「そういや総士さ、学校はどうするんだ?」
 休日の昼下がり。目が治ったとは言えザインの負荷が大きいことに変わらない一騎は、相変わらず搭乗訓練には参加できないままだった。
 そんなわけで店も溝口のアルヴィス関係の仕事で休みの為、することのない一騎は父の分と総士の分、二人分の弁当をこしらえてアルヴィスへやってきていた。今は会議中だという父の弁当をCDCへ預け、総士の元へ。そうして総士の仕事が一段落するのを見計らって、二人で昼食をとることにした。
 場所はアルヴィスから地上に出られる出口の一つで、海を見渡す丘の草原の上。天気もよくて、何だかピクニックみたいだな、と一騎はのんきに思う。訓練中の剣司たちや後輩達も、時間が合えばよかったな、とも。
 そんな折り、ふと思い出して、思い付くままに口に出した疑問。
「俺たちは結局『卒業』せずに高校通ってるけど、お前はどうするんだ?」
 この島で『卒業』とは、単に学校を卒業するだけの意味を持たず、外の世界の現状を理解し、アルヴィスでの仕事に就くことを指す。しかし中学在学中にフェストゥムによる侵攻を受け、島は戦時下へ移行、そしてメモリージングで得た知識を制限解除する以前にこの世界のおかれた現状を一騎たちは知ってしまった。だからだろう。学校という平和の象徴から『卒業』することはできず、新たに造られた高校(とは言っても中学に間借りする身だが)へと進学した。
 そんな一騎たちもあと半年足らずで三年生だ。さすがにきっとその先はもう、卒業し、アルヴィスに所属する。けれどもまだ一年ある。たった一年でも、それは酷く大切な時間に思えた。
 しかしフェストゥムの側から帰ってきた総士はまだ、高校には一度も通ってはいない。積極的にアルヴィスを訪れては二年間で得た知識を用い、最早人類軍側からも敵対されたも同然なこの島の為、日々仕事に励んでいるばかりだ。そのことが、総士が帰ってきてもう二月ばかり経つのに、ずっと一騎は気にしていた。
「学校、か…一段落ついたらまた通うつもりだ」
 おにぎりを詰めた弁当箱とは別に、おかずだけを二人分を合い盛りにして詰め込んだたタッパーから、よくできたと自画自賛した卵焼きをつまみ上げ、そう言って総士は口に放り込む。
「へえ」
 それにつられて自分も卵焼きをつまみ、相槌を打って口に放り込んで咀嚼した。
 うん。砂糖多めで甘い卵焼きだ。
 カレーが好きなことからもわかるように、総士は意外と子供っぽいものが好きだ。後弁当にすることを考慮して、冷めても美味しいように色々と目に見えない工夫が当たり前のように施された弁当を、どうやら気に行ってくれているようである。
「――-あれ、でもそれじゃあ」
「何だ?」
「あ、いや、途中ってことになるから、総士は一年から始めるってことになるのか、って」
 思考は再び総士の復学について巻き戻り、一騎は『二年間』というブランクを思い出した。
 総士のいなかった二年、目はあまり見えなかったが、皆のおかげでわりと自分は苦労はせずにやってこられた。しかし総士は丸々二年学校どころか、竜宮島自体にいない。来主が言っていたように存在を保つので精一杯ということは、当たり前だが勉強どころではない筈だ(いや、そもそも勉強ができるとかできないとか、そういう次元の話ではない)。
 しかし一騎の疑問に、総士は緩く首を振って否定する。
「いや、さすがにそれは、な。試験を受けて、一定ライン以上解答できれば、一騎たちの学年に入れてもらえるよう交渉した」
「交渉って…」
 また妙な屁理屈で大人たちを無理矢理納得させたんじゃあなかろうか。まあ確かに総士は頭がいいから、あながちただの屁理屈にはならないだろうけど。そもそも後輩たちに混ざって授業を受ける総士、というものが想像できないし、何だかそれを想像することすら後輩たちに悪い気がする。
 しかし呆れつつも、嬉しくないわけじゃあない。むしろ内心でほっと胸を撫で下ろしたくらいだ。
