「そう言えば総士、お前アルヴィスの中で暮らしてるって、飯とかどうしてるんだ?」
 放課後、フェストゥムの襲撃がない日は基本的にアルヴィスの中でファフナーの訓練だ。それも終えれば、着替えて帰るだけで―――…すると偶然更衣室で鉢合わせた総士に、一騎は以前から思っていた疑問を投げ掛けた。
 自分同様父子家庭の総士だが、父親も一騎が初めてファフナーで出撃した際に亡くなっている。その後はずっとアルヴィスの中で生活してはいるようだが、いまいちその生活というのが見えてこない。
「アルヴィスの中に食堂があるから、何の問題はない」
「そうなのか? え、って事は毎食外食って事? それでちゃんと食えてるのか?」
 自炊できる一騎にとって、毎食外食だなんて想像もつかない。たまに父が商店街の食堂に連れていってくれる時もあるが、ああいうのはたまにだからいいのであって、毎日だと確実に飽きて自分で作ったご飯が食べたくなってしまうだろう。
「無用な心配だ。アルヴィス内の全作業員が日々の激務に耐えられるよう、しっかりと栄養のバランスの取れた、健康に気を配った素晴らしいメニューが並んでいるからな」
 しかし総士はそうやって、いかにアルヴィスの食堂が素晴らしいかを、まるで自分のことのように自慢げに教えてくれる。それにそうか、そうだよな、と一騎も納得した。
 一見平和そのものの竜宮島だが、その内部はフェストゥムに対抗するべく世界トップクラスの技術の髄を集めた、まさに移動要塞島。そこで作られる食事だって、栄養学とか効率とか色々計算し尽くされ、正に完全食と呼ぶにふさわしいものが用意されているに違いない。

「けど総士、いつも三色カレーばっか食べてるよね」

「!? 乙姫!!」
 けれどもそれをひっくり返す、まさに竜宮の天の一声。
「えっと…ここって男子更衣室…」
 いきなりひょっこりと二人の間に現れたのは皆城乙姫扉だった。しかし扉が開いた気配も音もなかった…はずなのに。話に夢中になりすぎて気付かなかっただけだろうか。
 しかしそんな二人の反応に、神出鬼没で無邪気な島のコアである少女は微笑み、
「一騎、総士ってば偉そうなコト言ってるけど、いつも食堂じゃあカレーばっか食べてるんだよ」
「こら乙姫、余計な事を…!」
「そ、そうなのか?」
「乙姫!」
 告げ口をされ、総士は慌てていた。この兄はどうやら妹には少々弱いようで、この反応から乙姫の言っていることが嘘や冗談ではないことがわかる。そうだとしたら、いくら健康を考えたメニューでも、カレーばかりじゃ栄養が偏りすぎじゃあないか。
「……総士」
「………」
 思わずじいっと心配げな視線を送ると、ごほん、と総士は一つわざとらしく咳ばらいをしてみせた。
「も、もちろんカレーだけじゃない。食後はきちんとサプリメントで足りない栄養を補っている。僕たちの年齢で必要な栄養量に、僕のジークフリード・システム使用の負荷を加味して、完璧な摂取量を……」
「それじゃ駄目に決まってるだろ!」
 あああ、案の定、という奴だ。不安的中。
 どちらかと言えば総士の食は同年代の自分たちに比べて細い。それはクラス替えの行われない竜宮島の学校で、もう何年も給食の時間を共にしているからよく知っていたことだ。それなのにたっぷり食べてたっぷり運動してる自分よりも総士の方が発育がいいのが、一騎には不公平で堪らなかったのだけれども。
 しかしこれを知ってしまった以上、そんな自分の劣等感を差し置いてむくむくと湧きあがる感情があった。
「よし、今夜は俺の家に来い総士」
「どうしていきなりそうなるんだ」
「乙姫も来るか? 父さんは今日家には帰って来ないって言ってたから、どっちみち俺一人だったし」
「わー! いく!」
「こら、乙姫…!」
 しゅたっと手を上げて賛成する乙姫を、総士が咎める。するとそんな兄を煽り見た乙姫は、ふーん、と鼻につくような声を上げ、
「じゃあ総士は行かないんだね? わたし一人でも一騎のごはんたべるよ?」
「……っ……」
「総士?」
 言うと、総士が押し黙った。どうやら少し、ではなく大分、この奔放な妹に総士は弱いらしい。それとも本当に何か弱みでも握られているのだろうか。
 そもそも総士が来てくれないならこの誘いの意味はない。自分たちファフナーパイロット以上に、総士は年齢にそぐわない激務を強いられているのを一騎は知っている。カレーだけじゃなくて、ちゃんと栄養をとって頑張ってほしい。栄養失調で倒れるのも、恐らく総士も本意じゃあないはずだ。
 一騎はじっと総士を見た。見た。ついでに乙姫も総士を見た。こちらはニコニコと意味ありげな笑みを浮かべていたけれど。
「……わかった。行くよ」
 ぱきん、と総士が折れた音がした気がした。
「やったー。一騎のごはんーごはんー」
 折れた総士の腕にツバキは抱き着き、無邪気にはしゃぐ。まるで総士が折れる事など、とうにお見通しだったと言うように。するとちらりと彼は一騎を見て、
「悪いな」
 と苦笑する。けれども一騎は緩く頭を振り、笑って見せた。
「いいよ。別に一人増えようが二人増えようが構わないし、本当は一人分だけ作っていう方が難しいんだ。それに―――」
「それに?」
 そうと決まればさっそく帰り道に商店街に寄ろうと、一騎は頭の中で献立てを組み立て始める。
 昨日は肉じゃがで肉を食べたから今日は魚かな、とそんなことを考えて。
「飯は大勢で食べた方がうまいんだ」
 何となく答えた言葉に、総士がそうか、と頷いた。


