学校を出た二人は、そのまま街の外れへと向かうモノレールに乗り込んだ。
 それは竜宮市郊外に位置する、アルヴィスの工業団地へと向かう路線だった。しかし乗り込んだ車内は今の時間人はほとんどいない。工業団地の夜勤交代の時間帯にはまだ少し早く、それ以外の時間は割と空いていることが多かった。
 しかも二人が目指すがその終点となれば尚更。
「………」
「………」
 乗り込んだ二人の間に、特に会話はなかった。元々どちらもあまり喋る方でなく、寡黙だ。しかし二人の間にそういった沈黙はあっても、居心地の悪さは感じられない。窓に沿うように取り付けられた長い座席の真ん中辺りに並んで座り、総士は鞄から取り出した本を読み、一騎は何をするでもなく、ただ窓の外の風景を眺めていた。
 しかしただぼーっとしているだけじゃなく、駅に着き扉が開くたびに意識がそちらに向くのがわかる。いつ何時でも警戒することは怠らない。
 しかし結局目的地まで、誰ひとりこの車両に乗ってくることはなかった。
『次はー、終点第一研究棟前ぇー、第一研究棟前ぇー。お降りの方は忘れ物に…』
「総士」
「ああ」
 アナウンスが流れるとすっと一騎は腰を上げ、総士もそれに続く。やがて緩やかにブレーキがかかり、モノレールは無人のプラットフォームに滑り込んだ。
 その駅でも乗ってくる者はおらず、たった二人だけの乗客を降ろすと、モノレールは引き返していった。完全に無人化された駅で人知れず降りた二人は、そのままIDカードを使って改札から直接建物の中に入っていく。
 そこは真っ白な、窓一つないビルだった。
 製薬会社であるアルヴィスは、薬の製造・販売だけでなく、自社で新薬の開発を行っている。この第一研究棟は、そんなアルヴィスの日本での研究施設の一つである。ただし規模はアメリカにある本社研究所に遠く及ばない。建物の大きさも、総士たちが通う竜宮高等学校の南校舎ほどだ。
 しかし規模がどうあれ、ただの高校生が学校帰りに寄り道するような施設ではない。だが通りすがる者もいなければ、誰もそんなことを気に止めないだろう。
 施設内に足を踏み入れ、天井も壁も床さえも、病的なまでに白亜の廊下を奥にと進む。研究棟、と言っても実際の研究室は2階以上なので、就業中の廊下はとても静かだ。そんな場所を、外を歩いていた時と同じように総士と、その隣をぴたりとついて歩く一騎は進む。それは廊下の突き当たり、エレベーターホールにたどり着くまで続いた。
「一騎」
「ああ」
 今度は総士の呼びかけで再び取り出したIDを、一枚ずつエレベーターのパネルのスロットルに通す。するとポーンという軽い電子音の後、低い音を立てながらエレベーターが動き出した―――が、エレベーターの動きを示す上部の階層を示すパネルの光に動きはない。だがそんなことには別段構うこともなく、二人は大人しくそこで見えないエレベーターが到着するまで待っていた。
 時間にすればほんの数十秒程。しかしその間も、一騎は今まで歩いてきた廊下をじっと見据えていた。静かすぎて歩くだけで足音が響く筈のそこで、今足音は何もしない。誰もくる筈がない。
 しかしそれでも一騎はそこでじっと佇む。それが彼が自分自身に課した、『俺がしなければいけないこと』の一つだからだ。
 一騎はそうやって常に自分たちの回りを、総士を取り囲む環境を見ている。
 総士を守る為に。
「きたぞ」
 しかしまたポーンという軽い電子音の後、がこん、と扉が開いた。その時にはもう総士の前に素早く移動しているのは、エレベーターの中を警戒しての行動だろう。
 その後ろ姿を見て、過保護だな、と総士は思ってしまう。
 ここは昔住んでいた某国じゃあない。世界的に見てもかなり平和な…平和ボケな国だ。角を曲がった先でいきなり銃を乱射されることも、郵便物の中に本物の爆発物も仕掛けられているようなことも、まず一生お目にかかることもない国である。
 ましてやここは―――…。
「総士?」
「!」
 ふと顔を覗きこまれ、総士は驚く。エレベーターの扉は既に閉じており、ボタンを指差した一騎が何階を押すのかと指示を待っていたところだった。
「――-いや、何でもない。25階を押してくれ」
「? わかった」
 不思議には思ったようだが、それ以上は何も言わず、一騎は素直に25階のボタンを押した。いや、正確にはB25階…地下だ。