 竜宮島は島である為、当たり前だが子供の絶対数が少ない。それなので一学年、多くて2クラス程度の生徒しかいない。その為、同級生同士の結束は固い。
 特にこんな今だ。みんなで揃って卒業したいという願いは誰にだってある。もう既にその輪をいくつか欠いてしまった今だからこそ、尚更。最も一騎の場合、ただ純粋に総士と同じ時間を共有したいという、酷く自己満足的な気持ちもけしてないとは言えなかった。
 共に過ごせなかった二年間という時間を、少しでも取り戻したい。時間を巻き戻すことはできないけれど、これから先にある時間を少しでも、多く―――…。
「一騎?」
 どうかしたか、と問われ、はっとする。これからのことを考えると最近思考が飛びがちだ。
 一騎は慌てて何でもないと頭を振り、話を続ける。
「えっと…それで、試験って言っても一体どんな試験をするんだ? もちろんテストだよな?」
「ああ。詳しくはまだ聞いていないが、たぶん中学までの復習と、高校二年までの基礎知識だろう」
「だろうって…ちょっと待てよ。総士学校行ってないのに?」
「だがいきなり高校二年の終わりに飛び級するんだ。相応の理解力は必要だろう」
「だからだろうって…」
 だろうって二回言った。しかも何だかそう言う総士は随分のんきだ。
(そりゃ総士は頭がいいけど、だからって習ってないことまでなんて……)
 学年では成績はいつもずば抜けていたし、アルヴィスでは父親たち大人に混ざって仕事や、戦闘の指揮を行っていた。特に以前のジークフリード・システムは総士の頭脳でしか使いこなせないとか言われていたくらいだ。それが何故かという説明も受けたが、一騎にはその時点でそのすごさがよくわからなかった。わからないからこそ、総士はすごいのだろうと思っていた。
 けれども二年は長い。目が不自由でも、二年間検査や治療以外は欠かさず通っていた一騎でさえ大変だったのだ。いくら総士とは言え、そうたやすいものでもないだろう。
 総士のことだ。大丈夫だとはわかっている。
 けれども絶対ではない。何事も、絶対なんてあり得ない。
 それを信じたくても、現実は必ずしも自分の思う通り、望む通りにならないのだということをこの数年で一騎は知った。
 けれどもそれを知って、諦めて努力を怠ってもいいというわけではない。必ずしも叶うとは限らない。けれども、それに向かって努力をすることで、自分の望む方向に近付けることも知った。
 必ず帰ると言った総士が、こうして一騎のいる竜宮島に帰ってきたように。
「あのさ、俺が総士に言うのも変なことかもしれないんだけどさ」
 一騎は水筒から付属のコップに、家から淹れてきた温かい茶を注ぐ。保温のできる魔法瓶タイプだったので、まだ冷めてはおらずに湯気が立ち上った。
 その湯気の向こうにいる総士をじっと見つめ、一騎は告げる。
「俺、総士がちゃんと試験に受かるよう、何でも手伝う。もしわからないこととかあったら、俺が教える。二年分のノートもちゃんととってあるから、きっと総士の役に立つと思うんだ」
 昔だったら毎年即行で処分していた一年間分の教科書やノートを、この二年間、一騎はしっか保存していた。もちろんそれは自分だけの力ではない。遠見や剣司やクラスのみんなが、通院や治療で一騎がいない時に書き留めてくれたものもあれば、視力に不自由な一騎の為に、先生たちが音声データで授業内容を記してくれたものもある。
 その時は自分の為だった。
 けれどもそれは同時に、いつか必ず帰ると約束した総士の為になった。
 その時が、今だ。
「俺、何でもする。総士の力になりたいんだ」
 それでも足りなかったら何でもしよう。
 だって目だってもう見える。何も不自由することはない。
「一騎―――ありがとう」
 総士に湯気の立つコップを差し出すが、総士は伸ばされた手はコップを受け取ることはせず、一騎の手にその手をそっと重ねた。
 湯気の向こう側に総士の顔がある。淡く微笑む目元に、不意に頬に熱が走ったような気がした。
「一騎がそんなにも僕の為を思ってくれているとは、な」
