「今日ね、一騎と総士が学校?に行ってる間にね、史彦にトーゲイ?っての教えてもらったんだよ! なんか、こねこねしてね、くるくる回して、お皿とか作るんだよ。でもね、俺がやるとぐちゃぐちゃになっちゃうんだー」
 操の会話は基本的に擬音が多い。総士が言うには、総士の知識を有しているとは言え経験を伴わないものを自在に操れる程フェストゥムも器用ではない、ということらしい。なるほど、確かに授業中に辞書で難しい言葉を調べても、それが普通に喋っていて言葉に出てくるようなことはまずないな、と一騎は納得した。
「史彦は俺にザツネンが多いんだって言ってたんだけど、ザツネンって何? でも史彦がやってもぐにゃってなるのに、それはぐちゃぐちゃじゃなくてゲージュツって言うんだって。ゲージュツって難しいね一騎」
 ……それにしても最近、こういう話し方をよく聞くなあ、と思い浮かべれば、すぐにとある人物が脳裏に浮かぶ。
 それは弓子先生のところの美羽だ。真矢に連れられて楽園に来る彼女が、操と同じように擬音を多用して会話をしているのだ。
『みわね、ぼうしがびゅわーってなってまてーってしたんだよ。そしたらまやちゃんがぴゅーってとってくれたんだ』
『………』
 初めは彼女が何を言っているのか、一騎はその半分も理解できなかった。が、最近では難しく考えないでフィーリングで感じ取る、という技を覚えた…というより真矢にコツを教えてもらったのだ。例え人類には理解できない未知の無限数を用いた会話ができようとも、彼女はまだ2歳の女の子だ。別に難しいことを言っている訳ではないのだから、擬音が何を示しているかをほんのちょこっと考えればいい、と。
 しかも一度わかってしまうと、わざわざ小難しい単語を並べて話す総士よりも、むしろこっちの方がわかりやすいな、とさえ思う。
 ―――なので今もこうして、同じように擬音だらけで喋る操が言っていることの大半は理解できる、のだが。
「なあ、来主」
「ん、何? あ、そう言えば一騎もトーゲイやるんだっけ? 一騎のは史彦のよりゲージュツ的?」
「別に俺のは曲がったりしてなくて普通だ。……じゃなくて、俺が聞きたいのはそういうことじゃない」
「?」
 話す前から逸れそうになった話題をすぐさま軌道修正すると、操が首を傾げた。皆城総士の知識をベースにしている筈が、どうしてこうも子供っぽいのかそれも疑問に思いながら、
「どうしてお前は俺の父さんのことを『史彦』って呼び捨てにするんだ?」
 一騎はここ際気になって妙に気になっていたことを操にぶつけてみた。
 すると操はますますきょとん、と首を傾げて、
「え、変?」
 と聞き返してくる。変、と聞き返すことの方が一騎にとって変、なのだが。
「だって俺の父さんだ。呼び捨てはないだろ、普通」
 しかも下の名前で。昔馴染みの溝口でさえも呼ぶ時は『真壁』、だと言うのに。
「だって史彦は史彦だよ?」
「だからそれだよ、それ」
「えー」
 くりん、と首を傾げる方向を変えて、操は顎に人差し指を当てる。本当にわかっていないのだろうか。
 見た目の年齢は自分とそう変わらないぐらいの操にそんな呼び方をされると、何だか奇妙な感覚だ。
「一騎は怒っているの?」
「べ、別に起こっていない。ただ、ここんとこ妙にそれが何か気になるって言うか…」
 おぼろげだが、何となく操がアルヴィスを出て家にやってきてからだ。二年以上前、初めて出会った頃からそうだった筈なのに、今頃になってそれが妙に気になり始めたのだ。
 すると、
「それじゃあ逆に問うけど、一騎は史彦のことを史彦って呼ばないよね? あれは何で?」
 まさかそんな当たり前のことを尋ねられると思ってもおらず、一騎は動揺した。
「な、何でって、父さんは俺の父さんだからだ。自分の父親を呼び捨てになんてしない」
