「一騎カレーと一騎ケーキのランチセット一つ。アルヴィスに出前だってよー」
 平日の昼も終わりがけ、ランチの終了間際になって一つ注文が滑り込んできた。
 喫茶『楽園』もお昼のピーク時が過ぎてだいぶまったりしていたところだ。予定があるという真矢はすでに早上がりで店内にはおらず、すでに最後の客も引いて後は片付けを残すのみ、そんな時。
 電話をとった溝口が、カウンターで皿を洗っていた一騎に声をかける。
「ちょうどいい。一騎はアルヴィスに出前を持って行って、そのまま上がってくれや」
「店の片付けは?」
「あー、後は俺が適当にやっとくよ」
 そうひらひらと後ろ手を振りながら、溝口は表の営業中の看板を下げに出ていく。まあそういうことならと、一騎は食器棚から皿を出し、残ったら自分の昼飯にしようとしていたカレーを一人前用意した。そして冷蔵庫からは今日の日替わりケーキであるチーズケーキを取り出し、出前用の岡持ちにセット。エプロンはどうせ洗濯するつもりだったので、そのまま出前に着て行くことにした。
「それじゃ溝口さん、俺行ってきます」
「おう、明日も頼んだぞ」
 ばちんっと見事なウインクで見送られ、思わず苦笑いが零れた。
「ああ、そうだ。これが配達先な」
「はい」
 電話のメモを受け取ってエプロンのポケットに突っ込むと、一騎は岡持ちの中身を揺らしてこぼさないよう、慎重に、かつ小走りでアルヴィスを目指す。溝口がよく使っている出前用の自転車もあったが、今日はもう店には戻ってこない予定だったのと、近道をするには邪魔なので置いてきた。
 そうして自転車じゃあ通れない狭い裏路地を通り、時には民家の庭を横切って―――島の地下にあるアルヴィスへと至る、いくつかある内の入口の一つにたどり着く。
「さて、出前先は…と」
 踏み入る前に、ごそごそとさっきエプロンのポケットに突っ込んだメモを一騎は取り出した。もっとも出前の配達先は大抵、アルヴィス司令部だ。中でも父宛てに出前を持っていくことも少なくなく、だったら弁当を持たせた方が家計に優しいのではないだろうかと、最近考えているところだ。
 今日もそのつもりでやってきた……しかし、溝口の豪快な文字で綴られていたのは、一騎の予想に反して、初めての出前先だった。
「―――えーっと…ひとまず行きゃいいのか…?」
 その場所は知っている。よく行くし、昨日も行ったばかりだ。それよりも、こんな昼間にそこの主がそこにいること自体、珍しいのだけど。ひとまずお客様には違いない。
 一騎は一度は司令部へ向けた足を方向転換させ、エレベーターホールへ向かうのだった。


 そうしてやってきたのは、アルヴィス内・居住区。自販機のあるホールから10歩かかるかかからないかの一室の前で、一騎はぴたりと足を止めた。
(えーっと…この場合は……)
 いつものように入るべきか迷って、けれども相手がお客様であることを尊重し、まずはインターホンを鳴らすことにする。ピンポーン。最新設備の整うアルヴィスの中にいて、意外と普通なインターホンの音を聞くと、
「えーっと、すみませーん。喫茶『楽園』ですけど、出前、お届けにまいりましたぁ」
 決まり文句だ。すると間髪入れずに中から、開いているから入ってくれ、とやはり聞き慣れた声が返ってきた。やっぱりいるらしい。いや、いなければただの悪戯電話か。
 何だか妙な感じだな、と一騎はぷしゅっと扉を開いて中へ足を踏み入れた。
「――-一体何のつもりだよ、総士?」
 そこにはこの注文の主、そしてこの部屋の主である総士が椅子に座って足を組み、入ってきた一騎を迎え入れた。
「何のつもりも何も、出前だろう?」
「そうだけどさ…」
 一騎は持ってきた岡持ちをテーブルの上に置き、蓋を持ち上げて中からカレーとケーキを取り出す。
「注文のカレーとケーキのランチセットです、と」
 すると、
「一騎カレーと一騎ケーキのランチセット、だろ?」
 間髪入れず正しく訂正された。いや、別に正しくなんかない。
「総士まで…言っとくけどソレ、俺が付けた訳じゃないからな」
 溝口が、その方が売れるからと付けた名前だが、いまだ一騎は慣れない。カレーランチセットケーキ付き、でいいじゃないか。内容は一緒なんだし。
「そもそも、何で出前なんだよ。部屋にいるってなら、アルヴィスの仕事も一段落ついてるんじゃないか? 店に来てくれた方が、あったかいの食べられるのに」
 保温性に優れた岡持ちに入れても、やはりある程度は冷めてしまう。材料を炒める時に余分な油を使っていないから、冷めてもそこまで味が落ちることはないだろうがそれでもできたてとは味も異なってくるだろう。
 しかし総士は、
「いいんだ。それにまだ仕事は終わっていないし」
「??」
 言って、じいっと総士の視線に曝される。
「やっぱりクロッシングで『感じる』のと、生で見るのは違うな…」
 何が、とは言わないが、何だかよこしまな気配を感じて一騎はそそくさとエプロンを外すことにした。
「それに、まだ僕は食べたことがなかったから」
「あれ、カレーって作ったことなかったっけ?」
 物惜しげな視線に改めてそっちを見れば、既に総士はデスクの備え付けの椅子からソファーに移動しており、皿に巻かれたラップをぺりぺりと剥がしながら言った。
 二年前から、総士には何度か食事を作って振る舞ったことがある。実質この島で一人暮らしの総士は、その食事のほとんどをアルヴィスの食堂と、栄養サプリメントで済ませていた。毎食食べないと力が出ない一騎には信じられないその食生活に憤り、半ば強制的に家に連れてきて食べさせたのが最初。それからもタイミングがあえば何度かと、弁当を作ってやったこともある。
 しかしそれも、二年間途絶えていた。総士がこの竜宮島にいなかったからだ。
 けれども今彼は絶望的な現実を押し退け、目の前にいる。
「お前は僕に食べさせようとする時は、栄養のバランスがいいようカレーなんて作らないだろう?」
「まあ、たしかに。けどそれは、総士の体を心配して」
「わかってる」
 わかってるなら、もうちょっと自分の体を労って欲しいものだ。相変わらず人の話を聞いているようで聞いてない。何事もなかったようにカレーを食べ始める総士に、一騎は軽いため息を吐き出して椅子の背を前に回すと、どっかりとそこに腰を下ろした。そうして背もたれに腕をかけ、スプーンを口に運ぶ総士の様子を眺める。
(総士とカレー…何だか似合わないな…)
 カレーが似合うとか似合わないとかあるのだろうか。そう言えば以前乙姫が、総士は食堂で三色カレーばかり食べてる、と言っていたのを思い出す。確かにカレーを食べる総士の顔はどこか嬉しそうな気がした。
(そんなにカレーが好きなのか…)
 だったらそんな出前で半分冷めたカレーじゃあなく、きちんと温かいカレーを作って食べさせてやりたい。もちろん、大きめ野菜をごろごろ入れて、栄養にも気を使って。
「カレー、うまいか?」
「ああ」
 何も言わず、黙々とスプーンを口に運び続ける総士に、一騎は尋ねる。すると間髪入れずに返ってきた答えに、少しだけ驚いた。
「ずっと食べたくても食べられなかったからな」
「総士…」
 食べる口も、受け付ける体もなかった、と言うことか。けれども今はこうして目の前にいる。いて、うまそうに一騎の作ったカレーを食べてくれている。
 やっぱりまたカレーを作ってやろう。
 店のメニューではなくて、総士の為に―――…。