 そう、このエレベーターは上にではなく、下に行く専用のものだ。許可が下りているIDの所持者でなければ使用することができない為、表には階層表示がないのである。地下にいくエレベーターは街中いくつかあるが、ここが一番人目に付きにくい為、緊急時以外は少し遠くてもなるべく利用するようにしていた。
 そうまでして人目を忍んで行く場所、とは。
「一騎。僕は今日、会議に顔を出すことになっている。その間お前は遠見先生のところへ行け」
「え、俺も行くよ」
 エレベーターがぐんぐん下がっていく最中、総士は一騎に指示をする。すると何言ってんだ、と当たり前のようにそんなことを一騎は言い出すので、総士は呆れた。けれどもそこでそうか、といつものように流してはいけない。
「駄目だ。お前この間の定期検診をさぼっているだろう」
「別に何ともないから大丈夫だよ」
「何ともなくても行くのが定期検診だ。今日さぼるのは許さないぞ」
 口調を強め、拒否することは許さないとばかりに言いつける。大事なことなのだ。自分たちの体のことを鑑みるに、けして蔑ろにはできない事項なのである。
 総士の為じゃあない。他ならぬ一騎自身の為だ。
 すると流石に一騎もそんな総士の想いが伝わったのか、
「………わかった」
 と頷く。が、しょぼん、と目に見えて落胆しているのがわかる。もし一騎に犬の耳や尻尾がついていたならば、耳は垂れ、尻尾もしおしおと萎れているのが想像でもわかるくらいの落胆ぶりだ。一騎には悪いが、その様子を見て少し総士は笑ってしまった。実にわかりやすい(けれどもこのわかりやすいのは総士の前だけで、普段の一騎は『何を考えているかわかりづらい』とクラスメイトには思われているようだ)。
 しかし一騎にとっては重要なのだ。総士を守ると決めている一騎にとって、総士の傍を離れること=誓いを守れないことに繋がるのだから必死にもなる。その気持ちはありがたいが、自分の体のことも考えないで守ると言われても有り難くも何ともない。
 けれどもこの落ち込んだままの状態で遠見先生のところに行かせるのも気が引け、一応フォローはしておくことにする。
「一騎」
「?」
 呼んで、意識をこちらに向けさせた。呼べば、一騎の意識はどんな時でも総士へと向く。昔はその為のアンテナでも有しているかのようだな、と思ったことがある程だ。
 そんな一騎の目を見て、総士は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「いいか。何度も言っているがお前の気が休まらない程、この国は危険でも何でもない。世界の東の端っこの、平和で暇で仕方のない国だ。ましてやここは竜宮市、そしてこの場所はアルヴィスの中枢。ここには僕やお前を脅かすものはいない」
「それは―――わからないだろ」
「大丈夫だ。その為に『これ』をここに『移した』んだ。もう二度と、あんなことが起きないように」
 そう言って、総士はゆっくりと瞬きをする。左目の目蓋が未だ傷の所為で、少し引き攣れるのを感じた。普段はあまり意識をしないが、わざと意識を向けるとよくわかる。眉毛の辺りから頬まで、鋭い刃物で裂いたような傷跡は、もう既にここに刻まれて7年近くなる。
 そしてこの傷は、総士に目蓋の違和感だけでなく別の弊害も与えているのだ。
「……総士」
 しかし一騎が何か言いたげにした所で、ポーン、とまたあの軽い電子音が鳴ってエレベーターが止まる。目的地に着いたのだ。
 扉が開いた先はさきほどまでいた研究棟とは似ているが、また違った雰囲気の場所だった。中には白を基調とした制服を身に纏う大人たちがいて、その中にはちらほら白衣の者もいた。開いたエレベーターから降りてくる総士たちの姿を認め、軽く会釈をする者や、気軽に手を振ってくる者もいる。かと言えば、あからさまに不快そうな顔をする者もいるので、いつ来ても相変わらずだな、と総士は思う。
 ここはいつ来ても変わらない。昔、ここがまだこの国なかった時からそれは感じていたことだ。
 ここは竜宮市にアルヴィスが造った工業団地――――の地下深くにある、アルヴィスにとってもっとも重要な研究施設、いや、アルヴィスそのものといっていい場所。医学、工学、化学、およそアルヴィスが有する最先端科学の髄を凝らしたものがすべてここに集結している、中央科学研究所、通称CSRI(Central Scientific Research Institute)と呼ばれる場所だ。子供風に言ってみれば、『地下秘密基地』といったものに値するだろう。