「じゃあ史彦は俺のトウサンじゃないから、俺はトウサンって呼べないよね」
「それはそうだけど、そういう時は……真壁のおじさん、とかおじさん、とか、一騎のとーちゃんとか…えっと…アルヴィスの中だと真壁司令、か…とにかくそういう風に呼ぶんだ」
 同級生の中でも聞き覚えのあるのはそのくらいか。だがアルヴィスの中に入ってしまえば史彦は司令官だ。一騎ですら、有事の際はそう呼ぶようにしている……何年経っても慣れないが。
 呼び方さえわかれば、操も今度からそう呼んでくれるだろうと一騎は考えた。しかし、操の反応はその一騎の期待の斜め上をいっていた。
「えー、でも『真壁』は史彦だけじゃないでしょ?」
「どういうことだ?」
「だって、一騎だって真壁っていう群れの一員だ。人間はそうやって昔から群れを受け継いでいるんでしょ? だから真壁は史彦を指す言葉じゃないじゃない。だったら史彦は史彦だし、一騎は一騎。それが正しいんじゃない?」
「群れって……」
 家族を群れの単位で示され、何だか野生の動物みたいだな、と思った。そう言えば操は以前、自分たちフェストゥムもミールを核とするいくつもの群れに分岐している、と言っていた。だとしたら、彼らにとって名字は群れを形成する単位の一つだと思われているのだろうか。
 そう言われればそうだと考えられるが、何となく違うような気もする。
(でも今はそういう難しく考えることじゃなくて、ただ単に呼び名を変えられないか、ってことで………)
「………」
 駄目だ。うまく言葉で表現できない。
 一騎は総士程弁が立つわけではない。どちらかと言えば口下手な方だ。こういう時この胸に抱えるもやもやとどう言葉で表現したらいのか、考え込むあまりに言葉に詰まってしまう。
「別に史彦はそんなこと何も言ってなかったよ? それに今まで何にも言わなかったのにいきなり言い出して、変なの、一騎」
「………」
 こういうところは皆城総士の知識、というのが生きているのだろうか。
 彼ら『フェストゥムの常識』を突きつけられて、すぐに一騎はそれを理解して答えを導き出せない。島に初めて操が訪れた時も、彼の言葉から総士の意図を見つけ出すまで酷く時間がかかった。
 これならよっぽど擬音で会話してくれた方がいいとさえ思った。
「あ、ところでさ、裏山にトーゲイでこねこねする土の採れる場所があるんでしょ? 一騎が知ってるって史彦が言ってたから、今度一緒に採りに行こうよ!」
「ああ、今度な……」
 一騎が黙ってしまったので、この話は終わりと思ったのだろう。何事もなかったように話題を変えてくる操に、一騎は後で総士に相談してみようと思った。何せ操は皆城総士の知識をベースに個として作られている。
 困った時は本人に聞くのが一番だ。何より総士は竜宮島にいて、もう一騎が望めばいつだって会うことができるのだから。



「今すぐに来主にそれを理解させるのは難しいだろうな」
 翌日、楽園を訪れた総士の開口一番の言葉はそれだった。だがそこでじゃあしょうがないなと納得してしまう訳にはいかない。それじゃあ何の為に総士の知恵を拝借しに来たのか意味がないではないか。
 ちなみに今操はここにはいない。アルヴィスに、彼のミールから送られてきた言葉を伝えに言っているのだ。それは他のフェストゥムの群れの情報であったり、ミール自身がここのミールに問いたいことであったりと様々で、時折あるそれが、彼がこの島に居続ける対価のようになっていた。
 もっともそんなものがなくとも、もう誰も操を敵として追い出そうとはしないだろうが。
「理解しなくても、せめて呼び方を変えるくらいできるだろ」