 普段は父と二人だけで囲む食卓に、今日は父ではない二人が座る。一騎も含め三人で囲めば、いつもよりたった一人増えただけなのに随分賑やかに感じられた。
「まあ作ってやるって言っても、いつも作ってるのと同じようなものだから、特に何も凝ってる訳じゃないぞ」
 そう言って一騎がちゃぶ台に並べたのは、白いご飯に大根とワカメの味噌汁、おかずは商店街で買ったあじの干物の開きをあぶったものと、昨日作った肉じゃがの残りの、肉なし芋だけの煮物。そして貰い物の漬物だ。内容は父がいる時と変わらない、いつも通りの夕食だ。乙姫がいるからオムライスとかでもいいかと思ったが、それじゃあ『総士にちゃんとしたものを食べさせる』という趣旨に反するので今日はやめた。
「………」
「何だよ、まずそうだとか文句言うなよ」
 今度はじいと見られるのは一騎の番だ。とは言っても、見られているのは一騎本人ではなく、ちゃぶ台の上の手料理だ。
 並んでいるのは、いつも作るような極普通の献立。
 家事全般…特に料理はからっきしの父には何も任せられず、気が付いたら一騎の担当になっていた。それだから当たり前のものを当たり前に作っただけ。けれども何だか改めてまじまじと見られると妙に気恥ずかしくなってくる。
 すると皆城兄妹はそろって首を横に振り、
「そんな事は思っていない。反対に予想外に普通で驚いている」
「すごくおいしそうだよ、ね、総士?」
「ああ」
 素直に褒められると、それはそれで恥ずかしくなった。
「……っ…は、早く食べろよ。冷めたら、おいしくなくなる、から」
 その妙な照れを隠すように急かせば、皆城兄妹はまたそろって手を合わせた。
「ああ」
「イタダキマース」
「………」
 いつもの一騎なら父と同時に口をつけるが、この時ばかりはじっとその様子を見守ってしまう。二人がそろって最初に手をつけたのは味噌汁だ。
「ど、どうだ? 塩辛くないか? いつも父さんは何も文句言わないから、よくわからなくて…」
 一騎のしていることを認めて任せてはくれているが、父は特にそれを口で示してくれるようなことはしない。文句を言わないイコールうまいのではないと、今更ながらに気が付いた。バランスがとれていても、不味かったらそれこそ食堂で毎食カレーのがマシだ。
「美味いよ」
「!」
 けれども総士の反応は、びくびくしていた一騎のそれをひと言で払拭した。
「こういうきちんとしたものを食べたのは久しぶりだけど、ちゃんと美味しい」
「そ、そうか。よかった…じゃあ俺も、いただきます」
 ほうっと肩の力が抜ける。そうすると途端に自分の腹も空腹を訴え始め、一騎は自分も箸をとって食事を始めた。
「……あ、乙姫。よかったら魚むしってやろうか? 食べにくいよな?」
「ありがとう一騎」
「僕のはしてくれないのか?」
「総士は自分でできるだろ」
 こんなにも賑やかな食卓は一騎も初めてだった。もし家族全員が揃っていたら、食卓というものはいつもこんな感じなんだろうか。
「…ん。おいし」
いつもと同じ食事がいつもよりおいしい気がするのはきっと、自分の料理の腕前が上がったからじゃあなかった。


「一騎」
「ん、なんだ?」
 あの後何だかんだ総士の分も魚の身をむしる事になって、結局食事を終えるのが最後になってしまった。それでも二人とも綺麗に完食してくれたので、悪い気はしない。またいつか何か作ってやろう。今度は『栄養のバランスが取れたものを食べさせる』とかそういうのを抜きで二人の好きなものを作ってやるべきか、とそんなことを考えていると、不意に呼ばれてそちらを見た。
 そこには食後のお茶を火傷しないようにすする乙姫がいて、綺麗に平らげられた皿を眺めると、彼女はにこりと笑って見せる。そして―――…。

