「―――目標の反応ロスト。ソロモンに他応答ありません」
「よし、全島警戒解除。ファフナーは全機帰投させてくれ」
「了解。ファフナー全機帰投せよ」


『ファフナー全機帰投だ。みんな、よくやった』
 ジークフリード・システムを介し聞こえて来る総士の僅かながら安堵を含んだ声に、一騎もようやく張り詰めていた緊張を吐息と共に吐き出した。
 今日も、誰一人として欠けることなく戦いは終了した。けれどもけしてこれで終わりではなく、明日も、明後日も、またいつフェストゥムが島にやってくるかわからない。そうしたら自分はまたファフナーに乗るのだ。
 乗せられるのではなく、自分の意思で。
 そうして自分たちが大切にするものを守る為に。
『一騎』
「っ、そ、総士?」
 地下のドッグに降りるハンガーに機体を載せた時だ。不意に近いところで声がしてびくりと肩を震わせた。今更驚くことではない。クロッシングを通じて、総士が直接呼び掛けてきただけだ。
 跳ね上がった鼓動をすぐさま収め、一騎は何?、と尋ねた。しかしすぐには総士からの返事は返ってこず、
「総士?」
 不思議に思って問い掛ける。
 総士の存在はいまだ知覚にとらえたままだ。しかしザインは既に島の表層部分から地下の施設に入り、ドッグに固定されつつある。周りを見渡せば、自分以外のファフナーは既に帰投済みで、下で真矢たちがこちらを見上げて手を振っている。その様子を見るだけでもほっとした温かい気持ちになり、一騎は自然と頬を緩めた。
 全員いる。
 まだ誰も、欠けていない。
『―――……後で僕の部屋にきてくれ』
「? ああ、わかった」
 すると声をかけてきたと同様唐突な言葉の後、ふとコクピットの中から総士の気配が消えた。元々そこにいるわけではないのに、いなくなる、というのもおかしいかもしれない。けれどもファフナーで繋がっている時は、本当に総士がそこにいるように感じた。それは一時期島を離れていた時に嫌という程思い知らされている。
 しかし何の用だろうか。理由も告げないなんて珍しい。
 総士の様子が変なことに首を傾げながら、一騎はニーベルング・システムから指を引き抜く。接続を解除されれば、もう自分はファフナーではない。ただの真壁一騎だ。そのことに、不思議と淋しさを感じるようになったのはいつからだったか。
 やがてコクピットブロックが抜き出され、外部モニタも遮断される。ファフナーと一体化することによって得る広い視界は、今はない。あるのはただ、狭くて暗い、棺桶のような箱の中。
 ほんのひと時の暗い一人ぼっちの時間に、一騎はそれらを遮断するように目を閉じた。

