「いいか? 流すから目、つぶってろよ」
「わあ、待って、まだ心の準備が…!」
 ざばあ、っと頭上からお湯を注がせると、ぎゃあ、と悲鳴(?)が上がった。頭を洗うくらいで大袈裟な、と思う。しかし何をするにも初めて尽くしなのだから当たり前か、とも思った。
「いい加減頭洗うのくらい慣れろよ」
「だってあわあわが目に入ると痛いんだよ! 口に入ると苦いし!」
「どっちも閉じてりゃ問題ないだろ」
「いつくるかは目を開けてないとわからないし、いきなりきたら驚いて口も開いちゃうよー」
 真壁家の風呂はそんなに広くない。その為、二人で横向きに並ばないと揃って湯船に入れなかった。じゃあ二人で入らなければいいじゃないか、と言うか、そもそもその年頃の男子が二人で風呂ってどうなんだ、という声もあるが、来主操に関しては幼児か或いはそれに近い扱いなので仕方がない。
 大騒ぎの後ようやく湯船に浸かって一息つけば、すぐに、
「ねー、もう出ていーい?」
 近いというよりそのものだ。
「駄目だ。ちゃんと肩まで浸かって百まで数えろ」
「何それ?」
「昔俺も父さんに言われた。理由は俺も知らない」
「ふーん。人間ってキマリゴト多いよね」
 そう言えば何で百なんだろう、と、隣でいーち、にーと数え始めた操の声を聞きながら一騎は首を傾げる。
 今までそんなこと、深く考えたこともなかった。操がいるようになって、何だかこうやって当たり前のことを考えさせられることが増えたような気がする。
(そう言えば『青い空が綺麗』というのもそうだったっけ)
「じゅーう、じゅーいち、じゅーに…」
(たまに妙に鋭いとこを突いてくるから油断ならないっていうか)
「にじゅう、にじゅいち、にじゅに…」
(でも任された以上、責任持って何でも答えられるようにならないと)
「…………さんじゅごー、さん…………―――あれ、一騎、こんなとこ赤くなってる」
「―――え?」
「ここ、ここ」
 いきなりだ。つん、と不意に伸びてきた指に首筋を突かれる。
 虫さされか? こんな季節に?
 一騎にそんな覚えはない―――が。
「!」
「一騎? …わぷっ」
 自分の指で見えないそこをたどった瞬間、生々しい記憶のフラッシュバックが一騎を襲った。これは虫さされなんかじゃあない。だってこれはこの前総士がつけた―――…。
 もう三日も前のことだ。とっくに消えていると油断したそれがまだそこに残っていたことに動揺し、またその痕を操の目から隠す為に、一騎はざぶんと狭い湯船の中に大波がたつほど勢いよく湯船に体を沈ませた。そして当たり前だが、同じ湯船の中にいた操はもろにそれを頭から食らう羽目になる。
「ぺっぺ…っ、ちょっといきなり何〜? お湯が口に入ったよー」
 濡れた顔を猫のように擦り、また犬のようにぷるぷると頭を振って水気を飛ばしながら操は文句を言う。だが一騎は唇の下まで湯に浸かったまま浮かぶことなく、ありったけの平静を装っていい訳をした。
「い、いや、その、虫、そう虫に刺されたんだ。季節外れの!」
 だってそうとしか言いようがない。
 しかしついさっき何でも答えられるように、と心に思っておきながら、結局すぐに嘘をついてしまったことに自己嫌悪する。いや、でもこれは、ある意味大きな虫に刺されたようなものだと思ってもいい。嘘はついていない…嘘は。そして総士が全部悪い。
 しかし操はそんなこともうどうでもいいみたいにふーんと相槌を打つと、再び大人しく数え出そうとして、
「あー!」
「な、何だよ?」
 けれども突然大きな声を上げる。まだ何かあるのかと一騎はびくりとしながら先程の『虫刺されの痕』を手の平で覆いながら尋ねた。すると操は湯船から持ち上げた手の平で指を折り折り、悲しそうに言う。
「一騎のせいでいくつまで数えたかわかんなくなっちゃったよぅ」
 なんてじとりと睨まれれば、湯船に浸かったまま、
「それを言うなら総士の所為だろ…」
 責任はすべて、ここにはいない人物に押し付けることにした。


拍手第4弾。すっかりお母さん…DVD−BOXの資料に『家庭的な雰囲気が苦手』と書かれていますが、操が来てめきめきそれを克服してるよーな。

[2011年 5月 11日]