「なんか風呂場に見たことないシャンプーがあったけど、あれって総士のか?」
 真壁家に総士が居候するようになって一週間が過ぎようとした頃だ。
 いつものように風呂を入れに行った一騎は、つい昨日まで見なかった一対のボトルを見つけた。基本、家で使う日用品の買い出しは父ではなく一騎の担当だ。だから家中のありとあらゆるものを一騎は把握しており、見慣れないものはすぐに目に留まった。
 すると父が不在の代わりに皿洗いを買って出た総士は、両手を泡まみれにしながら頷いた。
「ああ、僕のだ。今日アルヴィスの売店で買って、置かせてもらった」
「シャンプーなら家にもあるだろ?」
 その隣に立ち、泡を流され水切り籠に入れられた濡れた皿を布巾で拭きつつ、一騎は聞く。一騎にしてみれば、ある物を使わない、という考え方自体がわからなかった。もったいないではないか、と。
 すると総士は、
「髪質の問題だ」
 と言う。
「かみしつ?」
「僕と一騎の髪は見た目も手触りも違うだろう? 一騎たちの使っているシャンプーだと、僕の髪はごわごわになって朝起きた時に絡まってしまうんだ」
 髪が違う、と言われ、一騎は隣に立つ総士の髪を見た。
 総士の髪はその柔らかな鳶色をした見た目通り、一騎の寝癖がつかないほど頑固な直毛とは違って、手触りもとてもしなやかで柔らかい。一騎もそんな総士の髪が好きだった。確かにそう言われれば一騎と総士の髪はまったく違うのだと気付く。けれどもそれは他の誰にも当てはまることだ。
 一番剛毛そうなのは剣司だ。そう言えばカノンは島にきた時は硬そうな髪をしていたが、最近は髪を伸ばしていて、さらさらしている。真矢の髪は遠見先生に似て、柔らかそうだ…もちろん、女子の髪なんて触ったこともないが。
 けれどもその中のイメージとして、そして唯一触ったことのある他人の髪の毛として、その中でも総士の長い髪は一番手触りがいい気がする。いや、比べるのはあくまで想像だ。想像だけど、なんとなくそれが最上だと思ってしまう。
 それがまさか、アルヴィス製の特殊なシャンプーによって保たれているなんて。
「すごいなアルヴィス…!」
「何がどうすごくて感心してるのか知らないが、アルヴィスがすごいのは今更だな」
 あのさらさらで触ると気持ちいい総士の髪を、極上のコンディションに保つシャンプーだ。きっとファフナー張りに最新技術が用いられているのだろう―――と一騎は勝手に考えて勝手に納得した。
 なるほど、確かにそれじゃあ一騎と父が以前からもうずって使っている、毎日お買い得価格リンスインシャンプー詰め替え198円じゃあ駄目な筈だ。何せちらりと見たところ、『リンス』が『イン』じゃなかった。シャンプーの他に別のボトルがあって、そこには一騎が見たこともない『コンディショナー』という文字があったが、あれがさらさらの秘訣なんだろうか。
 ちなみに毎日、と言ったが、夏の暑い時だけは使うと頭がスースーする特別なのを父親が買ってきて使っていた。今思えばあれもアルヴィスの技術が集約しているのだろうか。
「………」
「どうしてそんなに考え込む必要があるんだ…そんな訳で、洗い場に置かせて貰うからな。事後承諾で悪いが」
 もちろん構わない。むしろ自分の為に、あの素晴らしい髪は維持してもらいたいものだ。
 しかしふと、一騎はあることを思い付いた。思い付いた、というよりはむくむくとわき上がってきたと言った方がいい。
「―――あ、それじゃあ、さ…」
「なんだ?」
「今日さ、俺も総士の使ってみてもいいか?」
 そのわき上がった興味を口に出すことをやめられなかった。
 すると総士は不思議そうに首を傾げながらも、構わないが、と頷く。
「しかし僕のシャンプーじゃあ一騎の髪質には合わないかもしれないぞ?」
「そんなの、別に一回使ったくらい大丈夫だろ?」
「まあ…一回で劇的な変化をもたらすことはないだろうが」
「だったら、な?」
 いくら一騎でも、たった一回使ったくらいで総士みたいな髪になれるとは思っていない。そもそも生まれ持ったものが違うことくらい、一騎もわかる。
 ―――あるのはただ、総士が使っているものと同じ物を使ってみたいという、純粋な興味だ。そしていつもいい匂いのする総士の髪と同じ香りを纏ってみたいという、何とも不純な動機もあるのだが。
 しかしそんな一騎の思惑に気付く筈もなく、総士はあっさりとわかった、と頷いて見せた。
「そうまで言うなら」
「やった。じゃ、後で早速使ってみる」
「先にシャンプーを使って洗い流してから、コンディショナーを使うんだぞ。けして両方を混ぜて使うな。あとわからなければちゃんと裏の説明も読め」
「わかったって」
 ただ髪を洗うくらいで大事だ。しかし総士と同じ物を自分も使える。それが妙に嬉しくて、一騎はうきうきとしてくる心とにやにやしてくる顔を総士に変に思われないように平然とするのが大変だった。