「難しいと思うぞ。彼らにとって僕たちの肉親との関係は、彼らのミールと彼ら自身の関係とは違うものだ。ミールは神であり、創造主であって、それを軸に血を分けた親子や先祖、子孫といった縦一列の関係は成り立たない。フェストゥムの群れとはミールが上位存在としてあり、その元にすべて平等な存在として彼らがいる集合的無意識のようなものだ。まあその中にいて来主は個を持った特殊な存在だが…」
「………」
「ま、まあ、ともかく、血を分けた肉親というものが存在しない彼らにとって、僕たちの親との関係は理解し難いものなんだ。しかもそれを第三者的目線で見た捉え方をしろ、と言っても難しいだろう」
 総士が何を言っているのかわからない、という顔をしていたら、簡潔にまとめてくれた。それでも十分小難しかったが。
「乙姫もそうだった」
 ふと、珍しくカレーではなくランチのドリアを食べながら総士が言った。
「自分以外は自分とすべて同列なんだろう。彼らにとってミール以外は何も分け隔てがなくて、すべてが平等というのが基本概念なんだ」
 何か昔を思い出しているのだろうか。総士の声がいつもより優しい気がした。
 そうだ、彼の妹の乙姫がそうだった、と一騎は思います。彼女は自分の親と同年代の大人たちをも操のように名前で呼び捨てにしていた。皆城乙姫は島のミールと等しい存在であり、神様のようなもの。彼女にとって島のすべては平等なのだ。
「でも来主は他のフェストゥムとは違うんだよな?」
「そうだな。ミールが不在で存在を望み、個を保ち続けた個体だ。今では自らのミールを離れ、別のミールの元で生活までしているくらいだ。特異点としては最上級だと思われる」
「それなら……絶対にないとは言えないよな?」
「随分とこだわるな」
「だって気になるんだ。前は何とも思わなかったけれど、最近何だか特に…」
 操にも言われたが、別に以前は何とも気にならなかった。それが最近になって気になり出しているのは一騎も自覚していることだ。
 その時だ。
「って、総士。何笑ってるんだよ」
 考え込んでいた視線をふと上げると、カウンターの向こう側でスプーンを持った総士が笑っているのに気が付いた。別に笑われるようなことをしている覚えのない一騎にとって、その反応は不本意だ。
「いや、すまない。別に悩んでいるお前が面白くて笑った訳ではないんだ。ただ、そうだな。少し嬉しくなったんだ」
「嬉しい? 何で来主のことで俺が悩むと総士が嬉しいんだ?」
 ますます意味がわからなくて思わず不満に眉根を寄せる。総士はいつもそうだ。勝手に納得して、それに対して何も説明がない。
 その不満を暗に匂わせれば、気付いた総士が苦笑した。
「僕たちには遺伝子レベルでフェストゥムとの融合がなされているが、それでも人間だ。しかし来主は生粋のフェストゥムで、人類にとっては敵と分類されるべく存在だ」
「敵って、そんな言い方」
「一般論での話だ。もちろんフェストゥムと対話をした竜宮島は、人類の一般論からは既に逸脱した存在なのかもしれないが……しかし、それでもフェストゥムが自分たちとは違うと誰もが認識しているだろう。だから互いの認識がずれていようが、気にしない。そういうものだと受け入れてしまう」
 けれども、と総士は口にして笑みを深めた。
「最近になって一騎は来主が大人たちのことを平気で呼び捨てにするのが、おかしいって気になり始めたんだろう? それまで彼らには彼らの理屈があって、それだから仕方ないと思っていた筈のことが。つまりそれは認識の変化だ」
「それって俺が来主のことをフェストゥムだって思わなくなっているってことか? そんでもって、総士はそれが嬉しいのか?」
「厳密的な意味は少し違うが、まあ、そういうことになる」
 確かにフェストゥムと言えば、金色の溶けた金属のようなのっぺりしたものだ。だが来主には人の体がある。厳密に言えば人ではなくフェストゥムの体なのだそうだが、見た目は大いに重要だ。しかしだからと言って、同じちゃぶ台を囲んで飯を食べている時、『今隣にいるこいつはフェストゥムなんだ』、だなんて考えることはない。