「ごめん、待った……あれ、まだいないのか?」
 ファフナー搭乗後のメディカルチェックはパイロットにとって必須なので、先にメディカルルームの遠見先生のところに寄ってから総士の部屋に訪れた。しかし慌ててやってきた一騎の予想に反し、部屋には鍵がかかっており、中にはもちろん人の気配もない。
 総士はまだ戻ってきてないのだろうか。
「えー…っと」
 一騎は扉の前でしばし考え、
「確か、鍵は」
 鍵と言っても、パネルに数字を打ちこむパスワード制だ。一騎は駄目元で、以前教えてもらったナンバーをパネルに打ち込んでみる。
 するとあっさり扉は開き、一騎を中へと誘った。
「開いた…ま、いっか。中で待たせてもらお」
 教えた番号を変えてないということは、イコール一騎が入っても構わないということだろう。廊下でぼーっと待っていても、いつ総士が帰ってくるのかわからない。一騎は遠慮なく中で待たせてもらうことにした。
「お邪魔しまーす…?」
 そうは言っても、主がいない部屋に勝手に入るのは、悪いことをする訳でもないのに何となく後ろめたい気持ちだ。
 足を踏み入れて手探りでライトを点けると浮かび上がる、相変わらず物の少ない殺風景な部屋。人が生活すれば少なからず生活感というものが出るものだが、ここにはそれがない。たぶんそれはこの部屋が総士の部屋だからという理由ではなく、地下にあることや、このアルヴィス特有の無機質な金属の壁や調度のせいだろうと一騎は思う。
「ま、初めて入った時から全然変わってないけどな…」
 あれだけ『なにもない部屋』と言われてそんなことはない、と反論していたのに、まったく変わっていないのが総士らしい。真矢が他にも何枚か集合写真や風景写真を撮っていたから、今度頼んで焼き増ししてもらおう。それで、またこっそり総士の部屋に入って飾ってやろう、と一騎は考えて笑う。
 部屋に入ると一騎はソファーに腰を下ろした。総士はまだ帰って来ない。しかしこの部屋に一人で時間を潰せるようなものはないし、部屋にあるものを勝手に触る気もない(触って理解できるものかどうか怪しい)。
 となるとぼーっと座って待つしかすることがなかった。はたしてそれが『すること』なのかはおいといて、一騎はソファーに座ってぼーっと部屋の壁を見つめた。
(総士いつ帰ってくるかな…)
 呼びだしておいていない、当の本人。けれども予想はできる。きっとどこかで誰かに捕まって仕事をしているんだろう。もしかしたら父親かもしれないし、乙姫かもしれない。それだったら一騎は待つことが正しい選択だ。
 そう、わかってはいるものの。
(暇だな…)
 そう、何度も言うが、総士の部屋に一人でいて時間をつぶせるようなものはない。いや、正確には机の上に本があるのでそれを手にとってみれば、それはそれで時間つぶしにはなるだろう。しかし…たぶん読んでも何もわからないことだけは一騎にわかった。だから本を読む、というのは選択肢から外れる。
 そして荷物も持ってこなかったから予習も復習もできない。いや、そこはする気もおきないからどっちにしろ選択範囲外だ。
(あー、総士遅いな…)
 ぼーっとしていると、やがて取り留めのないことが一騎の頭の中を回り始める。
 総士は何の用だろう、から始まり、果ては今日の夕飯のおかずまで。そして冷蔵庫の中身を思い浮かべ始めた頃…。
「ふあ……ぁふ」
 不意に大きな欠伸が漏れ出た。ファフナーに乗った後は訓練だろうが戦闘だろうが、酷く疲れる。やることがあるような時は意思を奮えるが、何もせずにぼーっとしてると駄目だ。
(あ、駄目だ…総士を、待たない、と……)
 どうにか頭を起こそうとしたが無駄に終わる。それからが早かった。
 まるでとろりと温かい海に沈んでいくように思考が溶け、そこからふと、唐突に何もわからなくなった。


