「………」
(うわ、うわ、うわ〜〜〜〜)
 まるで想像もしないそれが、そこにある。いや、いる。思わず声に出てしまいそうになりながら、しかし一騎は必死に口を真一文字に結んで耐えた。場面としては何てこたぁない。
(総士が寝てる!)
 というだけだ。だがその『だけ』が問題なのである。
 もちろん総士だって人間だ。眠くなれば寝るし、その為の部屋もアルヴィスの中に持っている。けれどもそういう『睡眠』とは違う。何よりまだ昼間だし、アルヴィスでの就業中だ。
 一騎はここに姿の見えない総士を探しにきたのだ。
 もうすぐ定例のパイロット訓練がある。フェストゥムの襲撃を想定した仮想訓練である。もちろんそれには、戦闘指揮官である彼がいなければ始まらない。しかしいつもなら時間前にやってきて準備をしている総士がやって来ず、仲間たちから一騎に呼んでくるようにと有無を言わさない指令(?)が下った。もちろん言われなくても探しにくるつもりだったから問題はない。
 詳しい総士の居場所を教えてくれたのは、途中で出会った乙姫だった。さすが島のコア。そのレーダーは百発百中。
 まんまと総士はそこにいた。ずらりとリクライニングチェアの並ぶ休憩室の、ほぼ水平に倒された椅子の上に。
(うわ、うわ、うわ〜〜〜)
 もう一度繰り返して、一騎はその横に立った。寝たフリじゃあない。規則正しい寝息が聞こえ、それに合わせて胸が緩やかに上下している。
 寝てる。
 総士が。
(いや、そんなこと確かめることじゃないし。総士だって寝る、だろ)
 人間なんだし、ともう一度胸に刻む。
 それにしても珍しい。時間厳守の総士が時間を守らないことも、就業中だというのに仮眠をとっていることも。
(疲れてる、んだよな…そうだよな…)
 しかしそれも当たり前だ、そうだよな、とわかってしまうから、一騎は複雑な気持ちになった。
 戦闘指揮官たる総士は、自分たち以上に仕事量が多く、大人たちに混ざって難しい会議にばかり出席している。ただでさえ仕事の量は自分たちの比ではないのに、大人同様の仕事をして。
(俺がもっと色々できたら、総士がもっと楽になるのに)
 だが今総士と同じ仕事をしろ、と言われても一騎にやれるわけがない。せめて何か手伝えることがあれば――…。
(せいぜい、何かヘマしないこと、か)
 はあ、と情けなくてため息をついてしまう。けれども静かな休憩室に思いの外大きな声みたいに響いて、慌てて自分の口を塞いだ。
「………」
「………」
(セ、セーフ…)
 どうやら総士を起こすまではいかなかったらしい。いや、起こさないといけないのはわかっている。訓練があるから総士を探しに来たのだ。探し人と、それを探しに行った奴が両方とも帰ってこない、じゃまずい。けれども総士を起こすのもしのびなく、一騎は頭を捻った。
 やはりここは自分一人が戻って、事情を詳しく説明して……。
(でもそれじゃあ後で総士に怒られそうだな)
 自分が怒られるのは別に構わないが、気を使ったつもりが、余計に後々総士の負担になるのも嫌だ。一騎は困って、総士の寝顔を見下ろした。
 穏やかな寝顔だ。こんな無機質な壁に囲まれた地下のアルヴィスの中なんかじゃなければ、とても幸せで、平和な光景なのに。
(サラサラな髪…)
 息を潜め、一騎はずいっと身を乗り出すと総士の顔を覗き込んだ。総士の父親は髪が黒かったから、母親譲りなのだろう。淡い栗色の髪がさらさらとこぼれ落ちる。
(肌も白いな)
 薄ら暗いとよりわかる肌の色。同じ島で育った筈が、明らかに一騎より白い肌は、総士が昔から一騎たちの知らない間に地下のアルヴィスへ出入りしていたからだろう。
(まつげ長い……きれいな顔……)
 ……だんだんと思考が脱線してきた。
 以前のように接することができるようになっても、その顔をマジマジと眺めるのはまだどこか気恥ずかしい。こんな機会なかなかないと、ここにきた理由も忘れ、一騎は総士の顔を観察する。
 いつもアルヴィスにいる時は気難しい顔ばかりしているから、眉間にはしわの痕がうっすらとあった。そして傷。一騎がつけた、総士の光を奪った爪痕。けれども、それでもそのことは恨み一つ持たず、自分を信じてくれる証。
 そして―――…。
(唇…いつも俺にキスする唇…)
 薄いそれは、今は眠っているせいか、うっすらと開いている。寝息が聞こえてくるのはそこからだ。
 総士とキスをするのは昔からだ。自分にとって特別な人とすることのみ許された行為は、一騎に何の疑問を抱かせない。ただ少し不思議に思うのは、最近その仕方が変わったことだ。ただ触れさせるだけの行為は、時々、吐息を奪うほどの荒々しさを見せる。呼吸に喘ぐ隙間から舌が入り込み、唾液も、吐息も、全部一騎から奪っていくように。
 それを変だと思ったことはない。そういうものなんだと一騎は当たり前のように思ったし、何より総士と近くなれるような気がした。実際、物理的にも隙間がないくらい近くなれることはなれる。
 ただ終わった後、ほんの少しだけ……。
「…っ…」
 ぞくり、とキスをされた後に自身を襲うもの。それを思い出すと自然と体の芯が燻るような感覚に襲われ、やがてそれは一騎に一つの欲求を目覚めさせる。
(俺も…キス、したいな…しても、いいかな…?)