 むしろそんなことを考えている余裕がないくらい、操といると色んなことで忙しい、という理由もある。例えばそれは、一緒に寝たり風呂に入りたがったりすることであったり、食事はまだ箸がうまくつかえなくてぽろぽろ零すのを拭いてやったりすることであったり、お手伝いをすると言う割には逆にこっちの仕事が増えたりすることであったり―――と、とにかく世話をするだけでも忙しい。
 そんなのでは確かに操をフェストゥムだ、だなんて思う暇がない。
 いや、そうではない。暇だろうが暇じゃなかろうが、そこにいるのは来主操なのだ。初めて出会った頃は、確かにフェストゥムだと認識していた筈なのに、それがいつの間にかフェストゥムだとか、人間だとか、そういう区別がなくなっていた。
 彼はもう既に『来主操』という存在として一騎の中にある。
 それが総士の言う、認識の変化、ということなんだろうか。
「もっとも変化を得ているのは一騎だけではない。来主もまた、この島で生活するようになり以前の彼とは変わってきている。違うのだから当たり前だという固定概念に縛られてばかりでは、何も変わらない。それはお互いを知ることであり、交わることでもある。もっとも押し付けがましいばかりでは相手に不快感を与えてしまうだろうが」
「う…気を付ける」
 総士の言葉に、少ししつこく言い過ぎたかと思い反省する。確かにいきなり気になったから変えろ、というのは横暴だったかもしれない。操はまったく堪えた様子はなかったが、罪悪感は募った。
 今夜はその罪滅ぼしと言っては何だが、滅多に家では作らないが最近カレーに負けないくらい好きだと言っていたオムライスでも作ってやろうかと考える。食後のデザートにプリンかアイスも付けて。
「いつかその変化が広がって、僕らと彼らが再び見える時にお互いをよい方向へ導けると僕は考えている。その為に今は無駄だとは思っても、そういう対話も必要だ」
「だから総士は俺がそうやって来主に対して変わっていくのが嬉しいのか」
「ああ。それが僕が望んだ場所へと通じる可能性の一つであるからだ―――けれども一個人の感情としては、お前が来主を想い、彼に対して認識が特別に変化していく様に対し複雑に思うところもある」
「複雑…? 嬉しいのに、嬉しくないってことか?」
 それまで大層なことを朗々と語っていたくせに、急にちぐはぐなことを言い始める総士に、一騎は首を傾げた。すると総士はそんな一騎の顔をじっと見て、そしてあからさまに残念なため息をついて見せる。
「―――わからないのならいい」
 そうして言われた言葉に、一騎はむっとした。
「何だよ、それ。そんなわけわかんないの、言わなきゃわからないだろ」
 促しても、総士は頑なに言わないつもりらしい。何事もなかったように話している間に若干冷めてしまったドリアの残りを平らげ始める。
(来主が変わって、俺も変わって、総士は嬉しいけど、嬉しくない? なんだ、それ。全然意味がわからない)
 総士が黙ってしまったので、一騎は仕方なく食後のコーヒーを出す準備をし始めることにした。粉状に挽かれた豆をドリッパーにフィルターと共にセットして、静かに湯を注ぐ。すると湯を含んで粉が膨らみ、そして下に雫を落としてしぼんでいく。
 その様をじっと眺めながら一騎がぼんやりと総士の言っていたことを考えていると、
「だがそういうお前がここにいるからこそ、今の僕はここに在れる」
「?」
 不意に総士がぽつりとつぶやいた。けれどもぼんやりと考えごとをしていた一騎には、その音は聞き取れても、意味まではわからなかった。


自分が目指すところの過程に喜びつつ、嫉妬することは止められない。

[2011年 9月 15日]