引き続き帰島後編、でしょうか。そしてうっかり続いてます。
[2011年 3月 3日]
島を出て、自分の中での意識が変わった。いや、変わったというより気付けなかったことに気付かされた、といった方が正しいのかもしれない。 知らなかった総士の気持ち、痛み、ただ過去を恐れて、逃げて、それらを正面から向かい合わなかった自分。けれども今なら少しわかる。まだ全部はわからないけれど、これからもっと、きっと、わかっていくのだろう。今はただ、総士のことをもっと知りたいし、教えてほしかった。 それはどんなことでも―――…。 「大丈夫か、一騎」 「…っ、ごめ…いつまでもこんなこと」 「いい。僕は大丈夫だ」 日々激化する戦闘。ここ数日のフェストゥムによる侵攻は苛烈するばかりだ。一度に十体を相手にするような戦闘も稀ではなく、いくら仲間と共に出撃すると言っても、機体性能の面でも、パイロットの適性面においても他の誰より上をいく一騎の負担が大きいことは明白だ。しかし一騎の持ち帰ったザインの性能は圧倒的であり、数に苦戦はすれど、力で押し負けるようなことはなかった。だがそれが一騎自身の体への負担が増すのは明らかだった。 それでもファフナーに乗らなければならない。島を守る為、平和を取り戻す為に―――けれどもその度に総士の手を汚すのには、相変わらず酷い罪悪感に苛まれた。 「お前が戦って、生きている証だ。―――何も悪いことじゃない」 「っ、あ、くぅ……んんっ!」 優しく諭すような声で言われた瞬間、腰がぶるりと震え、総士の手の中に精をほとばしらせていた。まだ始めて数分もたっていないのに。 「……早い、な」 「!」 総士も驚いたのか、思わずそんな言葉が出たのだろう。どれだけ仕方のないことだと言われても、無性に恥ずかしくなってくる。 しかも、それなのに……。 「…?…」 一騎は己の体の異変に気が付いた。今一度吐き出したばかりだというのに、一向に体の高ぶりが落ち着く様子がないのだ。今までなら、総士の手で一度出してもらえば落ち着いていた。けれどもどうだ。未だ体の芯に熱が燻っているのがわかる。 「!」 その時、不意にぞくぞくっと腰椎の辺りに震えが走った。駄目だ、と思って一騎は体に力を入れるが、そんな一騎の意志に反して体は再び高ぶり始める。 「……一騎?」 するといつものよう、一騎の放ったもので汚れた手を洗っていた総士が、背後での一騎の異変に気が付いてしまった。 「どうした、大丈夫か?」 「な、何でもない…」 「何でもないことないだろう」 咄嗟にどうにかごまかそうとしたが、声が上ずってしまい失敗に終わる。それでも一騎の様子を不審に思って近寄ってくる総士から逃れようと、一騎は立ち上がり、更衣室から出て行こうとした…が、足に力が入らず、その場にへなへなと座り込んでしまう。 自分の体に一体何が起こっているのかわからない。今までとは違う。これもまた、ザインに乗ることでもたらされる影響なのか。 「一騎、大丈夫か」 「………っっ」 「一騎?」 傍に同じく膝をついてしゃがみ込んだ総士の手が、気遣うように一騎の肩に触れる。その瞬間思わずびくっと小さく震えてしまって、慌てて総士がその手を離した。けれども総士が触れた場所に、すぐに手は離れたというのに未だ熱が残っている。そしてそれはじわりと広がり、やがて一騎の体の中心へと集まっていって―――。 「一騎、お前…」 それでもどうにかやり過ごせないかと、じっと動きを止めたままへたり込んでいる一騎に、総士の方が先にその理由に気が付いてしまった。こうなるともう、ごまかすことは不可能だ。ごまかす精神的余裕も、既に一騎にはないのだが。 一騎は恐る恐る視線を上げ、傍にいる総士を見上げた。 「そ、総士にしてもらったばっかなのに、治らないんだ」 言っていて情けなくなってくる。目の端に滲むそれは、そんな情けなさからか、それとも別の要因か。一度出したそれは既に萎えていたが、また緩やかに血液を集めつつある。どうにか意識を反らそうと試みるが、傍に総士が傍にいると考えるだけで気が散ってどうにもならない。 「俺、変だ…どうしよう」 今までとは違う体の変化に、心がついていかない。縋るように傍らに膝をつく総士を見上げると、彼もまた、酷く困惑した顔をしていた。当たり前だ。