「おい、総士」
「?」
 放課後、背後からかけられた珍しい声に総士は足を止めて振り返った。そこには現竜宮高等学校生徒会副会長、またの名を鬼軍曹こと……。
「カノンか」
 と、その愛犬であり相棒である犬のショコラだ。
「一騎は一緒ではないのか?」
 人のことを呼び止めておいてまず一騎のことを気にする、とは―――いや、それだけ自分と一騎はセットとして見られているのかと、総士はすぐさま自己完結した。
「一騎はバイトだ。一騎に用だったのか?」
「あ、いや、結果的にはそうなるが……今は総士に用がある」
「?」
「ちょっと待て」
 つまりは経過的には自分に、そして結果的には一騎に用があるということか。二人セットで用事とは一体何だろうかと総士が首を傾げると、カノンはしゃがみ込み、何やらがさがさと鞄の中を漁り始めた。
 それを総士とショコラは傍で覗き込みながら待つことしばし。
「用、というのは、何か一騎に渡す物でも?」
「そうだ」
「だったら直接、後で楽園に行けばいいのでは? 僕は今から楽園には寄らずアルヴィスへ行く。僕に渡すと夜まで一騎の手には渡らない。直接の方が早いぞ」
「いや、急ぎではないからいい。それに、直接はちょっと……」
「?」
 何故かカノンは言い澱む。
 何なんだ、一体。口に出して言えないようなものなのか。しかしそう言われると、逆に総士の中でむくむくと想像力が掻き立てられる。例えばそう……カノンらしからぬ『女の子的な』何かである可能性を一番に考えざるを得ない。
 カノンが一騎に好意を抱いているということは、二年前から総士も気付いていたことだ。いや、カノンだけではない。真矢も翔子もそうだった。一騎本人がまったくこういったことに頓着しないだけで、一騎は結構モテのだ。けれどもその天性の鈍さのおかげか、想いを寄せる誰一人その恋心に気付いてもらっていないのが現状だ。
 いや、ただ一人だけそれを成し遂げてしまった人物がいる。自分で言うのも何だか、自分だ。
 そんなわけで唯一成し遂げてしまったのが同性の自分だと後ろめたさが、総士の中にないわけではない。もちろんだからと言って、譲る気は今一度もなく、それ以上に遂げられた後悔もないのだが。
「―――あった、これだ」
 しかしそれはそれとして、もし『家庭科の授業で作ったクッキー』やら『愛をしたためた手紙』など渡されようなものなら、一体どうするべきかと無言でカノンの様子を見守っていると、がさがさと何やら色気のない紙袋を取り出して差し出してきた。
 鞄の一番底から出てきたのは何の変哲もない妙にくたびれた紙袋だった。そんな奥から出てくる物が菓子やプレゼントの筈はない……と勝手に決め付けて総士はその紙袋を受け取る。
 持った感じでは―――意外に重たい。カノンが手を離した時、一体何が入っているのか、何故かじゃらりと金属が重なる音がした。
「確かに預かった…だが何だこれは?」
 流石に気になって尋ねたが、
「一騎に渡せばわかる。色々あって渡しそびれていた、とな」
 教えてはくれないらしい。足元にいるショコラが紙袋の中身を気にしているように、何故か尻尾を振りながら総士を見上げていることも気になったが。
「それじゃあ頼んだぞ。必ず一騎に渡してくれ」
「わかった」
 絶対だぞ、と念を押され、相変わらず紙袋に後ろ髪を引かれるようなショコラを伴ってカノンは行ってしまった。その後ろ姿が廊下の角の向こうに見えなくなるまで見送って、改めて総士は己の手にある紙袋を眺める。
 あの様子ではどうやら、総士が想像したようなものではなさそうだ。大分くたびれた紙袋は、随分と渡しそびれていたのだろう。しわしわでよれよれになっている。しかも手作りお菓子などにしては、持った感じのずっしり感、そしてじゃらりと妙に重たい音等、男子の期待をすべて打ち砕く感が満載である。ただ逆に、いやむしろ中身が非常に気になるところだが……。
「…………」
 だが皆城総士という人間は、預かった他人の物を勝手に覗き見るような人間ではない。別に覗かずとも、一騎に渡す時にそれとなく聞けばいい。
 何、一騎のことだ。例え女子からの心の篭ったプレゼントだとしても一騎は渡された意味にも気付かずに開け、尚且つ中身が菓子ならば総士に嬉しそうにおすそ分けをしてくれるような、酷いまでに優しく、かつ鈍感な男なのだから。