「一騎は先に行っているだろうな…」
 部屋に来いと言っておきながら、途中CDCで捕まって遅くなってしまった。戦闘終了からもう二時間は経過している。戦闘後のメディカルチェックを受けたパイロットたちは、とうに自宅に帰っている時間だろう。
 一騎ももしかしたら帰ってしまっているかもしれない。呼んだ理由も告げていないし、時間も決めていない。夕飯の支度があるからと、帰ってしまっても責められはしない。
 けれども総士は早足で自分の部屋に向かう。
 しんと静まり返った居住区に、自分一人の足音が響く。アルヴィスで働くほぼ全員が、表層部分の街に帰る家を持つ。実質、緊急時以外にここで生活しているのは総士と乙姫くらいだ。しかしメディカルルームに出入りすることの多い乙姫は、この居住区には滅多にやってはこない。だから総士一人きりだ。
 静かでいいが、時折、まるで世界が一人だけになってしまったかのような錯覚を得る。特にこの無機質な空間では尚更。
 ―――戦い続けなければ、それもまた現実になる。
 その時は自分も残らないし、こんな無意味な感慨に耽ることにもならないだろう。
 だから戦う。ずっと共に歩むと決めた存在を、もっとも危険な場所に曝してでも。
 自販機のあるホールの前を通れば、すぐ自分の部屋だ。一騎は待っていてくれているだろうか。いなくてもそれはそれで仕方ないと思いつつ、いてほしいと思ってしまう自分に自嘲し、総士は部屋の前に立つ。
 一騎を部屋に呼んだ理由は特にない。しかし理由ならいくらでも作ることはできる。ただ、そこにあることを感じられればいい。他に確かめようはいくらでもあるのに、わざわざ自分のテリトリーの中へと呼ぶ―――これは自分の身勝手なエゴだ。
 しかし特に最近は戦闘があるたびにその気持ちが強くなる傾向を、総士自身自覚していた。それは一騎が島を出て、そして帰ってきてからだということも。
「………?」
 ため息を一つ零した後、ロックを解除するパスコードを打ち込もうと手を伸ばした時…扉が開いていることに総士は気が付く。
 どくん、と鼓動が一つ鳴った。
 総士は中にいる人物を確信して、急に気持ちが沸き立つのを感じた。しかしその感情を面に出さぬよう顔を引き締めると、扉を開いて部屋へと足を踏み入れる。
「遅くなってすまない、かず―――…」
 ―――遅いぞ、総士。
 中に入れば、そういう声がかかるとばかり思っていた。しかし予想は反し、返ってくるのは沈黙ばかり。いや、正確には沈黙ではない。
「一騎?」
 そこにいないのではない。確かにそこにいる。ただし、ソファーの上でずるりと寝こけてしまってはいるが。沈黙の代わりに迎え入れたのは、小さく聞こえる寝息だった。
 どうやら待たせすぎて眠ってしまったらしい。入ってきた総士の気配どころか扉が開いた音にさえ気付かない。入る時のあの緊張感は何だったのか。
「………」
 しかしその穏やかな寝顔に毒気が抜かれてしまい、総士は肩の力をすとんと抜くように息を吐き出した。
(まあ、仕方がない、か…)
 ファフナーに乗ることは、パイロットに予想以上の負荷をかける。ましてや訓練ではなく、対フェストゥムの実戦の後だ。精神的、肉体的にも疲労が溜まっていることを考えれば、一騎を責めることはできない。
 総士は部屋の扉を閉めると、一騎の寝こけるソファーへと歩み寄る。
(随分とまあ、無防備な寝顔だな)
 穏やかな寝息、それに合わせてゆっくりと上下する肩、ここが金属の壁に囲まれた部屋でなければ、その光景がどれほど平和で和やかなものだろうか。
 総士は一騎の寝こける隙間に腰を下ろすと、ソファーの上に投げ出された手を取る。
「ん……」
 触れた瞬間ぴくりと指先が震えたが、目を覚ますことはない。そのことにほっとして、総士は一騎の手に視線を落とした。
 一騎の手。大きさは自分のとそう変わらない。色は自分の肌よりやや日に焼けているその手に、その指の付け根に残る、きつめの指輪をはめつづけたような、痕。
 パイロットがファフナーに乗り、ファフナーそのものになる為に指を通す『ニーベルング・システム』のリングの痕だ。メカニックや一部の間では、この痕の濃く残るパイロットこそ、歴戦のエースパイロットだと言われる印し。
 しかしそれは同時に、誰よりも自らを危険に曝した証でもある。
「すまない、一騎」
 総士は一騎の手を包み、そっと額を付けた。それはまるで祈るようで、しかし一体何に対して祈っているのか、総士にはわからなかった。
 自分には、彼らを戦わせることしかできない。ファフナーに乗り、前線に立って何が何でも島を守らねばならない彼らに対し、ただ生きて帰ってこいと言うこともできない。
 フラッシュバックで痛みを共有できても、それは所詮幻痛に過ぎないのと同じように。ただ前線ではない安全な場所にいて、彼らに声を飛ばすことしかできない。
「それでも僕は…」
 包んでいた手をそっと開き、その指の跡に唇を寄せる。
 目の前にある存在を確かめるように。
 ここにある、と自分の中に存在を刻み付けるように。
「………ん、……う?」
 するとふと、指がまたぴくりと震えた。思ったよりも眠りが浅かったのだろう。やがて今度は先程のようにそのままとはいかず、まぶたが震え、その奥にある瞳がゆっくりと覗き出す。
 それは目覚めた後も数度瞬き、やがて隣に座る総士をぼんやりと映した。
「そう、し……?」
 まだどこか、夢うつつな声。
「すまない、遅くなった」
 その時には既に一騎の手は離している。
「…………あれ、俺………あ!」
 やがてはた、と何かを思い出したのか、それまで穏やかに上下していた肩が跳ねた。ようやく自分が待ちくたびれて寝てしまっていたのに気が付いたのだろう。
「俺! 俺、ご、ごめん。総士待ってて寝て…っ」
「いい。遅くなったのは僕の方だ」
「でも………俺に何か用あったんだろ?」
 寝顔を見られていたのが恥ずかしいのか、わずかに頬を染め、顎を引いて上目遣いにじいっと見つめてくる。その顔に、ふ、と総士は肩の力を抜いた。その時に思わず笑みが漏れてしまったのを、隠すことはせずに。
「もういいんだ」
「でも」
 けれども一騎も食い下がる。だが何か用、と言われても思い浮かぶ用もなかった。強いて言えば、一騎が眠っている間に総士の用は済んだ。
 触れた体温。交わす言葉。
 何よりもクロッシングで離れた場所ではない、目の前に一騎がいる。ただそれでも拭えない不安や恐怖は、今は心の奥底へとしまい込んだ。
 しかし、
「問題ない。そんなことより」
「何?」
 まだ、一騎をこの部屋から帰したくない。
 総士の言葉にまるで命令を待つ犬のようにぴんと聞き耳を立てる一騎に、さて、どうしたら一騎をもう少し引き止めておけるのかと、もっともらしい理由を頭の中で模索する総士だった。


どのジャンルに転がってもわりとこのネタ書いてるよな…わんぱたーん…。

[2011年 1月 29日]