ただでさえあんなことに手を貸してやっているのに、それだけじゃ足りないと言われて困惑しない筈がない。 今度こそ総士に軽蔑される、と一騎は恐れていた現実に泣きたくなった。 だが、総士は、 「――-ここは誰か来るかもしれない。ひとまず僕の部屋に行こう」 それは一騎も思ってもみない総士の反応だった。 「え?」 「歩けるか?」 「あ、う、うん…」 唖然とする一騎の腕を掴み、立ち上がらせてくれる。そしてそれ以上何も体の状態については触れられないまま、総士に腕を引かれるようにしてロッカールームを出た。 「――-遠見先生には検査に少し遅れることを伝えておいた」 「あ、ありがとう」 パイロットの戦闘後のメディカルチェックは必須だ。だがこのままではとても行くことができない一騎の為に、総士が遠見先生に連絡をしてくれた。何て言って遅れることを伝えたのか気になったが、総士ならきっとうまいこと言ってくれただろうと信じることにした。 「………」 「………」 そこまでは、いつもの総士だった。思えばここに連れてきてくれる時も普段の総士のままだった。それなのに今はどうだ。どっちもどっちで、この状況をどうしたらいいのかとただ黙ってしまう。それからは非常に気まずい、奇妙な沈黙がお互いの間を支配した。 だが依然一騎の体は熱に燻ったまま、収まる気配がない。 ここに来るまでにもしかしたら収まるかも、という淡い期待はあったのに、総士に掴まれている手首が熱くて、それを総士に気付かれやしないかとはらはらするだけに終わってしまった。むしろ総士に触られると余計酷くなるような気がして、けれども掴んで引っ張る腕を振り払うこともできなかった。 そして総士の部屋まで来てしまった。これでは総士をただ、悪戯に困らせているだけだ。 (お、俺だって別に総士を困らせたいワケじゃ…むしろ俺だって困ってるって言うか…) 「か、一騎」 「! な、何?」 急に呼ばれて驚いた。体が跳ねた時にぎしりと軋んだベッドに何故かどきりとしていると、それまで壁の方を向いていた総士はベッドの縁に腰を下ろす一騎の前に立ち、ちらりと一騎を見て尋ねた。 「まだ…その、体は収まらないか?」 「あ、う、うん…まだ、駄目みたい…」 どう答えたらいいのかわからず、何だかまるで他人事のような言い方になってしまう。するとそうか、と呟いて、総士が細くため息を吐き出した。そんなため息を吐き出したい気持ちはよくわかるのに、どうしてだか悲しい気持ちになる。 どう考えてみても総士には迷惑をかけている。そんなこと百も承知だ。いつもだって迷惑をかけているのに、その迷惑だけでは済まされない状況になるなんて。ただし本当にザインが原因ならば恥ずかしがっている場合じゃなくて、遠見先生に素直に症状を言って、薬でも処方してもらった方がいいような気もしてくる。 それなのに―――…。 「この部屋を使ってくれて構わないから、その、僕はラウンジにいる。終わったら声をかけて―――…」 「そ、総士!」 「!」 気を利かせてくれたのだろう。つまりは自分で処理をしてくれ、ということだ。当たり前だ。正しい判断だと思う。 だがそうやって踵を返して部屋を出て行こうとする総士に対し、一騎は咄嗟に手を伸ばしてその手首を掴んでしまった。自分の手が汗ばむほどに熱いのに気が付いている。それなのに、掴んだ総士の手もそれに負けないくらい熱かった。 「……だ、駄目なんだ」 異様に喉がからからなのに、ごくん、と何故かつばを飲み込むみたいに息を飲み込んで、一騎は言葉を紡ぐ。 「な、何が駄目なんだ?」 「そ、総士にしてもらってから、いつも総士に迷惑かけたくないって、その、自分でやろうとしたこともあったんだけど」 「だ、だけど?」 何を曝露しているんだと、頭の隅では妙に冷静な自分がいる。それなのにそいつは表に出てくることはなくて、そのかわりのようにかーっと顔が熱くなる。きっとトマトみたいに真っ赤だ。けれどもおうむ返しに問う目の前の総士の顔も赤い。まるで、一騎の熱やら何やらが、掴まれ、そして掴んだ腕から伝染したみたいに。 「駄目だった。全然気持ち良くなくて、その………」 「射精できなかったのか?」 「う、うん」 言いづらかったことをずばりと言い当てられ、一騎はこくんと頷いた。しかし実際そうなのだから仕方ない。