「一騎のごはん、お母さんの味がしたよ」

「!?」
 思わず手にしていた茶碗を取り落としかけ、あわてて掴み直す。改めて正面の乙姫を見れば、彼女はまるで悪意はなく、ただ屈託なく笑っていた。
 昔、料理をすることを理由に「女みたいだ」とクラスメイトにからかわれたことがあるが(その時その同級生は女子の一斉攻撃を受けて以来、一騎にいちゃもんをつけてはこない)、そういう意味で言っているわけではなさそうだ。もちろんその顔を見れば、けして一騎をからかっているわけではないことはわかるのだけど。
「おお、お母さん?」
「うん。わたしね、お母さんの作ったごはん食べたことないけど、きっと一騎が作ってくれたごはんと同じ味がすると思うの」
「え、えーっと…」
 それは一体どういう反応したらいいのか。思わず隣の総士を見てしまう。
 すると総士はそういう乙姫の突拍子のない言葉にも慣れているのか、一騎のすがるような視線を受けても平然とした顔で、
「一騎。乙姫は嘘はけして言わない。言葉通りの意味にとって素直に喜べばいいんじゃないか」
「言葉通りの意味…」
 その助言に、一騎は考える。
 母親の手料理のような味がする、なんて、自分だって母の手料理の味なんて覚えていない。けれども母親の手料理というイメージは、何となくあったかくて、優しい感じに思う。二人の為にと思って作った料理を、乙姫はそういうイメージで味わってくれた。それはきっと、嬉しいと思ってもいいことの筈だ。
「そ、そうか。ありがとうな、乙姫」
「ううん。こちらこそおいしいごはんをありがとう、一騎」
 そうやって既に当たり前になってしまっていることを褒められるのも悪くないんだな、と一騎は胸の奥がじんわりと温かくなる感覚に、自然と頬が緩まった。
「今日だけじゃなくて、いつでも来ていいからな」
「わーい! くるくる!」
 父がいる時に呼んだらまた違った食卓になるだろうか。なんて、そんなことを考えながら茶碗に残った米粒を集めて口に運ぼうとして―――…。
「えへへ、何だかこうして一つのテーブルを三人で囲んでると、一騎がお母さんで総士がお父さんみたいだね? 家族はこうやって一つのテーブルで一緒にごはんを食べるんでしょ?」
「な…!?」
 ぽろんと一騎の手から箸が落ちる。今度こそ危なかった。茶碗だったら割れていたところだ……っていやいや、そういう場合じゃない。
 しかし火のついたらしい乙姫の『理想の家族像』の妄想は止まらない。胸の前で両手の平を合わせ、まるで夢見る乙女(?)のように軽く天井を見上げた体勢で語り始める。
「だったらねー、今度はごはんだけじゃなくて、おとまりして三人でおふとんならべて『かわのじ』でねよう? わたし知ってるよ。家族はそうやってねるんでしょ? わたしを真ん中にして、一騎と総士が挟んでねるの。あ、何だったら絵本読んでくれたりとか、子守り歌うたってくれてもいいんだよ?」
「お、おい総士!?」
 再び助けを求めると、総士は総士で腕を組み、顎に手を当てて何故か難しい顔をしていた。
「僕が教えた訳じゃない。乙姫は島のコアだからな。ここでの生活の基礎データになっている古い日本の文献からデータを引っ張り出してきたのか……しかし、それは悪くない提案だ。乙姫」
 違うだろ。
「でしょー」
 違うって。
「ただ僕としては、間にお前を挟まなくてもいいんだが」
「それは駄目! 一騎の独り占めはよくないよ!」
 だから今はそういう話じゃないだろ、こら。
 乙姫は島のコアである以前に総士の妹だが、さらにそれより大前提に女子である。男子の一騎と一緒の部屋で布団を並べて寝られる訳がない。兄妹の総士ならいざ知らず…いや、だからって総士だけが隣だったらいいとかそういうのでもない。その場合はまた違う悩みがついて回る。
「総士ばっかりずるいもん!」
「僕はいいんだ」
 しかし皆城兄妹の話は一騎を抜きでどんどんエスカレートして、もはや勢いが留まることを知らない。当人を放ったまま、お互い妥協しきれないと意見をぶつけ合っている。これは最早兄妹だからというべきか。血は争えない。似たもの兄妹。この兄にしてこの妹あり。
「――-二人とも、もう飯くったら家に帰れよ…」
 取り残された当人はただひっそりと、騒がしい食事を終わらせるのだった。


TVシリーズ中でこの3人が揃ってるシーンはあまりなかったので。

[2011年 1月 12日]