「一騎、カノンから預かった物がある」
「俺に?」
 カノンに言ったように、結局一騎にあの紙袋を渡すことができたのは夜も更けた頃だった。
 夜はどちらかの部屋に集まって宿題や予習復習をするのが日課だ。今夜は総士の部屋に一騎が訪れている。さあでは始めようかと鞄を開けた時、あのよれよれの紙袋の存在を思い出した。
「何?」
 取り出す総士の手元を一騎が覗き込んでくる。その様子から、約束していたこと自体一騎も忘れていたことが伺える。ますますこれの中身が気になるところだが、一体……。
「さあ。一騎に渡せばわかると言ってい―――あ」
「あ」
「……!!!?」
 持ち上げた途端、びり、と嫌な音がした。そしてそれに続くじゃらん、ごとん、という一連の音が連なる。
 紙袋の底が抜けたのだ。あれだけよれよれだったのだから無理もないだろう、と言う筈の総士の口がしかし開かなかった。いや、開いてはいたが、それは目の前にお目見えしたものに対し、呆れとそれがそこに入っていて、尚且つカノンがそれを一騎に渡すに至った経緯の想像ができずに……あ然と開いたままの口だった。
「ああ、これか」
「!」
 しかしそんな総士を置いてきぼりに、一騎がそれを拾い上げる。一騎は驚いていない。むしろ実物を見たことで、何かを思い出したようだ。
「………一騎」
「なんだ?」
「なんだはこっちの台詞だ。何なんだ、これは」
「何って……」
 流石に不安に駆られて問い詰めた。自分が竜宮島を離れている最中に、何があったのか。まさか、まさか、知らない間に一騎がそんな嗜好に走ったのではないか、と……。