「―――来主に先を越されたのが悔しい。あいつ、僕の思考を読んだんだ」

「……へ?」
 動かし続けていた手を止め、総士が壁を睨んだ。もちろんそこには壁しかない。けれどもその目はしっかりとその先を、いつか彼らと見える未来を……睨んでいるような気がする。
 というか今、何て言ったこいつ。
「僕だって食べたかった。それを僕の思考を読んで、僕より先に」
 フェストゥムが人間の思考を読む、というのはわかっている。なので生身の人間や普通の武器では思考を読まれ、太刀打ちできない。その為に作られたのがファフナーだ。フェストゥムの読心能力を防ぎ、対抗できる唯一の兵器……は今は関係ない。
 来主もたしかにフェストゥムとして、思考を読む能力を有していた。一騎も何度か思考を読まれている、が。
「おま…っ、総士のせいだったのか! いきなり来主が『一騎カレーを食べたい』なんて言い出すもんだから、あの時は大変だったんだぞ!」
 竜宮島の島民くらいしか知り得ない情報を、フェストゥムが一体どこから入手したのか。この彼のカレーの希望を断つことで、もしや再びあの新種のフェストゥムが島を襲ってくるとも限らない。すぐに父の命令で一騎は来主の為にカレーを作ってやることになった。来主がそのカレーを大層気に入って、子供みたいに喜んで食べていたのはまだ記憶にも新しい。
 結局その情報がどこから洩れたのか、わからずじまいだったのだが―――その原因が目の前にいる。
「僕は二年間クロッシングで一騎を通し、竜宮島のほとんどを把握していたんだ。それはお前が手伝いで通っていた『楽園』のメニューもそうだ。いいか、一騎カレーだけじゃない。一騎ミートソーススパゲティーも、一騎オムライスも、一騎定食も、僕は全部これから食べる。これ以上来主に遅れはとらん」
「何来主に張り合ってるんだよ……」
 情報の流出先は身近にいた。いや、総士がそうも簡単に思考をフェストゥムに漏らすなんて、そんなによっぽどカレーが食べたかったのだろうか。
 何が食べる口も、受け付ける体もなかった、だ。
 難しく考えていた自分が馬鹿馬鹿しくて、一騎はぐったりと椅子の背もたれに脱力した。そうだった。総士は、真剣におかしなことをする奴だった。
 ふー、と、さっきより長めのため息を吐き出すと、一騎は言い放つ。
「もういい。総士は出前禁止」
「な、何だいきなり」
「禁止ったら、禁止だ。そのかわり―――…」
 いきなりの禁止令に、総士は面白いほどうろたえていた。
 たかが一騎の手料理。されど手料理。しかしそんなものでも、唯一対話を望んだフェストゥムを喜ばせたり、総士が竜宮島に帰ってこようと思ったりさせた原動力となったのならば。
 一騎は嬉しいような呆れたような気持ち満載で、しかしびしっと指を突きつけて言い放った。
「そのかわり、俺の飯が食いたいなら俺の家にくること! そしたら、カレーだろうがスパゲティーだろうがオムライスだろうが、何だってお前の好きなの作ってやるから!」


微妙に前書いたご飯ネタと繋がってたり。劇中では語られてませんが、操の一騎カレーの情報リーク先は間違いなく総士でしょうしね。また別バージョンネタもあるのでまたその内。

[2011年 1月 18日]