お父さんとお母さんのを覗いちゃった的な…(殴)例によって続く。
[2011年 3月 21日]
「一騎、一騎は総士にいじめられてるの?」 「…………はあ?」 開口一番何を言い出すのかと、一騎は鍋を掻き回す手は止めずに、眉だけをひそめた。 「何を言ってるんだ、来主」 「だから、一騎は総士にいじめられてるの?って」 まだまだ人間の言葉には不自由な彼だ。何か言い回しを間違って、そんな意味不明な質問になっているのではないかと思ったが、そうではないらしい。 そうなれば、一騎の答えは決まっている。 「別に総士にいじめられたことなんてない」 いじめられたこともなければ、いじめたこともない。例の四年間は避けていたこともあったが、厳密に言えばあれはいじめじゃあないだろう。最近に至っては論外だ。 しかし、操は、 「一騎嘘ついてる」 当の本人がそう言っているというのに何故そう考えるのか。 そもそも、 「何で俺がお前に嘘つく必要があるんだ」 ―――ということで。 ちなみに今二人がいるのは真壁家の台所だ。夕飯の支度をする一騎を、操がどうしても手伝いと言うので、蒸したジャガ芋をポテトマッシャーで潰す作業を任せている。後は軽く塩揉みした輪切りのキュウリの水気を切り、玉ねぎのスライスと一緒にマヨネーズと合えればポテトサラダの完成だ。メインはポテトサラダに使った玉ねぎの残りと豚の薄切り肉で、しょうが焼を予定している。 今日は総士も史彦も帰ってくるので人数も多く、操もいることで賑やかな食卓になるだろう。ちょっと前まで親子二人で、まるで会話もなくとっていた食卓が嘘のようだ。けれどもそれが嫌だとは思わず、むしろ最近では楽しみにすら考え始めた一騎にとって、この操の意味不明な指摘は予想外なものだった。 「だって俺見たもん」 「見た? 何を見たんだ?」 「総士が一騎をいじめてる現場だよ!」 「??」 ますますもって意味不明だ。身に覚えがない。 皮を剥いた玉ねぎを薄切りにしながら首を傾げる一騎に、操は、 「だって昨日!」 言われ、昨日、と一騎は昨日の自分の行動を省みる。 「アルヴィスで!」 アルヴィス…うん、確かにアルヴィスにいた。 「総士の部屋で!」 総士の…部屋で…ああ、確かに総士の部屋に行ったな。弁当を届けに行ったんだ。 だがしかし、問題は、そこで、何を、していたのか、というと―――…。 「総士がベッドの上で一騎を泣かせてたんだよ!」 「!!! いっ…!」 「一騎?」 操の放った言葉と同時に思い当たる節が突如として脳裏に浮かび上がり、驚いた一騎は思わず手にしていた包丁で指先を切ってしまう。料理をしていて包丁で指を怪我したなんて何年ぶりだろう。視力に不自由していた時ですら、手を切ったこともなかったのに。 しかしそのショックよりも、違う大きなショックが一騎を襲う。 「一騎、大丈夫? ケガしたの?」 「あ、ああ、だ、だだだ大丈夫だ……」 溢れ出す動揺を悟られたくなくて、一騎は引きつった笑いを浮かべながら指先にできた小さな傷を口に含んだ。ちり、と舌の先を刺す血の鉄臭い味に、しかし動揺は収まらない。なぜならこの時、一騎の頭の中ではフラッシュバックのごとく昨日の出来事が駆け巡っていたのだから。 確かに昨日、一騎はアルヴィスの総士の部屋を訪れた。学校が休みだというのにアルヴィスに詰め仕事をする総士に、楽園の昼休憩を利用して弁当を届けに行ったのだ。そこまではよかった。一騎の予定通りだった。 ただしその後が―――…。 『一騎……』 『ちょ、駄目だって…まだ昼間だろ?』 『夜だとおじさんも来主もいる。それに』 『それに?』 『最近一騎に触れてなくて気がどうにかなりそうなんだ』 『………!』 そんなことをあの顔で言って迫られると、一騎は一切、何も抵抗ができない。そして何よりも、一騎も同様、総士に触れられない期間の長さに同じ欲求を抱いていたのだから拒み切るのは不可能だった。 つまり、そういうことだ。けんかもしていないし、いじめられたわけでもない。むしろ仲がいいからこその『あれ』で『それ』なことを、操は何故だか見ていて、そして間違ったベクトルへと勘違い爆進しているのだ。 「一騎、今焦ってる? 動揺してるの?」 「お、俺の心を読んだのか!?」 一連の流れで思わず『あれ』で『それ』なことまで詳細に思い出していた一騎は、そんなところまで一緒に操に思考を読まれたんじゃないかと思い、ますます焦った。 しかし操はぶんぶん、と頭を左右に振って、 「総士がめったやたら人間の思考を読んじゃ駄目だって言うから、今は読んでないよ」 「そ、そうか」 根気よく言い聞かせた総士の教育の賜物か。 (いや、元はと言えば総士が…いやいや、この場合自分も同罪か…) いや、それにしたって大体、何であの現場を操に見られていたのか。慎重派な総士のことだ。鍵をかけ忘れていたなんてことはあり得ない。そもそも人の気配がしたら自分が先に気付いて……。 (あ、いや、でも最中はそんな余裕ないかも……って、そういうことじゃなくて!) 見られてしまったのを今更どうこう言っても仕方がない。重要なのは、この操の勘違いをどうやって訂正し、正しく理解させるのか、だ。総士はまだ帰って来ない。ここは何とかして自分一人の力でこの場を納めなければ。 一騎はちゅ、と強めに指先を吸って傷口から血がもう出てないことを確かめると、ごほん、としたこともないわざとらしい咳払いをしてみせる。そして手には半分切りかけの玉ねぎを持って、真剣な顔で操を向き合った。 「い、いいか、来主。あれは―――あれはいじめなんかじゃない」 ひとまず大前提はそこだ。何故操が見ていたことも重要だが、見られてしまった以上、その誤解を解くことの方が重要だ。しかしそれには、何がどうして、そのように操を誤解させたのかがわからなければ始まらない(そもそも、他人の目にあの行為自体がどう映るのか一騎には想像できないのだ)。 すると操は、 「でも一騎泣いてたよ? 人間は悲しいと泣くんじゃないの?」 「!」 それを聞いて、一騎ははっとした。 操は人の形を保っているとは言え、その本質はフェストゥムだ。フェストゥムは人の心を読む。しかし読むことはできても理解することは難しいのだと彼は言っていた。まだまだ人間の言葉にも感情にも不自由な彼には、自分たちにとっては当たり前のことでも、疑問や誤解になりうるのだと。 操は勘違いしている。そしてそれは知らないからだ。 ならば話は簡単だ。 「来主、人間が泣くのは悲しい時だけじゃない。嬉しい時だって泣くんだぞ」 「嬉しくても泣くの?」 「そうだ」 総士ならもっとうまく説明できると思うが、それだけでも十分伝わると思った。青い空が綺麗だと思った彼ならば、喜びに感極まって流れる涙の意味も理解できる筈だ、と―――…。 「じゃあ一騎は総士にいじめられて嬉しかったの?」 「!! そ、それは…」 しかし予想に反して、思わぬ反応が返ってきて一騎はうろたえた。 確かに今の一騎の説明だと、操の理解の仕方に間違いはない。そもそも操に教えないといけないのは『悲しくなくても人間は泣く』ではなく、『総士は別に一騎をいじめていたわけではない』ということを、一騎は今更ながらに思い出した。 じゃあそれを何と説明する? 自分たちがしていた行為の意味を、正しく操に説明できるのか? ―――できるわけがない。 そもそも一騎には、自分たちがしていたのが何なのかを説明ができない。エッチ、セックス、性交―――言葉で示すことができても、そのものが説明できない。馬鹿正直に説明して、今みたいに突き刺さるほどまっすぐに質問で返されたら、二度と何も操に言えなくなってしまうような気がした。 「一騎? 困ってる?」 「こ、心を読んだのか!?」 「顔見ればわかるって」 「………」 だらだら、と暑くもないのに背中にかく汗は、何故か冷たかった。 「よし、わかったよ」 そうして一騎が何も言えないまま時間ばかりが過ぎて行くと、不意に操が拳を握り締めて意気込んだ。 「な、何がわかったんだ?」 「一騎が言いづらいなら、僕から総士に言ってあげる」 「何を」 「これ以上一騎をいじめないで!って」 「………」 これにはもう、口を閉ざすしかない。いや、これ以上自分は何も言ってはいけないと理解できただけ、一騎にとっては大した進歩だ。まあもっとも、これ以上何を言っても墓穴を掘るしかない一騎にとっては、もう何も言うべき言葉が見つからない、と言う方が正しかったが。 そもそも言葉下手な自分が誰かを言葉で説得しようとか、そういう時点で無理があったのだ。人には適材適所というものがある。 だからこそ、ここは。 「俺頑張るよ? 総士も一騎も大好きだから、大好きな二人が仲良くしてくれないと俺も悲しいもん」 「く、来主は優しいんだな…はは」 「えへへ」 こーいうのは総士に任せよう―――それが適材適所だ。 そして総士ならきっと何とかしてくれると、一騎はすべてを丸投げし、残していた生姜焼きの支度にとりかかるのだった。
お父さんとお母さんのを覗いちゃった的な…(殴)例によって続く。
[2011年 3月 21日]