いや、大丈夫。退屈なんかしてないか…あ、でもジェイドが気が散って仕事出来ないって言うなら出ていくけど…」

「別に私は構いませんよ。貴方にそんなに熱心に観察されるのも悪くない」

「え。わ…やっぱ気付いてた…?」

「…それ本気で言ってるんですか…?」

と言うか、自分でなくとも気が付かない訳がないだろうと思う。それとも彼は気付かれてないと本気で思っていたのだろうか。

「仕事をしている私など、何も面白くないでしょう?」

「そんな事ないけど…、真面目に仕事してるなあって」

「失礼な。私はいつだって真面目に仕事をしてますよ」

「………」

そう言ってやれば、彼は胡散臭そうな目をする。本気で言ったつもりなのに失礼な子供だ。

(あぁ、それにしても)

 こうも構ってやったことを喜ばれると、仕事に戻りづらくなる。彼が大人しくしてくれていたとは言え、まだ片付けたかった仕事の半分程度しか手を付けれていない。出来れば明日の出発までにすべてを片付けて行きたいのだが…(そうしないとまた出ている間に仕事が溜まるので)。

「―――せっかく真面目に仕事をしてると褒められたところなのに」

「ん?何か言ったか?」

「いえ、何も」

 思っていた言葉が思わずぽろりと口から出た。ぼそりと呟いた一言なので、彼にも聞き取れなかったようだが。

 だがこれを区切りに仕事に戻ろうと思う。彼に構わず仕事に打ち込めば、夜半前には終わるだろう。構うのはそれからでも十分だ。

「ルーク、やはり皆の所に先に戻っていてください」

「え、何で?」

「仕事に集中する為です」

 聞き返されきっぱり言い放つと、彼が途端に顔を曇らせた。

「やっぱ俺が見てると邪魔だった…?」

 言葉が足りなかったか、と内心反省した。外側よりも内面が大幅にお子様な彼は、簡素な言葉の真意を理解できない。それをいちいち説明する気もあまりないが、明らかにこちらの言葉の選び方のミスというのも否めなかった。

 子供に言って聞かせるのには、言葉を選ぶ必要と、根気が必要なのだ。

「そういう意味ではなくて…そうですね。仕事を早く終わらせるためです」

「見られてると集中できないからだろ?」

 言われ、

「いや、そこは関係ないです。まったく支障はないくらいに」

 即座に否定した。

「???」

 それなのにまだ理解できていない。

(ここは一つ、お前の為だよベイビー、くらいは言っておくべきなんでしょうかねぇ…)

 それは自分のキャラではないので論外だ。けれども彼自身にそれが彼のためであり、その為に彼は今この部屋を出て行った方がいいということを教えるにはどうしたらいいのだろうか。

 それを考えていると、次第に彼の顔からみるみる明るさが消えていくのが手にとるように分かった。どうやら『集中できない』イコール『自分は邪魔』なのだと、勝手に思い込んでいるらしい。

「ごめん、ジェイド。俺、やっぱ邪魔みたいだからみんなのところに戻るよ」

 戻ってもらうのはいいことだが、理由を誤解されたままではあまり芳しくない。落ち込んだ状態で戻られても、明らかに自分が何か言ったと仲間たちに思われるのもあまり面白くはなかった。

「ルーク」

 ジェイドは気付かれないくらい小さな溜息をつくと、部屋から出て行こうとするルークを呼び止める。すると名を呼んだだけで彼の足が止まる事から、この部屋に残りたいという未練があるのだと分かった。

さて。自分とは違い何もかもが素直に出来ているこの子供に、自分の真意を教えてやるには―――。

「ジェイ、ド…っ」

 呼び止められたことで彼が振り向いてしまう前に背後から抱き締め、前に回した手で無理やり上を向かせると肩越しにキスを与える。唇を舐め、歯列をたどって舌を吸えば、自分が以前教えた通りに彼は舌を差し出してきた。

「…ん……ふ、ぁ…」

「―――ん…」

 それに甘く歯を立て自らの舌で絡みとると、稚拙ながらもそれに答えてくる。たどたどしい、こちらの動きをなぞるような。こういうことの覚えは早いのに、どうしてこちらの意図する事はなかなか理解してくれないのかと不思議にも思う。

 もっとも、欲望により近い行為ほど、子供は貪欲に吸収するものなのだが。

「…あ、はぁ…」

「……よく出来ました」

 濡れた唇を唇でぬぐい、自分の唇で名残に糸を引く唾液を舐めとる。彼とのキスは先ほど与えておいた甘い焼き菓子の味がして、自分の甘さを思い知らされる。

「…これでもう分かったでしょう?」

苦しいだろう体勢から解放してやり、酸欠と余韻にぼんやりとした彼の顔を覗き込む。

「続きは部屋で夜してあげます。その為には仕事を終えなければならないんですよ」

「…ば、馬鹿…別にそう言うつもりでここに来たんじゃないよ…!俺はただ仕事をしてるお前を見たかっただけで…」

言って、見る見る内に勝手に赤くなっていく。その間にジェイドは彼の放った言葉を反芻していた。

―――ただ仕事をしてる自分が見たかっただけ。

(ただ構って欲しかっただけではないと…物好きな子ですね)

それは何となく父親の仕事に興味を持つ子供、というのを連想させたが、自分と彼とでは構図自体が間違っているので、それ以上深く考えない事にした。

「見る分にはもう満足したでしょう?何も面白いことなんてありません。なるべく早くそちらに帰りますから、先に行ってて…」

邪魔だから帰すのではない。後で目一杯構ってやるから、そのために仕事を早く終わらせたい。

そう穏便に、子供にも理解出来るよう言葉を選んでジェイドは言って聞かせる。だがその言葉を黙って聴いていた彼は、不意に袖の裾をぎゅっと掴んでこちらを見上げて言った。

「なあ、キョロキョロもしないから、本当に大人しくしてるから…ここにいちゃ駄目か…?」

「………ルーク」

―――本当にこの子供は。

これはもう、こちらが理性と戦う他ないようだ。彼を見ると必要以上に構いたくなる自分にとっては、最強の障害でしかないのだが。

「しょうがない子ですね…」

「じゃあ…!」

(あーあ、そんなに嬉しそうな顔をして…襲いますよ、ホント)

思うが、実行に移すことはしない。大人しく、と言った自分自身が大人しくなくてどうするのだと、自分に言い聞かせて。

「本当に大人しくしていてくださいよ」

念を押すようなその言葉は、一体誰に向けられたものだったのだろうか。嬉しそうな彼がまたさきほどまでの定位置に戻るのを見ながら、嬉しい反面、理性と欲望に葛藤するのだった。


ルークは無意識にジェイドを振り回してるといいと思う。
勿論ジェイドにも振り回されてるといいとも思う(どっちだ)
なんていうか、ルークって無駄に構いたくなりますよね。