 ―――一騎が風呂に行って、既に30分は経過していた。
 普段だったら15分足らずで出てくる筈の彼が未だ出てこないことに、総士がだんだんと言われない不安を感じ始める頃である。
 そもそも、
(まさかコンディショナーの存在を知らないなんて)
 ということ自体が驚きだった。いや、父子家庭でしかも父親があの真壁史彦であったらわからなくもない、と妙に納得もしてしまう(それを言えば総士も父子家庭なのだが、総士の場合髪質が母親に似たらしく、必要に迫られての選択だったが)。
 それにしても遅い。一度様子を見に行った方がいいのではないだろうか。そう考えて総士が腰を浮かしかけた、その時。
「一騎?」
 そろり、と風呂場へ向かう廊下に繋がる襖が開き、その向こうに一騎が立っていた。Tシャツにハーフパンツといういつもの風呂上がりの出で立ちで、首からタオルをかけている様はやはり親子だな…と思ってしまう。
「随分と長風呂だったな」
「あ、ああ」
「?」
 浮かしかけた腰を再び下ろす総士だが、一騎がその場から動かないことを不思議に思って首を傾げた。
「僕のシャンプー、ちゃんと使えたか?」
「ああ」
「コンディショナーの使い方はわかったか?」
「ああ……ちゃんと裏側読んだ」
「じゃあ何で入ってこっちに来ないんだ?」
「………」
 返されるは無言。しかも一向に入って来ない一騎に業を煮やし、総士は立ち上がって一騎の方へと歩み寄った。すると一騎は僅かに体を引くが、逃げはしない。
「一体何なんだ」
 そもそも総士のシャンプーを使いたがったのは一騎であり、それに文句を言われる筋合いはないのだ。一騎の態度についつい口調を強めてしまって詰め寄ると、逃げない一騎のやや俯いた顔が、何故だか赤く染まっていることに気が付いた。しっかり立っている一騎が上せている様子はないが、風呂上がりに上気する頬とはまた違うような気がした。
「一騎―――?」
「……そ、総士の」
「僕の?」
 するとぼそっと一騎がようやく口を開く。が、開いたその口は、総士が思いも寄らないことを口にした。

「じ、自分から総士の匂いがして…何だか落ち着かない」

「………」
 こういう時、どんな反応をすればいいのか、総士は一瞬判断に迷った。
 一騎は恐らく、ちょっとでも動くと髪が揺れ、そこから香るシャンプーの匂いに困惑しているのだろう。だから近付こうとも逃げようともしないのか。シャンプーの匂いを、イコール総士の匂いだと感じて。
 則ちそれは―――…。
「一騎」
「総士?」
 名前だけを呼んで、総士は一騎の腕を掴むとぐいぐいと2階へと引っ張って上がっていく。
「ほら、入れ」
「わ」
 そしてそのまま連れ込んだのは総士の部屋の方だ。総士の部屋、と言っても廊下を挟んで一騎の部屋とは反対側にある、同じく畳敷きの部屋だ。椅子と机と本棚、布団は押し入れから毎晩出し入れしているのも同じだ。それでもここが総士の部屋だ。竜宮島に帰ってきた自分の居場所の一つである。
 ということは、つまり。
「これで少しはマシになったんじゃないか?」
「? ―――あ」
 言われ、はっとした一騎が部屋の中を見渡した。
「総士の匂い、だ」
「僕の部屋だからな」
「うん」
 頷き、すんすんと一騎が犬のように鼻を鳴らして部屋の匂いを嗅ぐのに、何だか気恥ずかしい思いをさせられる。
「か、乾けば多少香りも落ち着く」
「じゃあそれまでここにいれば大丈夫だな」
「………」
「?」
 それまでここにいるのか。はあ、と総士はため息を吐き出した。一騎は何の事だかわかっていないようだ。
(そもそも、一騎が自分から使いたいと言い出して、そのくせ僕の匂いがするってあんな…大体僕のシャンプーを使えば当然の……)
「僕と同じ匂いにしたかったのか?」
「!」
 ぼん、と爆発するような音が聞こえたような気がした。
 思えば、一騎がこういうものに興味を持つこと自体が不自然というか、違和感の正体なのだ。かあ、と赤くなった一騎を見て、総士はもう一度ため息を吐き出す。
 そして、
「―――一騎」
「何―――…!?」
 呼んで、今度は腕を引っ張るとその場で胸に引き寄せた。普段の運動神経の良さはどこへやら、バランスを崩した一騎をあっさり懐に引き入れてその髪に顔の下半分を埋める。
「僕のシャンプーの匂いがする、な」
「っ、そ、総士のシャンプーを使ったから当たり前、だろ…」
「ああ、当たり前だな」
「………っっ」
 呟いて、頬を髪に擦り付けてすんすんと一騎がしたように真似て鼻を鳴らす。もしかしなくても仕返しだ。それがまんまとわかったのか、ぎくりと体を固くした一騎はしがみついた手に力を込めていたが、やがてこちらの首筋に埋める位置となった顔からゆるゆると吐息を吐き出し、しばらくの後、力を抜いてぐったりと身を任せてきた。
 そう、わかればいい、いいんだ。だから。
「でも僕は一騎からは一騎の匂いがするのが一番いい」
「!」
「だから僕の匂いは僕で我慢しておけ」
 まあそんな釘を刺さずとも、二度とあんなことは言い出さないとは思うのだが。
「…う…わかっ、た……」
 ぐり、と肩に額を擦り付けて呟く一騎に、総士は顔を見られていないのをいいことに、ひっそりと笑って自分と同じ匂いに染まった髪にキスをした。


好きな子の真似をしたいアレです。総士はラッ○スとかパン○ーンのイメージですが、一騎はメ○ットだよなあ(笑)

[2011年 4月 3日]