「何って、首輪、だよな?」

 それなのに、当の本人は総士の心配をよそに、けろっとした顔をして、しれっと答える。
「ショコラのお古の首輪だろ?」
「首輪なのは見ればわかる! 僕はそういうことを聞いてるんじゃない。僕が聞きたいのは、どうしてカノンがお前に首輪をプレゼントするに至った経緯が発生したかの具体的且つ詳細な理由をだな……!」
「ああ、そっか。そういや総士はいなかったっけ」
「?」
「いや、俺もあんまよく覚えてないんだけどさ―――…あれは確か」
 そう言って一騎が教えてくれたのは、カノンとの冗談のやりとりだった。視力の悪い一騎に対し、危なっかしいから首に縄でもつけて引いてやるとカノンが冗談で言ったらしい。
 あのカノンが冗談を言ったというのに総士は少なからず驚いたが、
「そういや俺も、頼むよ、とか何か言ったような」
「………」
「あいつ真面目だよな。俺はもうすっかり忘れてたけど」
「………」
 何と言うか、何と言っていいやらわからない。しかし、ただ一つ言えるのは…。
「一騎、あまりカノンをいじめるな」
「いじめ? 何で俺がカノンをいじめるんだ?」
 駄目だ。自覚がない。
 カノンも一騎への仕返しのつもりでこれを渡したかったのだろうが、仕返しどころかその意図にすら気付いていない。総士は後ろめたさよりも、むしろこの竜宮島最強の鈍感男に振り回される真面目なカノンに深く同情した。
「…って、おい。何をしている?」
 だがふと目に飛び込んできた光景に、総士は大いに慌てた。一騎が手にした首輪のカンを緩め、自らの首に嵌め始めたのだ。
「何って、サイズが合うか、試してる」
「お前……」
 本気か? いや、本気か。
 何だかもう色々指摘する気も萎えてきて、総士は一騎がショコラの首輪を自らに嵌めるのを、ただ黙って見守った。
 お古だというには、あまりくたびれた感のないそれは、赤い合皮に、銀色のカンと一円玉大のネームプレートがぶら下がっている。そしてご丁寧に―――散歩用のリード付きだ。
「ん、きつくないな。ちょっと緩いくらいだ」
「そうか」
 それ以外返す言葉が見つからない。しかしそんな困惑する総士の内心など気付く筈もなく、異様に似合う首輪姿の一騎は、首輪と皮膚の隙間に指を入れて加減などを確かめると、徐に、
「ん」
 そう、リードの輪を総士へと差し出してきた。散歩の時、飼い主が持つ方だ。
 その繋がった先にはもちろん、
「何だ」
「持てよ」
「何故だ」
「何故って、そういうもんだろ?」
「おい」
 ぐいぐいと押し付けられ、結局リードを持たされてしまう。確かに、そういうものだ。しかしこの場合、繋がれているものに問題がある。
 繋がった先には、一騎がいた。
「―――お前は僕に飼われたいのか?」
 思わずそんなことを口にしてしまった。言ってしまってから、なんて酷いことを言ったんだろうと思ったが、これではそう思わざるを得ない。一騎の行動は総士にとって不可解なことだらけだ。
 すると言われた一騎は、またもあの『何言ってんだ』、という呆れた顔をして、
「俺は犬じゃない」
 ああ、やっぱりてんで的外れだ。
「そんなことはわかっている! そうではなくて、この行動はそういう願望からなのか、と聞いているんだ」
 これはさっきのデジャヴか。何となくこれが一騎の手に渡るに至った経緯の状況が見えてくるようで、また深く深くカノンに同情した。
「そういう願望っていうのがよくわかんないんだけど……こうしてれば、一緒にいられるだろ」
「別にこんなものなくたって一緒にいるだろう」
「いるけど。具体的に視覚化されるっていうか、目に見えるってのも何て言うか……」
 うーん、と首輪をしたままの一騎が唸る。ちらりと考えるように視線を逸らすが、すぐに何か思い付いたように総士を見た。その手が、つぅっと首輪から総士の手にと伸びるリードを滑るように辿る。辿れば、当然のようにそこには総士の手がある。最終的に総士の手に指先を触れさせて一騎の手は止まり、
「―――安心するだろ」
 気付けば一騎は目を閉じていた。その行為はまるで、視力がどんどん悪くなって彼の目から光を奪っていた時の彼を思い出す。
 しかし目を閉じていては視覚化も意味はない。どちらかと言えば繋がりの物質化、とでも言った方がいいような気がした。
 だがそれも無意味だ。物質化されたものは物理的に切り離すことが可能である。ましてやお古の犬のリード。頼るにはそれは、あまりに脆い。
「それだったら、首輪を付けられるべきは僕の方じゃないのか?」
「別に総士には必要ないだろ」
「何故だ。もしかしたら…もしかしたらだ。僕はまた、お前の前からいなくなってしまうかもしれないのに?」
 過去の経歴から言えば、どちらもどちらだ。あの時の自分を思えば、一騎に首輪を嵌めたかったかもしれないし、今の一騎を思えば、自分に首輪を嵌めたいと思うかもしれない。
 まあもちろん、そのどちらにしてももしも、の話だ。友人の首に首輪とリードを付けたいだなんて馬鹿げている。
 しかし一騎はそう思わないのだろうか。
「総士はいなくなるのか?」
「絶対ない、とは言えない。だが、そのつもりはない」
「うん。それじゃあ別に心配ないし、総士に首輪もいらない」
「………」
 だからと言って一騎に首輪を付ける、というのもまたおかしい。何だかここだけ聞いていると随分と語弊があるようだが、別に自分だって首に縄をつけてまで四六時中一騎をあちこち引っ張って回りたい訳ではないのだ。むしろする、と思われている方が心外だ。
 総士ははあ、とため息を吐き、一騎を見た。
 似合いすぎて怖いくらいの首輪姿に、呆れとはまた別の感情が湧きあがらないと言えば嘘になるが。
「じゃあ聞く。もし僕がお前に首輪をつけるとして、僕がそのリードを離したら、お前はもうそれ以上僕についてこないつもりか?」
「そんなことあるわけないだろ」
「だったら必要ないだろ、どっちの首にも」
 つまりは、どちらにとっても不必要ということが言いたかった。というかつまりも何も、必要ないものだ。大体冗談から始まった話だ。もしこれも一騎なりの冗談だったとしら、これほど笑えない冗談もあったものじゃあないが。
 それこそカノンに同情以上の感情を抱きそうだ。
「あ、そっか」
 だがそれでようやく一騎はわかってくれたらしい。思わず安堵とどっと沸いた疲れに、はあ、とため息を吐く。
 そうだ。縛る鎖なんて必要ない。
 言葉を交わし、触れ、お互いを理解し合うことで得る絆に勝る繋がりはない。
 だから今、自分はここにいる。
 一騎のいる場所に。
 もうずっと、ここが自分のいるべき場所だと知っているのだから。
「じゃあこれどうしようか」
「犬を飼っているわけではあるまいし、カノンに返したらどうだ」
「そうだな……」
 話は解決したというのに、依然として一騎は首輪を外そうとはしない。何度も言うが、一騎に首輪という組み合わせが恐ろしい程によく合っているので、総士としては理性として早く外してもらいたかった。
 そういう趣向は自分にはないと、そう確信する為にも。
「あ、そういや、総士昔こういうのしてたよな」
 いきなり何かを思い出したように一騎が言う。何のことを言っているのかと総士は眉をしかめたが、すぐに何を指しているのか気が付き、だがそれを否定した。
「……あれは首輪じゃなくてチョーカーだ」
 首輪とチョーカー、大いに違う。
「え、同じだろ?」
 だが一騎にしてみれば、首するわっかだろ、と同義にされているらしい。確かに『首にするわっか』と言われればそれまでだ。しかし『犬の首輪』とは言っても、『犬のチョーカー』とは言わない。まったくの別物なのだ。
「首輪は繋ぐ為、チョーカーは装飾品として、嵌める目的が違うだろう。一緒にするな」
「同じだと思ってた…でもだとするともしかして、総士は首輪も似合うのか? なあ、やっぱちょっとこれ、総士も付けてみろよ。絶対俺より似合うから」
「断じて断る!」
「そう言うなって、試してみるだけだから、ほら」
「ちょ、一騎、こら、やめろ…!」
 それまでまるで気に入っているかのように外さなかった首輪をあっさり外して、今度は総士に着けようとその手が伸びてくる。だが恐らくお前より似合うことはないと思いつつ、絶対に嵌められてなるものかと、総士は全力でその手から逃れるのだった。


スパコミの無料配布でした。このカノンの首輪ネタをいつか総一に…!と思い続けてようやく形にしたら、一総になりかけた…(笑)

[2011年 6月 3日]