確かに自分で触っても快感はあったが、最後の一押しが足りなかった。結局いつまでたっても射精まで至らなくて、その内気分が萎えて終わってしまう。その後はしばらくもやもやしてて、あまり眠れない日もあった。 「俺、やっぱり変だよな」 一騎ももう子供じゃないし、周りもこういうことに興味を持ち出す年頃だ。僅かながら得た知識で、これは他人の手を借りずに自分でする行為であるくらいはわかる。だから総士の手を借りないとできない自分はおかしいのだ。 しかしそう思っていても総士の手を離せなかった。総士が振り払わないのを理由にして、部屋まできて、そして出て行こうとするその手を掴まえ、こんなことを白状して。 「ごめん、やっぱ、俺、一人で何とかするから……」 総士の痛みをわかっただけで、結局何も変わっていない自分に 「――-一騎」 離そうとした手を、逆に掴まれていた。 「一騎は変じゃない。悪いのは―――僕だ」 「!?」 それは一騎にとって思いがけない言葉だった。はっとして顔を上げると、目の前に、まっすぐ一騎を見下ろす総士がいる。 悪いのは一騎ではなく、自分だ―――そう言った。 「一騎」 「え……うわ!」 ぐいっと肩を押され、背後のベッドに押し倒された。 「そ、総士?」 その上に総士が覆い被さり、視界が塞がれる。自らの鼓動の音が酷く耳についた。まるで早鐘を打つ警鐘のような動悸に胸が痛い。けれども真上にある総士の顔から目を離すことができなかった。総士の頬も、依然紅潮したままだ。しかし真摯な瞳はまっすぐ一騎を見下ろしている。 もう何が何だか訳がわからない。一度出してもらったのに収まらない熱も、そしてそれを自分のせいだと言う総士も、そしてそんな総士に押し倒されている自分も。 「総士、一体どうして…」 「逆に尋ねる。お前は僕にああいうことをされるのは嫌じゃないのか」 「え」 こっちが聞いた筈が、逆に質問で返された。しかも内容が内容だ。自分の手で済むことを、ずっと総士にさせていたこと。それに対して嫌じゃなかったのか、と尋ねられている。 総士はどういう答えを期待しているのだろう。それが一騎にはわからなかった。 「い、嫌じゃ、ない…よ?」 「そう、か」 わからないのなら、自分の気持ちを素直に伝えるしかない。 そもそも嫌だとか、いいとか、そういうのはまったく頭になかった。ただ総士にあんなことをさせている自分が嫌で、けれども自分では止められなくて、そのことに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 「そ、総士こそ、あんなことさせられて、嫌じゃなかったのか?」 「自分にとって嫌なことを何度もしてやれる程、僕もお人好しじゃあない。最初の指南だけすれば、後は自分の手で事が足りる筈だ」 確かに。総士はそういう奴だ。 けれども、ということは? それは一体どういうことなんだ? 一騎の頭の中はもういっぱいいっぱいだ。それなのに体にくすぶる熱だけはそのままなので、もうどっちかにしてほしい気持ちで更にいっぱいいっぱいだった。 それなのに、 「この責任はちゃんと取る」 「せ、責任?」 「僕がしたことへの責任だ」 そういう総士は何だか決意したような顔になっていて、何を一体決意したのか一騎にはわからなくて更に混乱させる。 わからない―――わからない、けれど。 「総士だけじゃ、ない」 「!」 知りたい。どうしてそんなことを言うのか。どうして、今までこんなことを嫌じゃないと言って続けてくれたのか。 真下から腕を伸ばして、その首にしがみつく。不意を突かれたのか、それはまるで強く抱き寄せるようになって、ベッドの上で二人の体が折り重なった。 一か所に二人分の体重を受け、ぎ、とベッドが軋む。一体これはどんな状況なのか客観的にはわからないのに、総士に乗りかかられてもそんなに重くないんだな、と妙にそんなことだけでは冷静に思ってしまった。 「俺も責任取る、から…総士だけが悪いとか、言うな」 「一騎……」 そうやってぎゅうぎゅうとしがみ付けば、総士が熱いのはその手だけじゃないことがよくわかる。どくどくと耳につくのも、もはや自分の心臓の音だけじゃなかった。
引き続き帰島後編、でしょうか。そしてうっかり続いてます。
[2011年 3月 3日]