 キスは一騎からする行為ではなく、総士が一騎にする行為だ。それが何故だか当たり前になっていて、考えてみれば自分からしたっていいのではないか。
 ただ、起きている時に一騎から、というのは無理だ。まだそういうタイミングがよくわからない。幸い、今なら総士は眠っている。チャンスだ。
「………」
 一騎はキョロキョロと辺りを見回し、人の存在の有無を確認した。誰もいないし、近付いてくる足音も聞こえない。
「………」
 今度は総士の顔を覗き込む。寝息よし、呼吸よし、目が覚めている気配なーし。
(いつも総士がしてくることだ。俺にだって)
 できないはずがない。
 一騎はリクライニングチェアの縁に手をかけ、ぐぐっと身を乗り出した。何故だろう。いつもしてることをただ一騎から総士にするだけなのに、鼓動がだんだんと早くなる。
(髪がサラサラ…肌が白い…まつげが長い…きれいな顔……)
 さっき確認したことを反芻していると、ますます早くなった鼓動が、まるで耳の側で早鐘を打っているようにうるさく聞こえた。だがもう後には引けない。一騎は気を緩めれば犬のように荒くなってしまいそうな息をぐっと詰め、後ほんの十センチくらいまで迫っていた距離を、目を閉じてえいやっと一気に縮めた。
「!」
(やわらかい)
 ようやく触れたそれは、あっさりと、思わず拍子抜けするほど簡単に一騎を受け入れた。
 当たり前だ。相手は眠っているのだから難しいことなど何一つない。一騎はほっとして、けれども折角キスできたのにすぐに離れてしまうのが惜しくて、触れ合ったままこのままどうしたもんかと考える。
 総士と同じように舌を入れるとかするべきか。けれどもそれじゃあ折角寝ている総士を起こすことになる。それにそれはまだ一騎には早い。どう早いかわからないが、舌を入れたりするのはまだよくやり方がわからなかった。今度総士に教えてもらおうと思う。
 だからこそ一騎は悩んだ。
 ―――悩み過ぎて、真下からぬうっと持ち上がった腕に気付けないくらいに。
「…んむ!? うう――っ!?」
 がし、と後頭部を抱えられ、強く引き寄せられた。それだけじゃなく、すぐに唇をこじ開けられ、ぬるりと熱くぬめった舌が入り込んでくる。それはついさきほどまで眠っていたとは思えない程の正確さで一騎の舌を捕らえ、じゅ、と音が鳴るほど唾液を啜り上げた。
「うー、んぐ…ぅうー…っ」
 息さえつけず、呼吸まで奪われる激しさに、次第に体の力が抜けていく。どうにか体を支えていた腕も震えて崩れ、半ば総士を上から押し潰すみたいになっていた。けれども総士は体勢を入れ替えることはせずに、そのままずっと一騎の頭を抱え続ける。
「……ん、…はあ…ぁ…」
 ようやく解放された時にはもう息も絶え絶えだった。心臓はばくばくいっているのに、体はとろんと力がこもらない。口は痺れたみたいで、涎が垂れていないかが心配だった。
「一騎に寝込みを襲われるとは思わなかったな」
 顔を上げられないで総士の胸に府せったままでいると、頭上から若干の笑みを含んだ声が聞こえる。一騎は徐々に整ってくる息に、声のした方…頭上の総士の顔を見上げた。そこには確かに目を開けて、こっちを見ている総士がいて。
「寝込みって…俺はただ総士を探しにきただけで」
「探しにきて、寝てる僕にキスをしたのか? それは立派に寝込みを襲うって言うんだぞ」
「違…」
 ―――わない。
 確かにそう言われれば寝込みを襲ったことになる。そもそも総士が寝ている内にキスをしてやろうと始めたことだった。しかしあれだけきっちりと寝ているか確かめたのに、まさか、起きて反撃されるとは思いもしなかった。
 いや、そもそも寝ていたのかどうかすらあやしい。
「寝たフリはずるいだろ」
「フリじゃない。確かに寝ていた。けれど、キスされた瞬間に起きた」
「………ずるいじゃん」
「別にずるくないだろう。寝ている間にキスをしようとする一騎の方がずるい」
「………」
 完全に自分の方に非があるのは明らかだった。
 いや、そもそも訓練に遅刻してくる総士が悪い。総士が遅刻してこなければ、寝ている総士を発見して、キスをしたいと思うこともなかった。いや、更に元をただせば、総士がきちんと学生らしい生活を送っていれば―――…駄目だ。キリがない。
「そもそも総士が寝てて来ないのが悪いんだろ…」
「それは確かに僕が悪いな。そうか、もう訓練の時間か」
 ただそれでも責任転嫁のつもりでぼそりと呟けば、それには賛同し、総士はすまなかったと謝る。正しく自分の非であることを素直に認めるのは実に総士らしい。
「一騎のキスで起してもらえるなら、たまには寝過ごしてみるものだ」
「二度とするな、馬鹿」
 しかし何だかそれもずるくて、ぐり、と頭を胸に押し付けた。


一騎と総士は恋人として付き合ってるのか付き合っていないのか微妙な感じが好きです。でも唯一無二の特別な関係だという(笑)

[2011年 2月 4日]