「――――ハロウィン、或いはハロウィーンとは、ヨーロッパを起源とされる民族行事で、カトリック諸聖人の日の前晩に行われる。夜、カボチャをくりぬいた物の中に蝋燭を立てた『ジャック・オー・ランタン』を作り、魔女やお化けに扮した子供たちが近所の家を訪ねては「trick or treat.」と唱え、家人はその子供達にお菓子を渡さなければならない。もしお菓子を貰えなければ、報復として悪戯をしても構わない……か」
「ほらほら、お菓子は順番だよー!」
「ちゃんと数はあるからおーさーなーいー!」
「こら、そこ! 順番抜かしは規律違反だぞ! きちんと二列に整列し、合言葉を唱えろ。でなければ成功報酬は与えられんぞ!」
「……何だか大騒ぎだな」
「でも思ったよりも人が集まって良かったじゃないか」
 日も暮れ、普段なら島全体が夜の静けさに包まれる頃、喫茶楽園の入口は集まった島中の子供たちでごった返していた。
 子供達を捌いているのは真矢とカノンと咲良だ。外では剣司や中学生徒会のメンバーが混乱しないように列整理をしているのだろう。しかしそんな喧騒の中にあっても、店の奥にあるカウンターは割と平和だった。
 今夜の楽園は急遽通常営業ではなく、『第一回竜宮島ハロウィン祭』のメイン会場となっていた。祭の企画は竜宮高校生徒会を中心とし、アルヴィスの全面的なバックアップの元、中学、小学校を巻き込んで島全体での開催となった。
 イベントのルールは簡単だ。日が沈んだのを合図に、仮装した子供たちが島を練り歩き、イベント参加の目印であるランタンを玄関に掲げた家を訪ね歩き、合言葉と引き換えに用意されたお菓子をもらう。単純なイベントだが、その単純さが参加を気安いものとし、当初の試算よりも盛況を見せているらしい。
 しかし何故単なる喫茶店であるこの楽園か、そのイベントのメイン会場となっているのかと言えば―――…。
「それにしても、一騎プリンハロウィンエディション、好評そうでよかったよ」
「何だ、その『ハロウィンエディション』というのは」
「え? 溝口さん命名。中身はごく普通のカボチャプリンだけど」
「ああ」
 なるほど、と総士は頷く。カウンターには、次々とやってくる子供たちの為のプリンが並び、その上に仕上げとして一騎がホイップクリームをひと絞りしていく。プリンの色は普段楽園のランチのデザートとして好評な、『一騎プリン』の卵色ではなく、カボチャを連想する鮮やかなオレンジ色だ。透明なプラスチックの容器に入れられ、合言葉と引き換えに一人一による手作りだ。
「余っちゃうと店の冷蔵庫プリンだらけだから困ったんだけど、この分なら余りそうもないかな?」
「この盛況ぶりでは足りなくなるのではないか?」
「あ、それは大丈夫。大凡人数のアタリは剣司たちが出してくれてたし、少し余分も作ってあるんだ」
 余計な杞憂だったようだ。確かに島の子供の数は正確に把握されている。しかもこういった行事には大人も大変協力的だ。
「それにしてもハロウィンとはな…今まで島では行っていなかった行事だろう?」
 そもそも竜宮島の存在意義とは、日本固有の文化の保存とされている。しかしハロウィンは西洋の宗教的な文化であり、日本固有の文化ではない。まあそれを言い出すと、ではクリスマスはどうなる、と言うことになってしまうのだが。
「ほら、盂蘭盆の祭が来主のことで中途半端なままだっただろ? 島もそんなに行事が多い訳じゃないし、小さい子とか、ちゃんと楽しいことやらしてやりたいってさ」
 島の状況が落ち着いて、復興も大分進んできた。まだ破壊された道路や建物は残されているが、無事新学期は迎えられている。その期間を考えると、確かにハロウィンが一番近い祭と言えるだろう。
 しかし、
「それは…すまないことをしたな」
「? 別に総士が謝ることじゃないだろ」
「今年の盂蘭盆の祭を台無しにしたのは、来主たちだけの所為ではない。彼らをここへ導いた僕も一枚噛んでいる」
「あ」
 総士が言いたいことに気付いたのか、一騎がぽかりと口を開けた。しかしすぐにそれを引き結んで、
「……別に誰も総士が悪いなんて思ってない。そうやって、何でもかんでも自分の所為にするの、止めろよ」
「悪い」
 そんなことを言えば、一騎の機嫌が悪くなることくらいわかっていた。わかっていたが、いつもそうやって口にすることは止められない。
 それはきっと……。
「どんなタイミングで、それがどんなに都合が悪くたって、お前が帰ってきてくれて、ここに今いてくれて、俺は嬉しい。ずっと待っていたんだ、俺は、お前を」
 一騎にこの台詞を言わせたいが為、なのかもしれない。
「ああ。わかっている」
「だったらそういうこと言うなよ」
「すまない」
 もちろんそんなことを言えば呆れられてしまうし、こちらへの評価に関わるので口にはしないのだが。
 するとそこへ、
「―――一騎くーん、プリン追加で持ってきてーっ」
 子供たちに囲まれながら、ぶんぶんと真矢が手を振ってこちらを呼んでいる。待ってろ、とカウンターから出て行きかけた一騎を、しかし総士が待て、と制した。
「いい。僕が行く」
「わかった。それじゃあ頼む」