「そんなこと…当たり前だろ。それに俺だけじゃない。みんな、そう思ってる」
「ああ」
 するり、と手の中からコップが離れて行く。まだ熱いそれを総士は少し息を吹いて冷ますようにしてから、ひと口、口に含んだ。それからうーんと何か考えるように唸り、軽く、空を見上げた。今日はいい天気だ。空も、海も、遠くまで見渡せる。
「―――それじゃあまず、二年間分のノートと教科書を貸してくれるか?」
「わかった」
「一応復習しておかないと、流石の僕でもきついからな」
「一応って…え、復習?」
 それは中学の頃のことを言っているのか。いや、でも今たしかに高校分のノートと教科書を貸してくれと言われた筈だ。復習するなら中学の内容になる。高校の内容を、総士は一度も学んだことはないからだ。
「それから復習時、小腹が空いたら夜食を頼む。後は…そうだな。勉強に疲れた僕を労ったり癒してくれたりしてくれると助かる」
「ちょちょ、ちょっと待て」
 けれども総士はつらつらと希望を述べていく。一騎にはその言っている意味がわからない。いや、わかるが、どうしてそうなるのかという過程の意味がわからない。
「何だ。僕を手伝ってくれるんじゃないのか」
「いや、手伝うって言ったけど、そういうのじゃなくて勉強を見てやるとか、わからないことがあったら一緒に考えるとか…」
 確かに夜に腹が減ったら夜食くらい作ってやるし、労ってもやるし、癒して(具体的にどう癒すのかイマイチわからないが)やりもする。ただ一騎の言った『つもり』というのはそう言うことだ。もっとも一騎だってそんなに頭がいい方ではない。しかし一緒に考えたりすることはできる。
 その為に、今こうしている為に、この二年間目が不自由でも頑張ってきたことなのだから。
「そうやって、一騎が一生懸命頑張ってきたおかげだ」
「??、???」
 まるでその思考を読まれたようだった。ますます一騎の頭の中を埋め尽くす疑問符に、総士は種明かしをするように苦笑しながら教えてくれる。
「僕らは二年間繋がっていた。そして僕は一騎の目を通し、ずっとこの竜宮島を見てきた。そういうことだ」
 遠見先生が言っていた。自分と総士はあの北極での蒼穹作戦から帰った後も、二年間ずっとクロッシングしていた、と。
「えーっと…つまり、俺を通して授業に参加してたってことか?」
「全部が全部じゃあない。だから復習が必要だ」
 ということは、つまり。
「そ、そういうのは早く言えよ!」
 一騎の心配は全部無意味だった、ということだ。
「無駄じゃない。お前が懸命に頑張っていた。だから繋がっていた僕もそれを得ることができた。一騎のおかげだ。そんな一騎を支えてくれたみんなのおかげでもある」
「………」
 そうさらりと言ってのける総士を、一騎はじとりと睨んだ。相変わらずもったいぶって、大事なことをなかなか話そうとしない。いや、以前は話すことすらしてくれなかったのだから、成長した、というべきだろうか。
 とにかくまあ、そういうことなら大丈夫だということはわかった。
 一騎は総士の手の中からコップを取り上げ、お茶を注ぐ。そしてまだ温かいお茶を唇を尖らせたままちびちびと飲んだ。
「心配して損した」
「そう言ってくれるな。けれど……ありがとう、一騎」
「………絶対来いよ」
「ああ」
 けれども心配が一つ減って、安心へと変わったのは事実だ。それならきっと、総士は大丈夫だろう。何てったって頭がいい。きっと何一つブランクを感じさせないいつもの様子でテストを終わらせてしまうのだろう。
 そしてその内、素知らぬ顔で教室にいるのだ。
「なあ、総士」
「なんだ?」
 いつか必ず帰ってくると言った彼のために、ずっと教室に用意されている彼の机と椅子に。

「――-夜食はうどんとぞうすい、どっちがいい?」


二年間フェストゥム側にいた総士にそんな余裕はなかったと思う訳ですが、一騎のことはずっと見ていた(感じていた)思うので、このくらい朝飯前、かなあとも。

[2011年 1月 26日]