「大人が言ってたんだ。これは好きな人とするんだって」

 そうやってお互いの口と口をつける行為を初めてしたのは、まだ小学校に入ってすぐの事。よく遊ぶ仲間内でも、総士は特別大人びていた。そんな総士がどこからか仕入れてくる『大人のルール』のどれもが、幼い一騎にとって興味津々で、そしてまるでいけない遊びのように胸がドキドキワクワクした。
 初めてその行為を教えてもらった時も、そう。

「じゃあ遠見や甲洋たちともしていいのか?」
 一緒にあそぶ友達はみんな好き、だ。友達だけじゃない。父さんも学校の先生も、母親のいない一騎にも優しい遠見のおばさんも、島の人みんなみんな好きだ。
「それは駄目だ。いちばん好きな人としかしちゃ駄目だから」
 けれども総士は駄目だと首を振る。好きな人とするのに、いちばん好きな人としかしちゃいけない。それを総士は一騎としたがっている。
 それってことは、つまり……。

「総士はおれがいちばん好きなのか?」
「一騎はぼくがいちばん好きじゃないのか?」

 間髪入れずに質問で返され、一騎は困ってしまう。
 ―――『いちばん好き』。
 総士が言うには、好きには順番というものがあるらしい。
 一騎は頭の中で島の人たちの顔を思い浮かべた。一騎自身はほとんど記憶にないが、家に飾ってある写真の中の母さんの顔も。総士が好きだ。お父さんと総士のお父さんが友達だから付き合いも長いし、友達の中で一緒にいていちばん楽しい。そういう意味では、確かに他の好きな人たちとは一線を画しているけれど。
「総士は総士のお父さんよりもおれが好きなのか?」
「お父さんの好きと、一騎を好きなのはちがう」
「好きにはちがう好きもあるのか????」
 順番があって、あまつさえ種類さえ違うと総士が言い出して、一騎は困惑した。総士は頭がいいからわかるのだろうけど、どちらかというと頭を使うより体を動かす方が得意な一騎にとって、それは難解を極めた。
 それは一騎があまりにうんうん悩みすぎて、目の前の総士の顔がだんだん不機嫌になっていく程。
「……一騎はぼくがいちばん好きじゃないんだ」
「え?」
 急にぽつり、と総士が呟いたことを、一騎は一瞬聞き取れなかった。
「僕はずっと、一騎がいちばんなのに……いちばんじゃなかったら、もう一騎とはいっしょにあそばない」
「なんだよそれ!」
 聞き取れても、一騎は結局総士が何を言いはじめたのかわからなかった。何を言ってるのか、わからない。あそばない? だれと? どうして?
 けれども目の前にはぷん、と頬を膨らませ、拗ねた顔の総士。
 ―――もう一騎とはいっしょにあそばない。
 今、総士は『もう一騎とはあそばない』って言った?
 一騎と総士は、小さい頃からずっと一緒だった。総士のお父さんが仕事で島の外に出る時は、よく総士は一人で一騎の家に泊まりにきた。その時は一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、並べた布団で寝たりもいっぱいした。
 一人っ子の一騎には、兄弟というものはよくわからない。だから総士と一緒にいても、兄弟ができたようだとは思った事がない。
 けれども、総士がいると嬉しかった。総士といると楽しかった。
 一騎にとって、そんな総士は『とくべつ』だった。
 だから、そんな『とくべつ』な総士にそんなふうに言われると……一騎の中から、何だか冷たくて暗いものがこみ上げてくる。そしてそれは堪えることができず、たやすく一騎の中から溢れ出した。
「か、一騎? ……泣いてるの?」
 ちらりと一騎を見た総士が、ぎょっとした声を上げる。
「な、泣いてない!」
 けれどもそう言った声は、既にしゃくり上げる喉にひっくり返ってしまいそうだった。しかも何とか堪えようとした筈が、目の端っこからにじみ出たものが溜まりに溜まり、やがてそこに留めておけなくなってぼろぼろと頬から零れ出してしまう。
 それが堪えていたものまで一緒になって吐き出すきっかけになった。
「う、うぅ〜〜〜」
 悲しかった。総士とはずっと一緒だから、これからもずっとずっと一緒だと思っていたから。そんな総士にもうあそばないなんて言われて、一騎はわけがわからなくなってしまった。ただただ悲しくて、わんわん泣いた。
「な、泣かないでよぉ、一騎ぃ…一緒にあそばないなんてなしにするから」
「う…ぐす、……ほ、ほんとぉ…?」
「うん。一騎と一緒にあそべないのはぼくもいやだもん…」
 そう言った総士まで泣いてしまいそうな顔をしてる。一騎はぐす、と鼻をすすり、ぐいぐい目元を擦った。そうなると赤くなって、いかにも泣いていましたって丸わかりになるから嫌だったけれど、涙を誰かに見られてからかわれるよりはよかった。
「総士?」
 けれどもふと顔にかかる影を感じて、一騎は顔を上げた。すると目の前には総士の顔が目の前にあって、しかしあまりに目の前すぎて、見慣れた筈の総士の顔すらわからないくらいぼやけて見える。もちろんそれはもう、涙のせいじゃあなくて。
「一騎」
「?」
 そのことに驚いていたら、何かしめった温かいものに頬を舐められた。近所の犬に思いっきり顔を舐められたのにも似てるが、それよりずっと小さな、優しい感触だった。