 生徒会のメンバーではないが、ここにいて、働かないのはやや居心地が悪い。総士はプリンを乗せた大きなお盆を受け取り、入口の『特設会場』へと運ぶ。
 奥のカウンターからでもその様子は見られたが、実際外を覗くとかなりの人数が集まっていた。島中の子供たちが集まっているのではないだろうか。それに付き添う大人たちもいて、皆が一様に楽しそうな表情をし、受け取ったプリンを美味そうに頬張っている。その様子を見るだけで、嬉しい気持ちが胸にこみ上げてくるのを感じた。
 しかし同時に、これはまだ仮初めの平和に過ぎない、という現実感も湧き上がる。そう、まだ仮初めなのだ。外の世界は未だ人とフェストゥムの戦いが終わることがなく、そして人からもこの島は異端として狙われている。
(いつか仮初めではない、本当の平和を島に……)
 その為に帰ってきた。島へ、一騎の元へ。彼と一緒ならば、その希望も現実に変えられると信じて。
「遠見、追加のプリンだ」
 声をかけ、空になったお盆と交換でプリンの載ったお盆を引き渡す。すると真矢はありがとう、と言って、しかし、
「皆城君」
「なんだ」
「あんまり一騎君をいじめちゃ駄目だよ?」
 小さい子に向けた笑顔のまま言われた。逆に怖い。見られていたのか、それともいつもの神がかり的な勘で察知されたのかわからないが、ここは敢えて何も言わず、
「了解した」
 とだけ応え、総士は空のお盆と共に店内へと引き返す。するとホイップクリームを絞り出す作業を終えた一騎は、外で動いている皆の為に飲み物を用意している最中だった。
 誰に言われた訳ではないのだろう。真面目で、良く気が付く。そんな一騎を眺めながら元の席に腰を下ろし、総士は、
「一騎」
「うん?」
 呼びかけると何だ、と一騎がこちらを向く。その視線に視線を絡めて、
「―――trick or treat.」
 不意打ちのように、言った。すると言われた方は一瞬きょとんとして、けれどもああ、と合点して頷くと、
「はい、これ」
 言って、目の前にあった『一騎プリンハロウィンエディション』が一つ、総士の前に差し出された。容器が透明なので、オレンジ色の底にカラメルが沈んでいるのが見える。上にはさっき一騎が絞り出したホイップクリームがちょん、と飾りで乗っていて、シンプルだが実に美味そうだ。聞けば昨日から大量のカボチャを切って茹でて裏ごしして、と開催前に真矢が「わたしも手伝ったんだよー」、と自慢げだったが、作業の八割は一騎によるものだということは暗黙の了解だ。
 そんなほぼ一騎作のプリンを眺めて、
「お菓子がもらえたから悪戯はできないな」
「悪戯って……ああ、『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ』、だっけ?」
 総士がそんなことを口にするのが意外だったのか、一騎が笑う。そんな顔に苦笑を返して、
「遠見にあまりお前をいじめるなと窘められた」
「………」
 宣言してからならいいだろうか、という理由で口にしたのだと告げれば、黙られた。年齢的にもまだ自分たちは子供だ。ハロウィンの恩恵を受けるには十分資格があると思うのだが。
 やがて黙ったままスプーンが差し出されるので、受け取り、総士は遠慮なく頂こうとする。
「あ、そうだ総士」
「何だ?」
 すると今度は一騎がふと思いついたように総士を呼ぶ。何事かと顔を上げれば、合った視線の先で、不意に一騎がにやりと笑った。
 そして、
「trick or treat!」
 さあどうだ、と言わんばかりの顔に、
「ではこれを」
 しかし総士は冷静に先程受け取ったスプーンでプリンをひと匙すくうと、それをカウンターの向こうの一騎にと差し出した。するとすぐさまぱくりとそれは食べられてしまい、
「―――うん、美味い。あ、でも子供向けにもうちょっと甘くしても良かったかな」
「僕としては甘さ控えめな方が嬉しいんだが」
「って言うか、俺がやったお菓子をそのまま返すなんてずるいだろ」
 子供っぽくぷう、と頬を膨らませる一騎に、総士もひと匙プリンをすくって口に淹れる。甘い。だがカボチャの自然な甘みが生きた、甘いものがあまり得意ではない総士でも好ましいものに仕上がっている。
 そんな一騎プリンハロウィンエディションに舌鼓を打ちつつ、総士はカウンターの向こう側にいる一騎に尋ねる。
「お前は僕に悪戯がしたかったのか?」
 trick or treat.―――お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ?、と。
 その悪戯に関しては深く言及されていない。ただ、報復として許される範囲での、ということは言うまでもないが。
「え、あ、いや、それは……そのって、お前だって」
「僕は何も言っていないが?」
 一体悪戯、という言葉だけでどういう想像をしたのか。みるみる真っ赤に染まっていく一騎の顔に、総士はますます笑みを深めたのだった。


10月23日のSPARKでの無配SSでした。日本の伝統を守るという崇高な目的のある竜宮島にハロウィンはなさそうですが、こうやって代を重ねて行くごとに行事とか増えて行くといいなぁ、とか思ったり。いや、クリスマスくらいはあるだろうし、イースターだと敷居が高いし。

[2011年 11月 11日]