 研究所では各分野の権威が集まり、日々、各々の研究の為だけに時間を費やしている。ここで研究する研究員たちはアルヴィスから莫大な研究資金や施設を得ることで、一企業や大学ではできない恵まれた環境で研究だけに勤しむことができるのだ。
 そしてその研究結果を買い取って世の中に商品や技術として放ち、莫大な利益を得る。それがアルヴィスのやり方だ。だからその為に有益だと思った研究には投資を惜しまず、逆に不利益だと判断された研究は即座に切り捨てられ、ここを追い出されることになっている。さっきの大人たちの反応が様々なのもその所為だ。総士たちの姿を見て不快さを表した者は、きっと自分の研究がうまくいっていないのだろう。
(それとも、僕らの本質を知っていて嫌悪しているのかどちらかだな)
 この研究所は日本への本格進出の際に建造を進めていたこの工業団地の地下に、元々某国にあるアルヴィス本社に作られていた施設を、5年程前にこちらにそっくりそのまま移設したものである。
 それを判断したのは総士だ。そしてそれをできるだけの力を、総士は持っている。
(けれども僕と一騎はこことは切っても切れない縁がある。だからわざわざ平和なこの国にここを移したんだ)
 するとふと向こうで自分を呼ぶ声がして、総士はため息を吐いた。どうやら存外時間はおしているらしい。まだ一騎を納得させる話の途中だが、仕方ない。
「いいか、検診をちゃんと受けるんだぞ」
「わかった……終わったら迎えに来るから」
「ああ。待っている」
 頷けば、一騎は重そうな足取りで総士とは別の方向に歩いていった。少し心配だ。
(遠見先生に迷惑をかけなければいいが)
 しかしいつまでも一騎のことばかり心配もしていられない。その背中が廊下の角を曲がって見えなくなるまで待ち、総士は気持ちを切り替えて自分を待っていた大人の元へと気持ち足早に歩み寄る。
 これから研究進捗から来期の研究予算を割り振る為の判断を行う、定例会議だ。こうやって定期的に提出される進捗を元に、その研究がアルヴィスにとって有益か不利益かを判断するのである。
 しかし多岐にわたる分野の研究進捗など、ただ見せられて有益か不利益かなど簡単に振り分けられる訳がない。ましてやここは世界中の知識が集まると言っても過言ではない場所。生半可な知識をひけらかしたところで、頭の固い研究者たちを納得させる判断はできないだろう。
 だが総士にはそれができる。
 その為に生まれ、その為にこれまで生きていた。
(父さんが僕の好きにさせているのも、僕のこの生まれ持った力の所為だ)
 幼いころからただ与えられ、ただ吸収していったものがすべて、未だ衰えず総士の中には知識として留まっていた。それはどんな状況でも正確にしまった引き出しの中から取り出せ、己のものとして発することができる。
 脳科学の研究者が昔、『皆城総士の頭脳の中には国立図書館が収まっている』と言ったことがある。正にその通りだ。知識をひけらかすだけなら、ここにいる研究者の多くが総士には敵ないだろう。
 それは総士の生まれ持った能力のほんの一つにすぎないが、それがここでは大いに役に立つ。研究員を納得させ、そして牽制する為に。その為に嫌悪されても構わない。
 ひいてはアルヴィスの為に。
 そして総士をこの世に創り出した父の為に―――…。
(……それでもいい。利用できるものは何だって利用するさ)
 そのおかげでこの研究所を、世界でも稀にみる安全な、平和な日本へ移せたのだ。なるべくしてなったあの事件の後だ、ということもあったが、それすらも利用しなければ二度と一騎を取り戻せなくなると思った。
 初めて得た温もりを。
 初めて自分と同じだと知って、嬉しく思った大切な存在を。
「では、定例会議を始める」
 研究ブースの中央にある会議室の円卓につくと、すぐさま辞典のような厚さの紙束が総士の前に置かれる。そうしてプロジェクターでスクリーンに映し出される研究経過発表に、総士はふと昔のことを思い出しながら、頭の中から必要な情報を抜き出す作業に取り掛かるのだった。

 幼い頃と同じように『守る』と言って傍にいてくれる一騎を、総士は過去に一度失いかけた。それは自分を守ってではない。自分を守れなかったからこそ、一騎は総士の傍から消えてしまうところだった。
 総士に一騎を与えたのは父だった。
 そして、総士から一騎を奪おうとしたのも父だった。


色々説明くさい。近未来というか別にファフナーと同じくらいの未来でもいいような気がしてきた。

[2011年 2月 19日]