「……しょっぱい」
「総士…?」
「一騎から出てくるからあまいかと思った」
 その言葉から、総士が涙を舐めたということが明白だった。今度はそんな総士の突飛な行動に一騎がぎょっとする番だ。
「き、きたないよ総士」
「きたなくないよ。僕のいちばん好きな一騎から出てきたんだ。きれいだよ。きらきらして、あまかったらよかったのに」
 あまりの総士の突飛な行動に、まだ少し出てきそうだった涙も一瞬でひゅんっと引っ込んでしまった。さっきは泣きそうだった総士も、もう既に笑ってる。あんなことをしたのにいつもと変わらない顔で。
 総士のすることはよくわからない。けれどもいつもドキドキした。それはみんなで大人に内緒で島を冒剣したりするのとは違うドキドキだった。
 『とくべつ』なのと、ドキドキするの。
 それは総士だから?
 それは総士がいう、一騎をいちばん好きと同じなのだろうか?
「――-総士!」
「かず、き―――…!?」
 一騎のとっさの行動は、とても早かった。
 目をつぶり、えいやっと勢いで総士に顔を近付けたのだ。それは近付けたというより、ぶつけた、というふうが正しい。あまりに勢いが付きすぎたのと目をつぶってしまっていた為に歯がぶつかり、がち、という嫌な音が響く。
「痛い〜…」
 今まで体感したことのないじいんと歯の根が痺れるような痛みに、一騎は唇を押さえる。さっきは驚きのあまり瞬間で引っ込んだ涙が、またじわりとにじむ。それはぶつかられた総士も同じなようで、やっぱり同じように唇を押さえている。
 けれどもその顔は痛みを堪えているというより、感動したようにきらきらしていて、
「一騎、いまの、キスしてくれたの?」
 まるで夢でも見ているかのような顔だった。反して口を押さえて涙目になってる一騎は、この口と口をつける痛いことを『キス』というのだと知った。総士が言うには『いちばん好きな人としかしちゃいけない』、ということ。それがキス。そのキスは、総士としかしてはいけないこと。それは一騎にとって総士が、
「総士はおれの『とくべつ』、だから…『とくべつ』はいちばん好き、じゃない?」
 ということだから。
 またまちがっていないだろうかと、おずおずと総士の顔色を伺って尋ねれば、そんな不安など吹き飛んでしまうほど、ぱあっと総士の顔に笑みが花開いた。
「ううん! とくべつは、いちばん好きよりもっと好き、だよ一騎。ぼくも一騎がとくべつだ」
「じゃあいちばん好きは?」
「それも一騎だよ」
「??」
 総士の中で『いちばん好き』と『とくべつ』は一騎のものらしい。やっぱり総士の言うことはまだよくわからない。わからないけれど―――総士がもう一緒にあそばないって言わないし、よろこんでるし、これでいいんだと一騎もうれしくなった。
「ねえ一騎」
「なに?」
「もう一回キスしようか?」
 Tシャツの裾を掴む一騎の手に、総士の手が重なる。自分のより、ほんの少し冷たい手。
「えー。もう痛いのヤダ」
 さっき歯がぶつかっていたかったのを思い出して、一騎は嫌がった。けれども総士はそんなことない、と頭を左右に振って、
「あれは一騎がへたくそなんだ。ちゃんとすれば痛くないよ。ぼくと一騎がひとつになれるんだから、痛いことなんて何もないさ」
「………じゃあいいよ」
 たっぷり考えて、一騎は本当に痛くないなら…とこくんと頷いた。すると顔を覗き込んでくるように総士の顔が近くなって、やがて近すぎて何もわからなくなった頃。
「ん」
 触れた瞬間、意図せず鼻から声が漏れた。
 たしかに総士の言う通り、今度はがちんと歯をぶつけて痛い思いをすることはなかった。その代わりに柔らかい、不思議な感触を味わう。
 くっついた口のところに、じんわりと総士を感じる。
(あったかい)
 くっついてるのは口のところだけなのに、何故か胸の奥があったかくなる。じわじわと溶けだしてくるようなこの何かが、総士のいうひとつになれる、ということなんだろうか。
「……ん」
「はあ……」
 そうやってくっついていたのはどのくらいだったのか。思わず息ととめていた一騎から、総士がそうっと離れる。けれどもまだ二人の距離は酷く近い。内緒話をする時のように、けれども顔を合わせてお互いの顔を見つめあっていた。
「――――ほら、痛くない」
「…うん…」
 息をとめていたから、少し苦しかった。けれども総士は平然としているから、もっと練習すればうまくできるのかと考える。けれども総士としかしちゃダメだから、練習も総士としかできない。練習をさせてと言えば、また総士は『キス』をさせてくれるのだろうか?
「ぼくと、一騎だけのひみつ…だれにもはなしちゃダメだし、ぼく以外としてもダメだよ、一騎?」
「………うん」
 頷けば、総士はまた花が咲くように微笑んだ。それにつられて一騎も笑う。

 初めてちゃんできたキスは、さっき駄菓子屋で買って半分こしたソーダアイスの味がした。


捏造ショタ…ショタか?総士は早熟でおませさん。そしてそんな総士がすごいと一騎は憧れてて、何でも真似したがったりするのです。

[2011年 1月 15日]